貞観の初年の頃、太宗が侍臣に向かってこう言われた。「君主としての道は、まず人民が安心して生きられるようにすることだ。もしも、重税を課すなどして人民を苦しめ、君主が贅沢三昧をするならば、それは自分の足の肉を喰って自分の
太宗も、おん自ら祭壇の前で哭し、死者への哀悼を尽くした。
2021/08/12
朕は今日、張公謹の死を聞いて、心の底から悲しんでいる。
2021/08/08
天はまさに、朕を叱責してほしい。人民に何の罪があって、ひどい困窮に遭わねばならないのか。
2021/08/07
朕は、そのようにはしない。今ある宮女たちを、それぞれ求めるところへ嫁がせてやろう。
2021/08/06
陛下。そもそも帝王たる人物は、内側に神明なる心を持ちますが、外に向けては奥ゆかしく、寡黙で、何も言わないのです。
2021/08/05
太宗のその言葉を受けて、側近の魏徴が、太宗にこう申し上げた。
2021/08/03
中国に貞観(じょうがん)という年号の時代がありました。
2021/08/02
貞観2年、太宗は左右に侍する臣下に向かい、こう申された。
2021/08/02
李白には李白の生きる術があったことは、想像してよいと思います。
2021/04/10
「桃源郷は、そのあと探しても見つからなかった」。それが陶淵明が心に決めていた結論でした。
2021/04/04
名もない漁夫が、川をさかのぼって迷い込んだのは不思議な「桃源郷」でした。
2021/04/02
人間の一途な思いが神仏や天地に通じた結果、そこに奇跡を起こすという骨組みがあります。
2021/04/01
相手のために自分の首が切られてもよい、と言えるほど厚い友情のことです。
2021/03/25
晏子は、愚かな身代わりを演じて、無意味な処刑をすることの非を景公に悟らせます。
2021/03/21
蘇武は、武帝に賜った節を持して、その忠義を貫きました。
2021/03/17
令和の今こそ「古典の味わい」を大切にしていただきたく、本コーナーをお届けしていきます。
2021/03/12