アングル:動員逃れロシアから1万キロ、男性たちの長い脱出行

2022/10/08
更新: 2022/10/08

[ロンドン 4日 ロイター] – ウクライナ侵攻を巡ってロシアのプーチン大統領が部分動員令を出した直後、モスクワ出身のティモフェイさんとアンドレイさん兄弟は、ロシアから出国すべく航空券を購入しようとした。しかし、彼らが購入サイトへログオンした時にはすでに価格が跳ね上がり、残りわずかの航空券には手が出なかった。

代わりに、彼らは車に飛び乗った。約700キロの距離を父親が夜通し運転し、隣国ベラルーシの首都ミンスクへと到着。翌朝、そこからウズベキスタンの首都タシケント行きの飛行機に乗った。

「もしロシアから出してもらえなければ、森を通り抜け、違法にベラルーシとの国境を越えなければと思っていた」とタシケントから取材に応じたアンドレイさん(26)は言う。母国に残した家族を守るため、兄弟は名字を明らかにしなかった。

プーチン氏の動員令を受けて、何万人ものロシア人男性が出国を急いだ。その多くが遠回りなルートを選んでいる。

ウクライナに隣接するボロネジ出身のジャーナリスト、キリル・ポノマレフさん(24)は、アルメニアのエレバンに向けて出国した。車や電車、飛行機を乗り継いで約1万キロ以上を移動。到着までに1週間を要した。

ポノマレフさんは、プーチン氏による発令以前からロシアからの出国を検討していた。エレバン行きの航空券は既に購入してあったものの、出発は6日後の予定だった。

ただ、プーチン氏の演説翌日、ポノマレフさんは国内で待機しているにはリスクが大きすぎると判断した。地元の自治体首長が、予備役が州から離れるのを禁じる命令に署名したからだ。 ポノマレフさんは1時間もかけずに荷造りを済ませて車に飛び乗り、600キロ離れたカザフスタン国境近くのボルゴグラードへと向かった。

そこでタジキスタン行きの長距離列車の安価なチケットを見つけた。中央アジアの移民労働者がよくロシアと行き来するのに使う路線だ。

「私の車両にいた乗客は、9割が兵役の対象年齢のロシア人だったように思う。皆、静かに互いを見合うだけだったが、全員が何が起こっているのか理解していた」

「国境で乗り込んできた係官が『こんなに大勢の男性がこの列車に乗っている光景は今まで見たことがない。皆どこへ向かっているのか』と聞いた。皆、親戚や祖母、恋人に会いに行くと口々に答えていた」と、ポノマレフさんは振り返った。

列車は17時間かけ、カスピ海に面するカザフスタンのアティラウに着いた。ポノマレフさんはそこで同国の商業都市アルマトイ行きの飛行機を見つけ、さらに2000キロ東に向かった。そこからアラブ首長国連邦(UAE)のシャールジャへと向かう航空便に乗り継いだ。

エレバン行きの飛行機を待つ間、彼は11時間の乗り継ぎ時間のほとんどをペルシャ湾で泳いで過ごした。

<安息の地>

タシケントやエレバンといった、ロシア人がビザなしで入国できる旧ソ連国の首都は、とりわけ十分な資金を持ち、いち早く避難を開始することができた都市部の中流階級のロシア人にとって格好の避難先となっている。 「ホステルの部屋を2週間予約した。実際、ここにいる全員がロシア人だ」と話すのは、ロシアからタシケントへと避難した兄弟の1人、ティモフェイさん。

「街を歩き回ると、多くのロシア人、多くのIT労働者を見かける。カフェに陣取り、仕事をしている」

ウズベキスタンはロシア人に対してビザ無しでも90日間の滞在を許可。徴兵を逃れようと入国したロシア人を国外追放することはないと発表している。アンドレイさんとティモフェイさんは、ロシア人が比較的容易に居住許可を取得できるトルコへの移住を計画しているという。

「6カ月後、もしくは1年後まで、ロシアへの帰国を考えていない」とアンドレイさんは話す。

ジャーナリストのポノマレフさんにとって、エレバンに移ったことによる最大のカルチャーショックは、議論が盛んなアルメニアの民主主義や比較的自由な報道だったという。ロシアでは全ての独立系メディアが閉鎖されている。

「確かな自由を感じることができる。これが民主主義国家だ、と思った」と、ポノマレフさんは付け加えた。

Reuters
関連特集: 欧州・ロシア