【大紀元日本9月24日】ドイツのメルケル首相は9月23日午後10時、チベット亡命政府の指導者ダライ・ラマと会談した。中国当局は、反対の意を示すため、同日に開かれる予定の両国政府筋の会談を取り消した。
ドイツ政府はメルケル首相とダライ・ラマの会談を個人的な交流としているが、中国当局は「技術的な原因」を理由に、同日にミュンヘンでドイツ司法省長官との特許権保護の会談を取り消した。
ドイツ政府の報道官は、チベット問題は中国当局とダライ・ラマによる対話方式で解決するしかないと述べ、ドイツは、チベット人の文化と宗教の自治を求める運動を支持すると表明した。メルケル首相はダライ・ラマと会談する初のドイツ首相である。
ダライ・ラマは中国当局の行動について、ドイツ・メディアの取材で、次のように語った。「これは完全に中共の態度による問題である。彼らの傲慢さを表している。メルケル首相に私と会わないよう要求するのは、ドイツの内政への干渉にあたる」「私がどこに行こうと、中共は必ず抗議し、自分たちの国際社会への影響力を試している。私とメルケル首相の会談は、両国の関係に長久的なマイナス影響を与えると考えていない」。
メルケル首相は、野党の党首だった2年前、ドイツの議会でダライ・ラマと会談したことがある。首相に就任してから、人権を重視する外交政策を明確に打ち出し、ロシアと中国の人権問題を非難している。昨年5月訪中の際に、農村部の現状を記した「中国農民調査」(中国では出版禁止)の著者や、キリスト教の主教などと会談、中国での人権問題や、信教の自由などについて、議論を交わした。今年8月訪中の際には、中国の人権問題への強い関心を示し、中国当局に異議を呈したメディア関係者などと会談を行った。
また、オーストリアのグーゼンバウアー首相は9月20日、中国当局の反対を押し切って、ダライ・ラマと会談した。同首相は、ウィーンとベルリンの立場は同じであると述べた。
チベット亡命政府の関係者によると、10月には、ダライ・ラマはワシントンで米国政府から勲章を授与される予定。その後、カナダのハーパー首相と会談するという。
1949年に中国の人民解放軍がチベットへ侵攻。1956年に勃発した「チベット動乱」を経て、1959年3月17日にダライ・ラマは隣国のインドへ政治亡命した。その後、インドにチベット亡命政府を樹立し、チベットの高度な自治権を主張している。1989年には、世界平和やチベット国家の平和的な樹立に対する運動が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞した。
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