昨年12月28日以降、イラン各地で市民による抗議活動が続いている。当初は経済危機への対応を政府に求める動きだったが、次第にイスラム体制の打倒を訴える抗議へと発展し、活動は1月8日と9日にピークを迎えた。政府はこの間、電力やネットを遮断したうえで治安部隊を動員し、市民に対する大規模な弾圧を行ったとされている。最新の情報では、わずか48時間の間に、3万人以上が当局によって殺害された可能性があるという。
イラン保健省の高官2人は、「タイム」誌に対し、1月8日と9日の2日間だけで、最大3万人が街頭で命を落とした可能性があると証言した。治安部隊による殺害の規模が極めて大きく、遺体処理能力が限界を超え、遺体袋が不足したため、救急車の代わりに18輪の大型トレーラーが動員されたという。
政府内部で集計されたとされる未公開の死亡統計は、1月21日に最高指導者ハメネイ師が発表した死亡者数3117人を大きく上回っている。3万人という数字は、人権団体が把握している犠牲者数をも大幅に超える。アメリカに本部を置く人権活動家通信社(HRANA)」によると、1月24日時点で確認された死者は5459人で、さらに1万7031人について調査が続いている。
「タイム」誌は、保健省が把握した2日間の死亡者数が、医師や救急隊員から提供されたデータと概ね一致していると報じている。これらの統計をまとめた独系イラン人眼科医のアミール・パラスタ博士によると、1月23日時点で、病院記録に基づく非公開の死亡者数は3万0304人に達した。
同博士は、この数字には軍病院で登録された抗議関連の死亡者が含まれておらず、遺体が直接安置所に送られたケースも反映されていないと説明した。調査が及んでいない地域での死亡者も含まれていない可能性があるという。イラン国家安全保障委員会によれば、抗議活動は全国約4000か所で確認された。
パラスタ博士は、「実態に近づきつつあるが、実際の犠牲者数はこれを上回る可能性が高い」と述べた。
「タイム」誌は、48時間という短期間での大規模な殺害は歴史的にも極めてまれだと指摘し、比較可能な事例として、1941年9月にウクライナのキーウ郊外バビ・ヤール峡谷で起きたナチス・ドイツによる大量銃殺事件(約3万3000人)を挙げている。
また大紀元が入手した中国共産党総参謀部内部の統計とされる資料によると、1989年の天安門事件では、6月1日から10日までの死亡者数が3万1978人に達したとされるが、正確な数字は現在も明らかになっていない。
今回の事態では、犠牲者一人ひとりの人生にも注目が集まっている。「タイム」誌はその一例として、1月9日にイラン中部イスファハンで亡くなったとされるアニメーション作家、サハバ・ラシュティアンさんの事例を紹介した。
友人によると、抗議の声が上がる前にサハバさんは路上で倒れているのが見つかり、妹が手に血が付いていることに気づいたという。サハバさんは生前、自分の名前について「『サハバ』はワインを意味し、イスラム共和国では禁じられている」と冗談交じりに語っていたとされる。
葬儀では宗教儀式が許可されず、白い服を着た父親が参列者に対し、「娘は自由へ向かう道の途中で命を落とした」と語ったという。
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