2月に中国・上海の火鍋チェーン店「海底撈(かいていろう)」で起きた「火鍋放尿」騒動の波紋がまだ続いているが、また同様の「事件」が起きた。
中国浙江省杭州市のレストランで、3月13日、親が子供にコップのなかへ排尿させたことがわかった。
これら「放尿事件」は、中国の若者のモラル問題を浮き彫りにし、中国社会に大きな衝撃を与えている。
店内の席でわが子に「コップのなか」へ排尿させる親
店内の別の食事客もいるなかで、席の上で水飲み用のコップのなかへ、子供に排尿させる親がいること自体が信じられない。
隣席の客が、中国メディアに証言したところによると、この非常識な行為について、店員は一部始終を目撃していたという。しかし、見て見ぬふりをした。そして尿入りのコップはそのままテーブルの上に放置され、風に乗ってその異臭が隣席にまで漂ってきたと言う。
「食欲が一気に失せた」
と隣席の客はついに堪忍袋の緒が切れて、店に抗議をし、店員に対応を求めた。
監視カメラから事実確認をした店側は、「汚染されたコップ」を廃棄し、隣席の客に食事代を返金して弁償すると言ったが、客は弁償金の受け取りを拒否した。
「海底撈」で起きた「火鍋放尿」騒動の記憶が全く薄れていない中で起きた今回の「事件」。
関連トピックスに寄せられたコメントのなかには、このような声が目立つ。
「親があれでは、子供も海底撈の火鍋に放尿する人に育つだろう」
「教育の失敗が、そうした非常識な子をうむのだ」
「なぜ中国は、こうなってしまったのか?」
モラル低下は誰の責任?
「中国人」と聞いて、あまりいい印象を抱かない日本人は多い。「マナーが悪い、大声で話す、他人の迷惑を考えない……」挙げたらキリがない。
中国人に限ったことではないのだが、犯罪は「道徳レベルの低さでもたらされる」と断言できる。
古代中国は文明国だった。中国の伝統文化には「修煉」の文化があった。修煉とは簡単に言えば、絶えず自分の心を修め、良い人間、更に良い人間になろうとすることであった。
良い人間の基準、つまり修煉の目標は何か? 数千年来、中国では「三教(道教、仏教、儒教)」を信仰してきた。
道教の「真」、仏教の「善」、儒教の「仁、義、礼、智、信」および「中庸」思想、これらが中国人の心を修める基準であり、中国人はこれらを「心法」と言い、昔の中国人の道徳規準であった。
これを日本的な感覚でいうと、「自らを律する基準」だ。
そのような「良い人間の基準」で自分を律する人は、故意に悪事をすることがないと言う。
しかし、1949年、中国共産党が中華人民共和国を建て、西洋からマルクス主義を輸入し、中国伝統文化を封建迷信と批判して破壊し尽くしてしまったのだ。
日本人はとても優しく、優しい人は、いつも善良な心で相手のことを考える。だから、多くの日本人は、中国人が日本社会に掛ける「迷惑」を、文化の差異によるものだと言う。
実は、文化差異と言っても間違ってはないが、ただし、それは中国伝統文化ではなく、人を人でなくさせる「(中国共産党の)党文化」なのだと断言できる。
「党文化」の特徴は「嘘、悪、暴力」の三文字にまとめられる。この「党文化」こそが直接、中国人の道徳レベルを低下させたのだ。
これに加え、中国共産党は長きにわたり、中国人に「無神論」を教えてきた。
神を信じない、道徳の低下した人たちのやることはあまりに怖すぎる。
多くの中国人が訪れる日本も、もはや対岸の火事では済まされないかもしれない。

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