【大紀元日本3月12日】権力の集中を図ったり、反腐敗運動を進めてきた習近平国家主席。その裏に、前任者胡錦濤氏の教訓があったという。2010年、中央軍事委員会副主席に就任した習氏は、当時の最高指導者だった胡主席が江沢民派の操(あやつ)り人形になっているのを目の当たりにして、その轍は踏まないと決意したという。香港英字紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストがこのほど、2人の情報筋の話として報じた。
当時の状況について、元軍幹部の関係者の情報によると「徐才厚、郭伯雄両軍事委副主席ともに江沢民元主席の腹心。両氏は胡錦濤前主席を孤立させた」と語った。また、軍の最高学術機関である軍事科学院の関係者の情報では「江元主席は両氏を通じて軍に影響力を行使していた」と明言した。
胡氏が04年、江元主席から軍トップの座を譲り渡されたが、軍の実権を握っていなかったのは公然の秘密だった。徐才厚氏は公然と官位売買で私腹を肥やし、「胡主席の承認を得ずに人事の決定を下していた」と軍事科学院の情報筋はその傍若無人ぶりを語った。
米政府も中国軍の異変に気づいていた。2011年、米バート・ゲーツ国防長官が訪中時、中国軍が第5世代のステルス戦闘機J―20の初の試験飛行を実施した。会談で、ゲーツ氏がこの話に触れると、胡氏は驚きを隠せずその場で側近に説明を求めた。
軍事科学院の楊春長少将もこのほど、香港メディアに徐才厚・郭伯雄両氏は「権力があまりにも大きく、当時の軍トップ(胡錦濤氏)は有名無実だった」と公の場で初めてこの事実に言及した。
02年から12年まで胡氏は中国の最高指導者として君臨していたが、最初の2年間は江氏に軍トップの座を奪われていた。その後の8年間は徐・郭両氏に実権を奪われていた。「失われた10年」とも言われる胡氏の無力さを間近に感じ取った習近平氏は決してその轍は踏まないと決意したようだ。
長年の苦節に耐えた胡氏も国家主席を退任後、軍トップに留まるという慣例を破って、軍トップの座も習氏に明け渡した。
習氏は国家主席に就任後、党、政府、軍の指導権を一手に収めたほか、「中央全面深化改革領導小組」(改革を全面的に深化するための中央指導チーム)など5組織を立ち上げトップに就いた。特に、その中の「中央国家安全委員会」という江氏ですら掌握できなかった軍、安全部、公安部、外交部をまたぐ組織の長にもなった。
それ以来、名実ともに実権を握った習主席が「トラ(大物)もハエ(小物)も共にたたく」と宣言した反腐敗運動を進め、2年間で約3万人の腐敗幹部を処罰した。軍の中でも、徐氏が昨年6月、収賄などの容疑で起訴された。現在、郭氏の失脚が取りざたされている。
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