外交について私たちが直感的に思い描くのは、「決着」というモデルである。
たとえば、1億2千万ドルから1億ドルへと価格を詰めていく商取引を考えればよい。契約書に署名し、取引が成立すれば、双方とも、その差額をめぐって後から権利を主張することはない。交渉とは、利害の対立を調整し、双方が受け入れ可能な均衡点に到達するための営みだからである。
従来の外交もまた、この論理に大きく依存してきた。すなわち、双方の利害が十分に両立しうるものであるならば、誠実な交渉を通じて、ルールに基づく持続的な均衡を構築できるという前提である。
しかし、同じ「取引」という形式が、まったく異なる目的のために用いられることもある。それが、「手段としての取引」である。
手段としての取引、外交は、それ自体が不誠実なわけではない。専制国家に特有のものでもない。民主主義国の政府もまた、他の選択肢より望ましいという理由から、休戦協定に署名し、一時的な停戦を交渉し、暫定的な通商枠組みに合意することがある。それもまた、外交の正当な一部である。
問題が生じるのは、双方が相容れない前提を抱えたまま、同じ文書に署名するときである。
一方は、そこに持続的な決着を見ている。他方は、戦略上の時間と余地を確保するための、一時的な道具を手に入れたと考えている。
ここには、外交における根本的な非対称性がある。
ある主体が、存亡にかかわる長期的な目標を追求しているとしよう。その前には敵対者が立ちはだかっている。しかし現在の力の均衡は、自らに不利である。そこで、その主体は10年間の取り決めに署名する。ただし、それは根底にある対立を解消するためではない。
制裁を解除させ、資本へのアクセスを確保し、自国経済を立て直す時間を稼ぎ、軍事力を増強し、あるいは対抗連合の形成を遅らせるためである。
この主体は、取り決めの条項を一字一句、そのとおりに守るかもしれない。守らない理由がないからだ。その合意は、当面の実益をもたらしてくれる。
ところが、決着を前提とする側にとって、その10年間は本物の和解を意味する。それゆえ、軍事的警戒を緩め、経済的相互依存を深め、戦略的備蓄を取り崩すことが正当化される。
こうして、同じ合意がまったく異なる意味を持つことになる。一方にとっての「平和の証し」が、他方にとっては「次の段階へ進むための時間と足場」なのである。
商取引の論理と外交の限界
トランプ大統領の外交における成功は、一貫して商取引の論理に基づいてきた。
相手の根本的な利害を見極め、最大限の圧力をかけ、双方が受け入れ可能な何かを交渉のテーブルに載せ、そして取引をまとめる。
その発想は、商業交渉においては極めて合理的である。
しかし、相手がイラン、ロシア、中国のように、短期的な利益の最大化ではなく、より長期的かつ体制的な目標を追求している場合、その論理だけでは十分ではない。少なくとも、これまでのところ、そうした相手との間に持続的な「取引」が成立したとは言い難い。
その問題は、トランプ氏と習近平がワシントンでの首脳会談を終えた際にも、改めて浮かび上がった。
二国間投資委員会の創設、相互関税の引き下げ、人工知能(AI)に関するガードレールの設定。こうした共同発表は、首脳間の個人的な外交と商取引上の圧力によって、大国間の対立を管理可能なものへと変えられる証拠として描かれた。
しかし、その握手の背後には、より根本的な問いが残る。
ワシントンと北京が一つの合意に署名するとき、両者は本当に「同じことをしている」と考えているのだろうか。
過去の実例
過去30年の記録は、その答えが必ずしも肯定的ではないことを示唆している。
その食い違いがどのような結果をもたらすのかを示す、象徴的な事例が二つある。
一つ目は、2001年の中国の世界貿易機関(WTO)加盟である。これは当時の米国にとって、最大級の戦略的賭けだった。
経済的な仕組みそのものは明快だった。しかしクリントン政権は、それ以上のものを期待していた。中国をグローバル市場に統合すれば、国内の法制度改革が促され、市場の力が解き放たれ、やがて一党支配の基盤そのものが掘り崩されていくだろう。そうした期待である。
ところが、中国がそのような政治的変化を約束したことはなかった。
ワシントンがWTO加盟を、北京を西側主導のルールに基づく国際秩序へ組み込む「変革的な決着」として捉えたのに対し、中国共産党はそれを一つの手段として捉えた。
国際資本へのアクセスを拡大し、製造業基盤を強化し、先端技術を吸収する。その一方で、国内の政治的統制を維持し、国際社会における自国の力を増大させる。中国にとってWTO加盟とは、政治的な自己変革の約束ではなく、国家発展のための環境を整えるための制度的手段だったのである。
中国のWTO加盟は、同時に三つの顔を持っていた。
米欧にとっては、政治的変革を期待した戦略的賭け。
企業にとっては、利益を生み出す商業的合意。
そして北京にとっては、国家発展を加速させるための戦略的手段。
それから数十年が経った現在も、米通商代表部(USTR)は、市場原理とは根本的に異なる国家主導・重商主義的な経済体制について、繰り返し問題を指摘している。
ここで重要なのは、WTO加盟をめぐる米国の誤算を、「中国は変わらなかった」と単純化しないことである。
中国は、実際には途方もなく変わった。誤りは、中国が変わることを予測したことではない。
「何が変わるのか」を、あらかじめ自分たちの希望的観測によって決めてしまったことにある。
香港というもう一つの試金石
香港は、この問題をさらに鮮明にした。
ここでは、単なる政治的な了解ではなく、国連に登録された正式な条約が存在していたからである。
1984年の中英共同宣言は、香港が高度な自治、独立した司法、そして独自の社会・経済制度を50年間維持することを定めていた。1980年代の北京にとって、この枠組みには明確な実利があった。
「一国二制度」は、香港返還を可能にすると同時に、英国統治下の香港が果たしていた、外国資本にとっての金融・商業上の玄関口としての役割を維持することができた。
何十年ものあいだ、この取り決めは双方に巨大な利益をもたらした。
しかし、中国本土が世界第二位の経済大国へと成長すると、香港が持っていた相対的な金融的重要性は低下していった。2019年の抗議運動が、強まりつつある北京の統制に異議を唱えたとき、2020年の国家安全維持法は香港の自治を急速に縮小させた。
ここでも、同じ取り決めが異なる意味を持っていた。ロンドンにとって「50年間」とは、条約によって保障された時間の長さだった。
しかし北京にとって、その取り決めは、永続的な目的そのものではなく、特定の時代において実益をもたらす制度的手段だったと見ることができる。
合意の価値が、合意そのものではなく、そこから得られる戦略的利益によって測られるのであれば、その利益が失われたとき、合意を支える動機もまた失われうる。
ひとひねりある現実政治
では、なぜこのような取り決めはほころびていくのか。
その答えを理解するには、標準的な現実政治(レアルポリティーク)の枠組みだけでは不十分である。古典的なリアリストは、主権国家は基本的に力を追求し、国際環境の変化に応じて約束や同盟関係を組み替えるものだと考える。
しかし中国の場合、国家そのものや通常の意味での「国益」より上位に置かれているものがある。それが、共産党による権力独占と、その存続である。
二十年前に公表された『共産党についての九つの論評』が示したように、経済政策、外交路線、対外同盟のいずれも、最終的には党という組織の存続と権力維持に従属するという見方がある。
これは古典的なレーニン主義の政治観とも重なる。
レーニンが『共産主義における「左翼」小児病』で論じたように、戦術的後退、一時的同盟、妥協は、不利な力関係を乗り越えるための手段になりうる。しかし、それらは必ずしも恒久的な和解を意味しない。
この原理が特に鮮明に表れる領域が、宗教である。
宗教は、党や国家とは異なる信念の源泉でありながら、歴史上、世俗権力と共存してきた。それゆえ、党が社会のあらゆる組織を政治的統制の下に置こうとするとき、宗教はその限界を測る一種の試金石になる。
重要なのは、中国が豊かになり、国際的地位が安定するにつれて何が起きたのかという点である。WTO加盟が、チベット人、キリスト教徒、あるいは新疆のウイグル人に対する弾圧を新たに生み出したわけではない。法輪功に対する迫害は、すでに1999年に始まっていた。
しかし、その後の展開を見るならば、状況は改善したとは言い難い。
むしろ、近代化と、党の権力の外部に自律的な重要組織が存在することを認めない政治的傾向とが、同時に進行していった。つまり、経済的な開放が、そのまま政治的な自由化を意味するわけではなかったのである。
取引に何ができるのか
孫子の「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」という格言は、単に相手の武器や兵力を把握せよという意味ではなく、重要なのは、相手がどのような思考の枠組みで世界を見ているのかを理解することである。
もしワシントンが、市場を求める北京の要求は理解しながらも、中共が経済統合そのものを政治的統制の下に従属させるという構造を見誤っていたのなら、その失敗は情報不足ではない。
分析の枠組みそのものの失敗である。そして、分析の枠組みが誤っているのであれば、より強硬になろうと、より融和的になろうと、それだけでは問題を解決できない。
敵対者もまた、米国を分析している。北京、モスクワ、テヘランは、米国の選挙サイクル、同盟国の疲弊、そして4年間の政策が8年という時間軸を生き延びるのかどうかを注意深く観察している。
米国の戦略は、選挙によって変わりうる。これは民主主義への批判ではない。構造的な事実であり、能力のある相手であれば、それを戦略に織り込む。
権威主義体制は、より長い時間軸で一貫した戦略を維持できるかもしれない。
しかし、その長期性そのものが、別の死角を生み出すこともある。
何十年ものあいだ、北京は、米欧の商業的欲求、選挙による政権交代、そしてグローバル化したサプライチェーンへの依存を、ほとんど不変の前提として、自国の力を蓄積してきた。
ところが、ワシントンがその前提を崩し、輸出規制、対中投資制限、産業補助金などを通じて戦略的な対抗措置を取り始めると、中国共産党もまた、米欧には自ら環境を変える意思と能力があるという現実に向き合わざるを得なくなった。
だからといって、米国が敵対者との交渉から手を引くべきだということにはならない。
むしろ逆である。
敵対者との合意は、ときに同盟国との合意以上に重要な意味を持つ。
停戦は人命を救う。軍備管理は、破滅的なエスカレーションのリスクを低下させる。二国間の通商枠組みは、経済的摩擦が現実の武力衝突へ発展することを防ぐ。
問題は、交渉するか否かではない。交渉によって何を達成したと考えるのかである。
中共という体制を理解するのであれば、持続的な政策は、敵対的競争が続くという前提から出発するべきだろう。
必要なのは、両者が最終的に一つの秩序へ収斂していくという期待を捨て、合意が実際にどのような戦略的効果を生むのかを検証することである。
問うべきなのは、次のような問いだ。
・この取り決めが明日崩壊したら、何が起きるのか。
・私たちは、短期間では解消できない依存関係を自ら作り出してはいないか。
・将来取り戻すことのできない交渉上の影響力を、今ここで手放してはいないか。
・この合意によって生まれた時間的猶予を使い、より速く能力を蓄積するのは誰なのか。
・相手の協力や許可なしに、合意が守られているかどうかを検証できるのか。
・この取引が二年後に破綻したとして、私たちは署名した日よりも強い立場に立っているだろうか。
指導者たちが握手を交わし、カメラのフラッシュが焚かれ、「歴史的な突破口」が開かれたという報に市場が沸き立つこともあるだろう。
しかし、首脳会談が成功したかどうかを判断する前に、一つだけ、決して避けてはならない問いがある。
両者は、本当に「同じ取引」をしたのだろうか。

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