河北省に甚大な洪水被害をもたらした当局のダム放水は「綿密な計画」に基づいて行われた。そのことを裏付ける河北省涿州市政府の複数の内部文書が今月20日、ネット上に流出した。これらの文書の日付は「7月29日付」である。
文書の一部を要約すると、7月29日の時点で「桃園街、宜和荘鎮、馬頭鎮など8つの村を指定して、ダム放水の影響による洪水がどの程度になるかを検証するため、テスト放水をおこなう」という内容がみられる。
また、同じ文書の後半のほうには「この任務(ダム放水による人為的洪水)を実行できなかった場合、その担当者は、戦時と同等の規定によって厳しく責任が問われることになる」という脅迫めいた文言もある。ダム放水を実行することが、上層からの絶対命令であったことが分かる。
住民を「はじめから犠牲にする計画」だった
つまり、この文書の内容は、涿州が所属する保定市などを「はじめから犠牲にする計画」であったこと。さらに、それを河北省の役人たちが事前に(少なくともダム放水の2日前には)知っていたことを示しているのだ。
役人たちは「計画されているダム放水」が甚大な被害をもたらすことを知りながら、住民に対して避難指示を出さなかった。また、この関連情報が外部に漏れないよう、各地の役人に口止めする「緘口令」を敷いていた事実も、これらの文書で明らかになった。
7月31日前後から、予告なしのダム放水が始められた。その多くが夜であったため、住民が避難することは極めて困難であった。これにより、涿州市をはじめとする河北省の多くの町が、住民もろとも大洪水に呑み込まれることになる。
洪水が引いた今、被災地には、恐るべき量の泥と犠牲者の遺体や家畜の死体が大量に残されて、すさまじい腐臭を放っている。かろうじて生き残った住民が目にしたのは、あまりにも無残な、壊滅した故郷の姿だった。
当局は今でも、一貫して「洪水は、大雨による自然災害であった」と主張している。しかし、このほど明るみになった文書が示した「真実」は、被災者にとって、あまりにも理不尽なものだった。
河北省を「見捨てた」のは、全てが計画された上でのことであった。首都の北京市、および習近平主席が主導する「未来都市」である雄安新区を水害から守るために、当初から計画的に仕組まれた「人禍」であったことが証明されたのである。
繰り返すが、ダム放水の前に、住民へ避難指示を出すことは物理的に可能だった。
しかし当局は、それをしなかった。事前に避難指示を出せば「ダム放水を察知した反対者が押しかけて、この『重要任務』を遂行できなくなる」と思ったのか。だから、河北省の7400万人の住民に対して「このまま何も知らせず、水底に沈めて、口を封じてしまえ」と考えたのか。
これを「政治的判断」というのなら、それを命じた中国共産党は、恐るべき悪魔であるに違いない。
村を守るため、当局と闘った民衆もいた
趙蘭健氏は、米国在住の中国人調査ジャーナリストである。趙氏は7月28日の時点で、自身のツイッターに「河北省の役人が内々に明かした情報」として、ある警鐘を鳴らしていた。「まもなくやってくる洪水は96年8月の時より規模が大きい。河北省は、そのつもりで備えるべきだ」と。1996年に起きた洪水により、涿州では38の村が浸水している。
この時(7月28日時点)エポックタイムズの取材を受けた趙蘭健氏は、「ダム放水計画があることについて、中国共産党の体制内の官僚たちは、みな知っている。だが、この情報を一般市民に告げることは許されていない。この警告を、真剣に受け止めてほしい」と訴えた。
趙氏が得た情報によると、河北省の当局は、ダム放水の被害を受けるであろう地域の市民に対し、事前に避難させる必要性があることを「十分に認識していた」という。
だが、明るみになった内部文書には「担当者(地元役人)が、もしダム放水を実行できなかった場合は、厳しく責任追及をする」と書かれていた。つまり地元役人の頭には、自分が後で責任追及されないため、この重要任務(ダム放水)を遂行することしかなかったのだ。
それでも今回の洪水のなかで、一部の村民が「まもなくダムが放水される」という噂を聞き、現場へ駆けつけている。
実際に、村を守るために命をかけてダム放水させない村民と、ダム爆破を企む当局者との間で「もみ合い」が起きていた。その場所に限っては、最終的に村民側が勝ち、当局者がダム爆破をあきらめたケースもあったのだ。
そのような事情もあって、村民からの激しい抵抗を想定したのか、結果的に当局は涿州市のほとんどの村と市街地が完全に浸水した8月1日まで、住民に対していかなる避難指示も出していない。
「習主席を喜ばすこと」しか考えない官僚
これだけでは飽き足らなかったのか、住民にとってさらに残酷なことが重なった。
当局が許可しないため民間の救助隊が現地へ入れず、大勢の被災者が洪水のなかで立ち往生する極限状況にあっても、当局は涿州市に対して、2回目のダム放水を行ったのだ。その結果、水位が最も高いところでは12メートルを超えた。
こうして河北省の役人たちは、自分の「官職」を失わずに済んだようだが、その代償として、無数の民衆の命と家が犠牲になった。
首都・北京を守るためとはいえ、その北京の中南海から、被災地を訪れた最高指導部のメンバーは、ついに一人もいなかった。
2008年5月12日に四川大震災(汶川大地震)が発生した時には、当時の温家宝首相がすぐさま現地へ飛んでいき、被災した子供たちを抱きしめる「演技」を見せた。温首相は、周囲の要員を𠮟りつけて「何をしている。この子たちに、早く食べ物を持ってきなさい」と指示した。
しかし今回は、どうであろう。そうした「演技」をする政府要人さえいないのだ。
実際、一部の被災者は、地元当局からほとんど援助を受けられなかったと主張している。中国の官製メディアに映るのは、被災地の住民に食料を届ける「定番の演出」だ。しかし、家や生活手段を失った被災者が、今さら数袋のインスタントラーメンをもらって何になるのか。問題の本質を隠蔽するために、違うものを見せていると言うしかない。
習近平主席は今月18日、洪水発生後、初めて公の場に姿を現した。習氏は「災害救助と国家の食料安全保障への取り組みを強化するよう」呼びかけたが、これについて一部海外メディアは「またも、総力を挙げて救援活動をし、大きな成果を挙げた、と自慢している」などと酷評している。
エポックタイムズの取材を受けた、著名な法学者で民主政治活動家の袁紅氷氏は、以下のように指摘をした。
「現在の習氏は、全ての権力を握っている。だから、彼の部下の官僚たち、最高指導部メンバーでさえも、みな躺平(寝そべり)状態だ。習氏の指示がないことに関して、彼らは、できるだけ何もしないようにしている。これこそが、中国共産党にとって最大の危機の一つだ」
「河北省の官僚たちの目的は、ただ一つだ。つまり、習氏を喜ばすことができれば、それでいいと考えている。洪水が北京や雄安新区に到達しなければ、官僚たちは習氏から与えられた任務を達成したことになる。河北省の人民の死活問題など、もとより彼らの眼中にはない」
毛沢東の晩年は、その存在そのものが「暴力」と化していた。毛主席を崇拝するあまり、人民は理知を失い、とんでもない極端に走った。
いま習近平氏は、中国人民には全く崇拝されていないが、官僚からは最も恐れられる存在になっている。そんな官僚たちが習氏に見せる忠勤ぶりは、もちろん本当の忠誠心からではなく、自己の保身と、あわよくば出世の好機にしたいという打算からくる「擬態」に過ぎない。
袁紅氷氏が述べた「これこそが、中国共産党にとって最大の危機の一つだ」には、そのような意味も含まれると思われる。どの官僚も、本心で務めてはいない。それが今の中共の実態である。
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