江蘇省徐州市の女性がこのほど、地元の警察や司法から不公正な扱いを受けたことについて訴える自撮り動画をSNSに投稿し、注目を集めている。
女性は2015年、23歳の時に地元で「丁」という男によってレイプされ、あやうく殺されかけた。首を絞められて失神したが、犯人が逃走した後、さいわい息を吹き返したのである。
その後、女性は警察に通報したが、その警察によって強制的に「示談扱い」にされてしまう。女性はこれを不服として何年もかけて陳情したが、逆に警察から暴力を振るわれ、不当拘束までされたという。
被害者女性が、自らカメラの前に立った
被害女性の李朦朦さんは自撮り動画のなかで自身の身分証を手に持ち、自身が受けたレイプや殺人未遂の被害、地元警察や司法の不公正について告発した。
それは被害女性にとって、思い出すのも忌まわしい辛い経験であるに違いないが、中国の公権力に巣食う不条理に対して、たった一人で闘う「勇気ある女性」の姿でもあった。
以下に、その内容の一部を紹介する。
「私は李朦朦といいます。今年31歳で、徐州市民です。2015年12月17日に丁という名の男によって、3時間以上にわたりレイプされました。その後、口封じを狙った丁によって私は首を絞められ、殺されかけたのです。失神した私を置いて丁が逃げた後、私は意識を取り戻し、警察に通報しました」
「ところが警察は(捜査などの)やるべきことをやらず、賠償金つきの示談で終わらせるよう私に強制したのです。私は示談に同意しませんでしたが(警察によって示談が)強行されてしまいました。そのため、丁は法の網を逃れて、のうのうと生きています。丁は『俺には後ろ盾がある。お前に俺を倒せやしない』と得意げに言い放っていました」
「それからの5年間、私は上級の権力機関に赴いて直接陳情するなどの『上訪』を続けてきました。2020年になって、ついに丁は『強制わいせつ罪』で懲役3年の実刑判決を受けました。しかし私は、これでは刑が軽すぎると納得できず、今もなお上訪を続けています」
「もちろん私は、働きながら陳情を続けてきました。その間、多くの苦難をなめ尽くしてきましたが、邪悪は永遠に正義に勝てない、という信念がありました。この信念が私を支えてきたのです。公安局による暴力的執法への責任追及、そして(強制わいせつではなく)強姦および殺人未遂の容疑で事件を再審し、加害者に相応の罰が下され、正義が実践されることを希望します」
「私は、楊佳になりたくはないが…」
李朦朦さんの件は、中国総合ニュースサイト大手「鳳凰網(ifeng.com)」21日付が取り上げている。そのなかで、李さんは「私が陳情を続けたため、地元警察から暴力や不当拘束などの報復を受けた」と明かしている。
その不当な拘留中に、地元警察は李さんに対し「この件を口外すれば(お前を)刑務所送りにする。永遠に外へ出られなくしてやる」と脅迫したという。
「私は楊佳(ようけい)になりたくはない。しかし、あなたがた(警察)がこれまでに私にしてきたことを思い返すと、私は、楊佳になりたいとすら思うようになった」「もしも私が公安や検察院の幹部の娘だったら、こんな仕打ちはしなかったでしょう? 私が一般家庭の子だから、犠牲にして当然だというの?」
李さんは、卑劣な脅迫をする警察に対し、そう反論した。李朦朦さんは、レイプと殺人未遂の被害者である。首を絞められ、殺される寸前にまで至った女性に対する、このような警察の仕打ちは、被害者を再び虐待するセカンドレイプにも等しい。
李さんが身分証を手に涙ながらに訴えるこの動画は今、多くのインフルエンサーによって取り上げられ「若い女性が実名でカメラの前に立った。メディアにも助けを求めたが、今のメディアはもはや(正義の)声を上げられないでいる。致し方なく、彼女はネットユーザーに助けを求めたのだ。これが彼女にとって最後の手段かもしれない。この勇敢な女性を、支持しよう」と、注目を集めている。
15年前の7月に起きた「復讐劇」
ところで、この女性の口から出てきた「楊佳」とは、どんな人物か?
日本の読者各位のなかで、この男の名前を知っている方は少ないだろう。結論を先に言えば、楊佳は殺人を犯した罪ある人間であり、すでに死刑に処されている。
しかしその名は、暴政に単独で立ち向かった市民の代名詞として、中国では知らない人はいないというほど有名である。
今から15年前の2008年7月1日。「楊佳警察襲撃事件(楊佳襲警案)」と呼ばれる大事件が発生した。北京市出身の楊佳(当時28歳)は上海市公安局の「閘北分局」を単独で襲撃し、警官6人を殺害。そのほか警官5人と保安係1人に重軽傷を負わせた。
楊佳が残した言葉に「納得のいく説明がもらえないのならば、私があなたにその説明をしよう(你不给我一个说法,我就给你一个说法)」というのがある。
中国のSNS上には様々な場面でこの言葉が多く使用されており、権力者に反抗する市民を「第二の楊佳」などと呼ぶこともある。
いずれにしても、警察への恨みを殺人にエスカレートさせた異常性や、警官署への単独襲撃を敢行するといった大胆さで、当時の中国社会を震撼させた。
事件のきっかけは2007年10月5日夜、この分局傘下の派出所の警官が、登録証の貼っていない自転車に乗っていた楊佳を止めて、職務質問したことに起因する。この時、北京から上海に旅行中であった楊は、乗っていた自転車の出所に関する警官の訊問に答えず、身分証の提示などを拒んだため派出所に連行された。
派出所でも取り調べに協力的でなかったため、楊は6時間に及ぶ過酷な取り調べや拷問を受けたとされる。最終的に、楊が乗っていた自転車は借り物であることが証明され、楊は釈放された。
しかし、派出所での拷問で楊は性器に傷を負ったという。真偽のほどは不明だが「釈放後の検査で、性的に不能になった可能性があることがわかった」とする噂も、広く流れた。
警察署へ、ついに単独で突入
警察で不当な扱いを受けたことを不服とする楊佳は、公安局の分局に訴状を送り、関係した警官の解雇と精神的慰謝料の支払いを求めた。公安分局は「取調べに違法性はない」として、楊の要求を拒否した。
この後、事件は発生する。楊は出刃包丁のほかに、ガソリンや催涙スプレー、ビール瓶を利用して作った手製の火炎瓶を携帯して、上海市閘北区公安局の総合庁舎に突入。ついに襲撃を決行した。
この日、つまり2008年7月1日の午前9時40分ごろ。防毒マスクをかぶった楊は分局の正門に複数の火炎瓶を投げ込み、混乱に乗じて、分局内に侵入。手にした包丁で、警備員や警官を手あたり次第に切りつけていった。
現行犯逮捕された楊は「故意殺人罪」で立件され、死刑が確定し、同年11月26日に薬物注射による死刑が執行された。
繰り返すが、楊佳は殺人犯であり、その犯行自体は許し難いものである。しかし、この事件は中国社会が抱える全ての不公正に対する「報復」の象徴とされ、日頃から警察官の横暴さに憤りを感じてきた中国の庶民は、楊による警察襲撃事件に(少なくとも心のなかでは)喝采を送っていた。
地方からの陳情民も「英雄の墓参り」
警察をはじめとする公権力から長期にわたり不当な扱いを受け続けてきた陳情民のなかには、単独で当局に立ち向かった楊佳を「英雄」と称賛する人も少なくない。
北京にある楊佳の墓には、今も地方からきて、花を手向ける人が後を絶たないようだ。
北京の人権活動家である胡佳氏は「私も楊佳を追悼する一人だ」という。
「(15年前の)楊の事件は、近年相次いでいる立場の弱い者を狙った社会報復事件とは全く違う。楊が殺したのは、自分に危害を加えた男性の警察官だけだった。彼は女性警官には手を出さなかった」
「楊はもともと、法律を守る良き市民であった。彼は自分の権利を守ろうとしてやれることを全てやった。それが失敗した時、彼はそのようなこと(襲撃)をした」
米政府系放送局のラジオ・フリー・アジア(RFA)2018.11.27付が、胡佳氏のコメントをそのように報じている。
楊佳の母親である王静梅氏は、息子の事件後に消息を絶った。後に、当局によって精神病院に監禁され、強制的な「治療」を約140日も施されていたことがわかった。
李朦朦さんが語った「私は、楊佳になりたいとすら思うようになった」という言葉は、現代の中国の警察が全く公正ではなく、庶民を虐げる側に存在していることを如実に示すものであった。
中国の庶民が「楊佳」という人名を思い出す時(それを実行するかどうかは別として)不条理で不公正な公権力に対し、いつかは楊佳のように報復したいという願望と一体となっている。
もちろん、暴力による報復が肯定されるべきではない。ただ、15年前の楊佳事件のころに比べて、今の中国社会が抱える不条理は、改善されるどころか一層深刻化していると言わざるを得ないだろう。
今回、李朦朦さんという「勇気ある女性」が示したものは、一切の虚飾を排した、中国の真実の一面であると言ってよい。
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