【独占インタビュー】元中国共産党スパイが自身の過去を暴露(上)

2024/07/05
更新: 2024/07/05

17年前、当時22歳だった「エリック」は夢を追い、理想に憧れながら、自由を追い求めていた。

学業の傍ら、エリックは中国国内のインターネット規制をかいくぐるソフトウェアを使い、「壁の外」の自由な情報を探し求めた。自分が危険な道へ踏み出していたことも知らずに。

2008年のある日、中国共産党(中共)の公安当局が家の玄関にやってきた。脅迫を前に、エリックの人生は暗転することとなる。

15年にわたるスパイ生活の後、エリックはオーストラリアへと亡命した。最近になり彼は身分を公開し、エポックタイムズに自身の内心の変化を明かした。

亡命先の決定

──2011年、米国の駐中国大使館に助けを求めた際、うまくいかなかったのはなぜか。

それは複雑な事情と、その他の秘密事項にかかわる。この秘密事項は、とある人物が現在証拠を集めている最中だ。証拠があらかた出そろったあたりで、また正式にこの秘密を暴露したいと思う。

──今回(2023年)なぜオーストラリアとニュージーランドを亡命先に選んだのか。

当初はカナダを考えていたが、拒否された。当時カナダにビザを申請した際、待てど暮らせど結果が返ってこなかったために、変だと思い、オーストラリアのビザを申請した。初めから「ファイブ・アイズ(英語圏五か国で構成される機密情報共有枠組み)」の国々から選びたかっただけだった。身の安全や言語といった観点で適していたからだ。

オーストラリアのビザが降りたのち、ついでにニュージーランドのビザも取得した。その後はコイントスをしてオーストラリアに決めた。

米国はというと、あまり気が進まなかった。米国当局との間には複雑な事情があり、詳細はまだ言えない。あとは当時、コロナ期間中の移動制限が大変厄介だった。ビザ申請をするには広州の米国大使館まで行く必要があり、大使館の外で長時間順番待ちをするのは私にとっていくぶん危険な行為だった。

中国からの脱出

──タイから中国へ召喚された後、どのように中国を抜け出せたのか。

私は2022年の4月に帰国し、一か月隔離生活を過ごした。中国を出国したのは次の年の旧正月、すなわち1月頃なので、その間に数か月時間があった。中国へ戻ってから多くの兆候に違和感を覚えたので、インターネットで海外ビザの準備を始めた。

ビザが降りた後は、もちろん一度タイを経由することになった。欧米諸国のビザを手に持ったまま税関でとめられた場合、亡命以外の理由で出国の必要性を説明するのは困難だからだ。

タイへ行くとなれば納得しやすい。例えば、帰国して学業を続けるよう家族に言われている、といった理由だ。

それに、タイでいろいろやらなければならないこともあった。当時、別の人に保管を頼んでいた銃や携帯を回収するといった業務だ。観光ビザでは出国できなかったが、学生ビザなら可能だった。偶然私もタイの大学に通っていたため、学生ビザを申請するのはまったく自然な方法だった。

──タイにはどれほど滞在したか。

おおよそ一か月ほど、万が一を考えて転々としながら滞在した。タイでの仕事の経験から、タイはかなり危険なところだと知っていたからだ。2023年の2月、オーストラリアへ渡った。

身分を明かした後

──亡命後、身の回りや家族に対して影響は。

中国共産党の動きに関して一定の危険性はあるが、直近で何か起こることはない。中共のスパイ活動については多くの人が注目し、メディアによる取材も続いている。このタイミングで何か行動を起こすほど中共も愚かではない。

これまで多くのメディアで顔出しをしてきたが、顔照合に長けた中共が私の氏名を公表したり通報したりしないのは、それがかえってトラブルを起こすことをわかっているからだ。彼らが今大きく動くことはない。沈黙を保ち、ほとぼりが冷めるのを待つことが最も賢明だからだ。何か動きがあるとしても、それはのちのことだ。

──身分を明かしたのち、中共からの脅しや警告、接触はあったか。

ない。以前奇妙な国際電話が2本ほどかかってきたことがあり、初めての経験だったが、その電話には出なかった。その他は何も起きていない。やはり中共にとって、今は行動を起こすべきタイミングではないのだ。

オーストラリア政府の反応

──オーストラリア保安情報局(ASIO)とコンタクトをとった際、それ以上連絡しないよう言われたことについて、どう考えているか。

あくまで個人的な推測に過ぎないが、当局は私の居場所が特定されたり、彼らの組織内部から情報が洩れる危険性を心配していたのだろう。具体的なことはわからない。ASIOに関わる内容について、ここでは言いにくい。彼らとは何度も接触したが、彼らには彼らの考えがあるのだろう。

──オーストラリア政府とコンタクトをとって、信用されていると感じたか。

私の身分に関して問題視はしていないだろう。彼らの評価も大方予想はつく。こういう問題は多角的な証拠が存在する上に多くの第三者にも関わるため、事実確認がしやすい。身分に関してオーストラリア政府は疑問視していないだろう。本物は偽物たりえないのでね。

──オーストラリア政府が王立強氏の保護ビザ申請を許可しなかったが、何か心配は。

王立強氏のことについては比較されることも多いため、少し話したい。

王立強氏本人についてはニュースで見聞きしたにすぎずよく知っているわけではないが、彼にはこれといった証拠がないように見える。彼の主張の節々にはスパイ活動に関わるものもあり、検討が必要だ。

私と王氏では多くの点で異なっている。例えば彼は、「向心」という身分が明らかでない者を自分のボスだと主張しているが、私は中共の公安部政治保衛局(元国内安全保衛局)の所属だった。省と同格の直轄市に属し、私は上層部の直轄の管理を受け、人事書類もそこに保管されていた。

私の直属の上司、すなわち毎日顔を合わせて話をしていた者は、省政府法執行機関直属の下部組織をまとめる立場にあった。つまりきちんとした身分の警官であり、私と王氏では異なる点が多いのだ。

──オーストラリア政府に追放された中国商人はどういった状況か。

具体的な状況はなんとも言えない。周知の通り、オーストラリアを含め多くの国の華人コミュニティ、商会の類は、中国共産党が利用する対象だ。団体の中のかなりの割合が親共で、中共の指示を受けて秘密行動をしたりする。オーストラリアという場所で一部の商会が重要な役割を担い、商人の身分と資源を利用して、公には実行しにくいことを中共にかわって行っている可能性は排除できない。

オーストラリア政府に追放されたこの者については、関連する証拠を見ていないのでなんとも言えないが、このような現象が存在するのは間違いない。

安平雅