「翼」折られたパイロット 艱難越えて 米国で再び空を飛ぶ

2023/10/01
更新: 2023/09/27

中国本土で華々しい活躍を遂げていた青年の民間航空機パイロットは、突然降りかかった中国共産党の迫害政策によって、その「翼」をへし折られてしまう。

その信条を理由に監禁、収容、洗脳などの仕打ちを受けてきた張国良氏。中国で操縦士としての資格が停止され、航空知識は失われていく。しかし、幾つもの難を越えて渡米。改めて米国で航空技術を習得し、再び操縦桿を握ることに。

これは、とある信仰深いパイロットが再び大空へ舞う「翼」を取り戻すまでの物語だ。

優秀なパイロット学生

1993年、当時17歳で数千人の中学生の中から選ばれた張国良氏は、厳しい試験を突破し、パイロット養成学校として名高い中国民用航空飛行学院に進学した。そして、大学3年生の時、気功修煉法・法輪功と出会った。

90年代に人気を博した法輪功(法輪大法とも)は、当時およそ7000万人から1億人が学んでいた。法輪功の心身の健康に対する効果は高く、張氏も「真・善・忍」を理念とする心性の修煉にいそしんだ。またたくまに、心身に良好な効果があらわれたという。

1997年、張氏は大学を卒業し、21歳の若さで民間大手の中国南方航空のパイロットとなった。新進気鋭の若手ホープとして、全力で仕事にうちこんだ。華々しい前途に期待を膨らませる張氏だったが、突然、その翼を奪われてしまう。1999年7月20日、中国共産党による法輪功弾圧がはじまったのだ。

パイロット資格の剥奪

1999年、権力に不安を覚えた江沢民元総書記は法輪功迫害を決め、法輪功の放棄を強制した。しかし、張氏は迫害に屈することなく「真・善・忍」を守った。ところが、それを理由に張氏はパイロットとしての資格を剥奪され、一連の証書も没収された。二度と空を飛ぶことができなくなってしまった。

資格を奪われただけではない。中国当局による軟禁や監視、刑務所、強制労働所、洗脳センターといった生活を繰り返すうちに、張氏が懸命に習得してきた航空技術の知識は失われた。それは文字通り「生き地獄」だったと張氏は語る。

張氏は中国共産党の監視対象者リストに入っていたため、どこへいっても当局の監視がついていた。終わりの見えない監視生活だった。

張氏は中国大陸では普通の生活は送れないと思い、香港行きを決心。ところが、深圳市と香港特別行政区の境目に位置する出入境検査場に到着した所で警備員に止められてしまった。張氏はそこで香港・マカオ入境許可書を没収された。

米国へ逃れる

八方塞がりに陥った張氏は、ついに祖国中国からの脱出を決めた。2010年、張氏は友人の助けのもと車に乗り、険しい山々を超えて雲南省の国境地帯に到着する。そこからは船を使ってタイに入った。

張氏はタイで過ごす4年の間に、幸運にも国連難民高等弁務官事務所UNHCR)の助けを得て難民申請に成功。結婚して二人の子宝にも恵まれた。張氏は一人の難民ではあったが、それでもタイでは自由な空気を吸うことができた。

2013年6月、UNHCRの手配で張氏一家4人は希望を胸に米国へと旅立った。

再び大空へ舞う

米国での生活は何もかもがゼロからのスタートだった。それでも、信仰の自由が保障されている米国では自由に法輪功の書籍を読んだり、公園で煉功したり、さまざまな活動に参加することができた。思想の自由を得、縛り付けられていた精神状態が解放された張氏の心身は瞬く間に回復していった。

すでに十数年も飛行機を操縦しておらず、航空知識については古いままの張氏は「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」という法輪功の教えに従い、強い意志をもって必死に勉学に励み続けた。最後には高い英語レベルと、最新の航空技術・知識を学び直した。

張氏は見事航空界でのキャリアを再開。徐々に小型機、中型機、大型機とサイズを上げ、現在は米地域航空会社トランス・ステイツ航空のパイロットとして活躍している。張氏はついに、再び広い青空へと羽ばたく「翼」を取り戻した。

長らく離れていたコックピットに座る時にはさまざまな感情が込み上げてきた、と張氏は当時を振り返る。

米国で再びパイロットとして活躍する張国良氏(本人提供写真)

異なる二つの場所

同じ法輪功を修める者にとって、中国と米国では全く境遇が異なる。中国で法輪功を学べば、就業・就学の不可など社会的差別を受け、さらには拘束や拷問の危機に直面する。それは鍛錬したパイロットでさえ例外ではない。いっぽう、自由の国・米国では信条の自由が尊ばれている。

今なお中国国内では法輪功迫害が続いているが、張氏は「邪が正に勝つことはない。暗雲は太陽を遮ることはできない、事の真相はいつか白日の元に晒されるだろう」と力を込めた。

周慧文