【大紀元日本4月15日】今回で7回目を数える神韻世界ツアー。現在、神韻芸術団に所属する3つの団が、それぞれアジア、欧州、北米のコースを巡回し、連日の公演は熱狂的な人気を博している。そのような神韻の海外公演に、中国共産党は今、官員や専門家からなる20人余りの「視察団」を密かに派遣し始めている。目的は、神韻の各演目にみられる舞踊や使用される衣装、音楽、制作技術などを模倣・剽窃するためだ。彼らが従来とってきた手段は、神韻公演に対する妨害や誹謗中傷などが主であったが、ここに来て「神韻に学ぶ」に方向転換したものとみられる。
まるでコソ泥、神韻に「学ぶ」中共
中国共産党によって破壊された中国伝統文化の復興を目指す神韻公演は、全ての演目に正統文化の内涵が込められている。その神韻公演が世界中で絶賛されているのは、いわば当然の結果であろう。
一方、そのような神韻を制止できないことを悟った共産党は、ここに至って新たな策略を講じた。中国国内の専門家を集めて研究チームをつくり、海外で開催中の神韻公演へ向けて、密かに「視察団」を派遣することである。
視察団の任務は、世界最高峰といわれる神韻公演の舞踊、内容、衣装、技術など演目全般について模倣・剽窃することにある。
まるでコソ泥のような所業であるが、このように本家の神韻を模倣してつくられた中国国内の海賊版「神韻芸術団」が、すでに西安や吉林に存在している。
ただし、そのレベルは極めて低く、とても神韻から「学んだ」とはいえない代物になっている。特に、中国伝統文化の内涵は、海賊版がどうあがいても学び取れるものではない。
言うまでもないことだが、神韻に「学ぶ」といっても、公明正大かつ虚心坦懐に教えを求めるのではなく、また、中国大陸の民衆が待ち望む正統な中国伝統文化を享受できるよう、中国がその大門を開いて神韻公演を受け入れるのでもない。
要するに、模倣・剽窃の類であるが、このように他者の成果を初めから自身が得たかのように偽装する技は、中国共産党の最も得意とするところである。
したがって、彼らの「学ぶ」は「盗む」と同義語である。このような、ならず者の手口は、版権等の侵犯に止まらない重大な違法行為であるため、必ずその罪は追求されるだろう。
神韻の特許・版権は、何人からも侵されない
神韻は、正規の商業公演団体として米国の法律によって保護されているとともに、その創作した演目作品およびバックスクリーンなどの主要な技術は、特許や版権を有している。
それを一層明確にするため、4月9日、神韻芸術団本部および神韻公演の各主催団体は、共同声明を発表した。声明(原文、中国語)の本文は、以下の通りである。
「神韻公演が擁する技術、内容および創作は、その躍動感あるバックスクリーンとダンサーの切り替えの配置、演目の場面に合わせて瞬時かつ流麗に展開するバックスクリーンの情景、バックスクリーンとダンサーおよび音楽の相互作用などを含め、全てにおいて特許、版権、著作権は保護されている。これらについて、他の公演主催者および個人・団体等が模倣・剽窃しないよう求めるとともに、違反者を容認しない。以上、特にここに声明する」
声明文を読むまでもなく、神韻芸術団の特許等は国際版権法の条文によって保護されており、何人からも侵されることはない。
しかし、国際社会がみな認めるこの権利を、ただ一つ、中国共産党のならず者政権だけは一顧だにしないのである。
それを不思議に思う必要はない。中共が、一貫して国際的なルールを破ることを「楽しみ」とし、他者を踏みにじることを常としてきた理由は、そもそも彼らの起源が、假(にせ)、悪、闘、騙(だます)、偸(ぬすむ)、殺、搶(うばう)などの諸悪に由来しているからなのだ。
神韻に対立する中共の「無神論」
中国伝統文化を破壊した元凶である中共が、正統な同文化の伝達者である神韻に「学ぶ」とは、なんと壮大な笑い話であることか。
そもそも中共に神韻を「学ぶ」資格があるかといえば、答えは「ノー」である。永遠に、その資格はない。
中国五千年の神伝文化の真髄を世界に広めている神韻が、わずか8年足らずの期間に、百万人を超える東西各国の主流社会の人士から称賛され、「世界一」の名を四海に轟かせたのも不思議ではない。
それは、神韻とそこに所属する団員、アーチストの全てに、深く神を信じ、天を敬う精神が貫かれているからである。観客は、ステージ上に天人合一した純善純美の世界を見出し、ダンサーがみな地上に降りた天使のように感じるのだ。多くの観客がステージを見ながら涙するという、他のいかなる公演でも見られない光景が神韻にはある。
一方、中国共産党が宣揚しているのは、徹頭徹尾、無神論である。神を信じず、神を冒涜する邪悪な者どもに、どうして神性のこもった伝統文化の公演ができようか。それこそ、身の程知らずも甚だしいと言わざるを得ない。
それはあたかも、絶世の美女である西施の愁いをまねて、醜女の東施が顰(ひそみ)のポーズをとるようなものである。
神韻の出現が中共に与えた衝撃
神韻が世に出て、またたく間に世界最高峰の芸術公演になった。その時、おそらく北京の中南海には、次のような衝撃が走ったであろう。
「長年にわたって政治運動を重ね、血生臭い文革の嵐も経てきた。中国伝統文化を伝えられる優秀な人材は、全てではないにしろ、ほぼ消滅したはずだ。なのになぜ神韻が、飛び出してきたのか。彼らは一体、どうやってあそこまで達成できたのか」
正統な中国伝統文化を根絶やしにしてきた無神論の中共にとって、神のなした奇跡は、永遠に信じられないものであるに違いない。
中共が解体の危機に瀕している現実を、中共自身が認めざるを得なくなった今日、彼らが始めたことは「神韻からの剽窃」であった。
しかし、神韻が失われた伝統文化を復興させていくのに反比例して、中共が生き延びるための邪悪な土壌はすっかりなくなっていくのである。
もしも中共が、本当に神韻からその本質を「学ぶ」ことができたならば、それによって中共は瞬時に解体してしまう。したがって中共にできることは、偽りの「学び」でしかない。せいぜい表面だけをまねて、その内涵には手を出さないのだ。文化破壊の元凶にできることといえば、小声で伝統の復興を叫び、その皮一枚をリメイクすることだけである。
しかし、たとえそうしても、彼らの邪悪な本質は永遠に変わることはない。
角度を変えて言うならば、中共さえもこそこそと「学ぶ」とは、神韻がいかに巨大な成功を収めているかの証左でもある。
2013年の世界ツアーを見ても、米国、欧州、アジアの主要都市で行われた公演では、ほぼ90%近くの回が満席という、伝説的な記録を達成した。なかでも台湾公演の熱狂ぶりは突出しており、台湾各地での46回公演のうち2回が満席、のこり44回は満席を上回る超満員で、立ち見券も売り切れた。
神韻の名声を知る香港やマカオの市民、あるいは中国大陸からも、台湾に神韻鑑賞に来た人は多い。そのなかには、トップクラスの企業家や芸術家、中共の官員やその次代の子女なども少なくなかった。
今年3月の両会(全人代と政治協商会議)では、協商会議の文芸部門の分科会のなかで、中国から海外に送り出す芸術公演が、神韻に比べて、あまりにもレベルが低いことが話題となっている。
いずれにしても、神韻の成功が、中共当局にとって大きな刺激になったことは疑いない。ただし、彼らが手っ取り早くやろうとしたのは、神韻を「コピー」して、その利益と名声を自分たちも得ようとすることだった。これこそ、典型的な党文化(中国共産党がつくった偽文化)の発想である。
神韻に「学ぶ」中国共産党。この壮大な笑い話は、中共がその滅亡を目前にして、自身をなんとか延命させるためにひねり出した苦肉の策が、ネタになっている。
哀れな末路をたどる中共を、笑いとともに、広く告知しよう。
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