インドの投資環境は中国より優れている=世界著名投資家ジョージ・ソロス氏

2006/12/24
更新: 2006/12/24

【大紀元日本12月24日】1997年の「アジア金融危機」を引き起こしたとされている世界著名投資家ジョージ・ソロス(George Soros)氏は13日、政治的に開放されていない現状は中国の経済成長を阻むと指摘した。また、ソロス氏は一見安定に成長を遂げているように見える中国経済は民主主義の推進や市場開放の不足によって後退する兆候が現れてくるだろうとの見解を示した。

ソロス氏は今月上旬インドネシア首都ジャカルタで開催された経済政治研究協議会に出席した際、以上の内容を述べた。彼は中国よりも民主主義を推進しているインドが投資ターゲットとしてふさわしいと話した。各国多くの投資家が中国金融市場に熱狂している状況に対して、ソロス氏は中国の一見安定しているように見える経済成長が多くの投資家を惑わしたと指摘した。

彼は、中国当局の政治自由化への抵抗は経済成長に不利で、国家にとって長期的脅威であり、一旦金融危機がおきると、政治的な危機は必ず引起されると言った。

ソロス氏はソロス・ファンド・マネージメント(現在のクオンタム・ファンド)の設立者であり会長である。彼は「オーペン社会研究所」(Open Society Institute、OSI)と彼自身が会長を務める「ソロス基金」(Soros Foundation)を通じて発展途上国で民主主義を広め、慈善事業を行なっている。

1987年ソロス氏は「ソロス基金」の中国大陸での事務所でもある「中国改革開放基金」を設立し、当時「改革開放」政策が行なわれている最中の中国で、中国の民主運動へ出資し支援した。1989年、同基金が中国当局に監視されたため、不利な状況に陥ったと感じたソロスは同基金を閉めた。今現在に至るまで、同基金は一度も再開されることが無かった。

ソロス事件

故趙紫陽氏の策士と言われる元国務院経済体制改革研究所所長の陳一咨氏はソロスが中国で設立した「中国改革開放基金」の中国側責任者を務めた。

陳一咨氏は2005年2月大紀元からのインタビューを受けた際に、1989年当時中国共産党は趙紫陽を打倒する為に、所謂「ソロス事件」を謀ったのを暴いた。陳氏の話によると、89年6月28日、ある中共中央政治局の会議で、当時の王芳公安部部長は趙紫陽と鮑彤(趙氏の政治担当秘書)が陳一咨と李湘魯(趙氏の元秘書)を通じて、アメリカ中央情報局(CIA)に指示を受けたアメリカ人富豪のソロスと共謀して、無産階級専政の転覆を計画していると報告した。

陳氏は、「王芳が発表した報告は同年7月2日中共中央の機密文書として、各省の地方政府及び軍部に発布され、またソロス基金と接触し、ソロスから支援資金を受け取ったことのある全ての個人、事業プロジェクト、団体が当局から徹底的な審査を受けた」と話した。

陳氏は「中共はこの『ソロス事件』で、趙紫陽と鮑彤を『無産階級専政を転覆し、帝国主義の手先』とでっち上げ、無実の罪を着せようとしていた。中共保守派らは前から趙紫陽を打倒しようと計画を立っていた。『6・4天安門事件』でその陰謀の全てが暴かれた」と言った。

また、陳氏の話によると、ソロスはその後書面で声明を発表したという。彼の声明内容は以下三つである:「第一に、私は中国で中国改革開放基金を設立した原因について、他でもない、中国の改革と開放の為であり、11億人の人々に開放的、平等的、繁栄し裕福な生活を過ごさせるためである。第二に、この基金に関連する全ての活動は公開的で、全てのプロジェクトも公開的で、転覆しようという意思は一切無い。第三に、この基金の全ての資金は私個人の資産であり、私にはそれを証明できる文書を持っている。中央情報局と一切関係しない。」

ジョージ・ソロス(George Soros)について

ソロスは1930年ハンガリーのブタペストで生まれ、1947年イングランドに移住し、1952年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業した。そして、1956年ソロスはアメリカに移住し、その後ソロス・ファンド・マネージメントを設立した。1970年、ジム・ロジャースと共にクォンタム・ファンドを立上げた。ファンド投資で3,365%と言われる驚愕のハイリターンを出した為、彼は莫大な富を手に入れた。今現在、投資家であれば、ジョージ・ソロスの名を知らない者が無いほどである。

ソロスは1979年にニューヨークで彼自身にとって最初の財団であるオープン社会研究所(Open Society  Institute)を設立した。1984年、ハンガリーで最初の東ヨーロッパ基金を設立した。今現在、ソロスは中欧、東欧、ロシア、中央アジア、南アフリカ、ハイチ、グアテマラ、アメリカなど計31カ国にも及ぶ財団ネットワークに資金を提供している。これらの基金はそれぞれの国における開放的な社会への実現、インフラ基盤や公用施設の建設を努めている。また、ソロスはまたそのほかに、中部ヨーロッパ大学や国際科学基金などの機構を設立した。

ソロスはかつてこのように述べた「私はハンガリーで育って、ファシズムとホロコーストを生きながらえて、それから、共産主義台頭するという予知を感じました。私は、青年期で、どんな政府が勝つことがどれくらい重要かについて学びました。私が自由と民主主義、市民的自由と開かれた社会を評価するので、私はアメリカを私のホームに選びました。私が私自身と私の家族のためより多くのお金を稼いだとき、私は開放的な社会と自由の原理と価値観を促進するために財団を作りました。」

ソロスは米国のニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ(New School for Social Research)、オックスフォード大学(Oxford University)、エール大学(Yale University)から名誉博士学位を贈られた。また、1995年にヨーロッパ最古の大学であるイタリアのボローニャ大学は世界各地で開放社会の促進を努めているソロスを表彰するため、「Laurea Honoris Causa」(名誉学士号)という最高名誉を授与された。

ソロスが率いる「クォンタム・ファンド」は世界ヘッジファンド投資において最も成功しているファンドとされている。