浜崎あゆみ2026年日本ツアー名「Scapegoat」に込めた矜持

2026/02/21
更新: 2026/02/21

浜崎あゆみというアーティストは、常に時代を映し出す鏡であった。90年代末のデビュー以来、彼女は若者の孤独や葛藤を代弁するカリスマとして君臨した。その浜崎あゆみが2026年の日本公演ツアー名を「Scapegoat(スケープゴート)」と冠した。このタイトルは、彼女自身の四半世紀以上にわたるキャリアが常に何らかの「代償」の上に成り立ってきたという自己認識の表れであると同時に、昨年末に起きた上海公演の突如中止という不測の事態との深い結びつきも感じられる。

2025年11月29日に予定されていた浜崎あゆみの上海公演は、1万4千人の観客動員を予定し、ステージ設営も完了していた本番前日に、中国当局から「不可抗力」を理由に突如として公演中止が命じられた。この背景には、日中関係の緊張や中国共産党政権の対日攻勢があったと見られている。

この理不尽な事態に直面しても、浜崎は現地を離れることなく、撤去される前のステージでダンサーやバンドと共に本番同様のフルパフォーマンスによる「無観客ライブ」を最後までやり遂げた。これは、政治や情勢という巨大な力によって「表現の場」を奪われたアーティストの、静かだが、しかし烈火のような抗議であった。中国の一部メディアが「流出した映像は単なるリハーサルに過ぎない」と報じたことに対し、浜崎は1月18日に実際の公演映像を公開し、「このOPがただのリハーサルに見えますか」と正面から反論している。観客の不在に関わらず一切の妥協なく行われたこのステージを、彼女は「自身のキャリアにおいても指折りの最高なライブだった」と振り返った。

この一連の事件において、浜崎とファンは国家間の不和という抗えない濁流の「スケープゴート」にされたと言える。しかし、「Scapegoat」というタイトルには二つの側面がある。一つは理不尽な世界で犠牲になる弱者への共感であり、もう一つは、たとえ生贄にされようともステージという聖域だけは誰にも侵させないという表現者としての妥協なき矜持(プライド)である。またそれは、90年代末のデビュー以来、大衆の欲望や批判を一身に浴びる「依代(よりしろ)」として私生活や内面を曝け出してきた彼女の生き様そのものでもある。

浜崎あゆみというアーティストは、常に時代と心中するかのような生き様を見せてきた。90年代末のデビュー以来、彼女は単なる歌手にとどまらず、若者の孤独や葛藤を一身に背負うアイコンとなった。それは言い換えれば、世間が抱く「言いようのない不安」を身代わりとなって引き受けることでもあった。

彼女は、自身の失恋や孤独、苦悩さえも隠すことなく歌詞に綴り、ステージで表現してきた。私生活をエンターテインメントの「素材」として提供し続けるその姿は、大衆の抱く幻想や欲望を一身に浴びる「器」のようでもあった。

かつての彼女が「絶望三部作」とファンの間で呼ばれるような「個人の絶望」を歌う存在だったとするならば、現在の彼女は「表現の自由」を死守する象徴へと進化している。

上海での不測の事態の後、浜崎はSNSで「弱ってんのもいい加減にして、そろそろ血の味がする世界に戻る準備をしよう」とファンに向けて強い覚悟を綴っている。さらに2月18日には、「Scapegoat is getting loud.(スケープゴートが騒がしくなってきた)」と語り、この不穏な言葉を希望へと昇華させようとしている。

2026年4月から始まる日本ツアーにおいて、ステージに立つ彼女が見せるのは悲劇のヒロインの姿ではない。あらゆる理不尽を飲み込み、上海で遮断された声をより強固なメッセージとして日本全国に響き渡らせる、真のアーティストの帰還となるだろう。

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▶大紀元EPOCH TIMES JAPAN編集長 ▶「日本の思想リーダーズ」番組ナビゲーター 、「大紀元ライブ」番組ホスト。