正統文化の中の「天人合一」

2023/10/08
更新: 2023/10/09

五千年の歴史を有する中華文化は、先史文明から継承してきたことも含めて、物質と精神に対する理解が深く、科学的な知識にも富んでいます。

現代西洋の実証科学が、現象を一つ一つ分析して知識を統合してきたのに対して、中国古代の科学は、宇宙、生命、人体等の方面において、最初から全体を視野に入れての統合を、洞察・省察した結果生まれてきた全体の科学なのです。

しかしながら、現在ではその中国正統文化の正当性について理解するものはほとんどいなくなってしまいました。

人は生まれてすぐに、五官を通して周囲の人や物を認識することを学びます。自らの感覚から周囲の事物を観察し、己の存在とその他の生命や事物を認識し、それをもとに自らの命運を決定していくのです。

しかし、その認識は往々にして狭く、宇宙のその他の世界については無関係であるといえます。これは、ニュートン物理学に由来する限定された観察方法です。

この限定された観察方法は、人が後天的に獲得した「常識」であり、一方でその常識がその人の思考、推理、判断を導いていきます。

中国古代の科学は、立体的かつ全方位的なもので、地上の人々と天(次元の異なる世界、天界あるいは天意・天象)との密接な関係を明らかにして来ました。その科学観から、人々は天象の変化を観察し、人間界の大きな影響と今後起こるべき出来事を予測して来たのです。

「三国演義」によると、諸葛亮(字は孔明)は自らが没する前夜、荒野において流れ星を観察し、自らの命運を悟ったとされています。

見えない世界の何かを感じ取る、それが正しいことであれば、それこそが「天意」といえるものなのです。この種の天と人の間に存在する「天人合一」の見方こそ、中国正統文化の中にみられる重要理念の一つです。

「天人合一」は、明らかにニュートン物理学の極限された観察方法を超越するものであり、人々の常識を超えているため、全面的に西洋科学を信じきった現代人の頭には理解しがたいものです。見えないものを感じ取る感性の世界なのです。

実際、現代科学を用いて「天人合一」を解釈してみましょう。量子力学では、粒子の動きは肉眼で見える物質の動きとは異なるものです。近年、量子力学の分野では粒子の「非局所性」(non-locality)が証明されており、それは常識を覆すような画期的な発見であるといわれています。

量子の「非局所性」とは、相互作用していない2つの粒子が、互いに遠く離れている時、一方の粒子に対するある物理量の測定が、他方の粒子に対する測定結果に影響を及ぼすことです。

つまり、空間的、あるいは時間的に離れている粒子どうしが、ある条件下では深い因果的関連性を持つことが観測されるということです。簡単に言えば、因果関係が時空を超えるということでしょうか。

一個の粒子に対して何らかの作用を及ぼすと、その瞬間にもう一個の粒子がそれを感知して、反応するというものです。

この反応は、時空の制約を超えて、ほぼ瞬時に行われ、何らかの信号をそこに伝達する必要はありません。この理論によれば、ふたつの粒子がどんなに遠く離れていても、片方で発生した出来事は、即時に別の場所で反映されるということなのです。

量子の「非局所性」理論は、「天人合一」という中国古来の考え方に通じています。中国古代の科学は、地球、人類などの総てが宇宙の中にあり、目に見えない総合的で、内在的な連携があると考えて来たのです。「天人合一」は迷信ではなく、現代科学でも説明できることなのです。

「天人合一」という宇宙観と、量子力学の「非局所性」は、大きくは宇宙と個との関係を表すことができ、西洋の実証科学に挑戦するものです。

実証科学の見方は、一面的でありかつ局所的なので、「木を見て森を見ない」ようなものです。宇宙中の物体に存在する目に見えない連携は、実証科学を用いようとすると非常に理解しがたいものとなってしまいます。

西欧流の実証科学の考え方は、機械的な解析で、個体の分析を通して全体を理解する「全体は固体の集合体」というものです。

即ち、実証科学には、個体間には何の連携も存在しないという仮定があるのです。量子力学の「非局所性」は、実証科学が用いる機械的な解析方法が自らその説を全うせず、致命的な過ちを冒していることを明らかにしています。現代科学の行き詰まりは、このあたりを主要因にしているかも知れませんね。

実証科学の物質に対する認識は、非常に局限されたものであり、とても精神領域の研究には使えないものであるため、生命の本質に対する理解も深くありません。

しかも、数学史上三番目の危機が今もなお最終的な解決を見ていないのです。(※)そのため、有限の立場に立つ実証科学の公理化体系それ自体にも数学と同様、巨大な局限性をもっているのです。

中国の正統文化は、「神伝文化」と言われており、宇宙、人類、生命に対して深い認識に到達していました。

早くも数千年前に、中国の古代文明は「天人」の認識に到達し、全体と個との関係を看破していたのです。

人類社会と宇宙とは一個の全体であり、天象の変化はそのまま人類社会に反映されます。このため、中国史上の歴代王朝は、天文・天象の観察を非常に重視し、暦法の計算だけでなく、人間界の変化をつぶさに観て政権の交代を予期しようとしたのですね。

中国史上の多くの民間人が、天象の観察を通して世間の大事件と政権交代を予知してきました。現在の中国で見られる「脱党ブーム」も、人間界に現れた一種の天象だと言うしかありません。

(※)いわゆる「ゲーデルの不完全性定理」によって、有限の立場に立つ限り、数学がそれ自体無矛盾であることを証明できないという証明がなされた結果、数学が無矛盾であるということの証明が未だに模索し続けられています。

(明慧ネットより転載)

一夫