広東省での大規模抗議への武力弾圧、現地農民は海外メディアにSOS

2011/12/14
更新: 2011/12/14

【大紀元日本12月14日】農民の大規模抗議が続いている広東省陸豊市烏坎村では11日の朝方4時半頃から、村民を襲撃しようとする500人余りの警察が、それに気づいた村民5千人と激しく対峙する一幕があった。

村民たちは棒や農具などで自衛し、警察は大量の催涙弾やその他の弾薬を発射し、一時は草木に引火して小火騒ぎになった。朝9時頃に双方が退散した。この前に逮捕された村民5人のうち、1人は拷問により死亡。いまでは村に通じる各道路には警察の検問所が配置され、水や電力が止められ、食糧の運び込みも禁止されているため、村民らは出入りが出来なくなっている。村民らは、海外メディアに向けて事態の緊迫性を訴え、助けを呼びかけている。

大規模抗議事件の経緯

同村では、数千ムー(1ムーは約666平米)の畑と

早朝からの対峙現場(村民提供写真・大紀元)

約1万ムーの土地が村の幹部に無断で売却されたとして、村民らは政府機関への直訴を続けてきた。

ラジオ・フリー・アジア(RFA)の報道によると、村民らは政府に2つの訴求を出している。一つは無断売却された土地の回収。もう一つは村民たちの選挙で村の幹部を決めることだ。しかし、上級政府は一切この要求に対応しなかった。

このような状況下で9月21日、数千人の村民は市政府の前で抗議デモを行い、村役場や複数のビルの窓ガラスを割るなどした。

翌22日、抗議を続ける村民には特殊警官隊は武力で弾圧しはじめた。村民らは複数のパトカーを引っくり返したり、壊したりするなどの激しい双方の衝突があり、数十人の村民が負傷して入院した。

9月24日、村民は自発的に「村民臨時代表理事会

早朝からの対峙現場(村民提供写真・大紀元)

」「村婦女代表連合会」などの組織を結成、当局との対話を要求した。しかし、その後の3カ月間、当局の解決策が出されていない。

11月21日、数千人の村民は「独裁を反対」「人権を返して」などのプラカードや幕を掲げて、同市政府前までデモ行進し、座り込み抗議を行った。現地政府は表向きで問題を調査して対応すると約束したが、その一方で、村の主要道路で警察の検問所を設置するなど監視を強化し、そして相次ぎ5人の村民を逮捕した。

海外の中国情報サイト「看中国」の報道が引用した現地村民の証言によると、現地政府は最初、13人の村民代表を選出して、政府と対話するよう提案した。実際には、この13人は身柄拘束の対象にされた。

12月5日、村民たちは抗議を続けた。同月9日から、大量の警察が村を包囲した。現在村では水と電力供給が止められ、食糧の運び込みも禁止されている。数百人の警察が主要な道路に検問所を設置、村民は村に出入りできなくなった。

10日夜、村民・薛錦波さんは逮捕3日後に急死した。現地政府は、死因は心臓疾患と説明したが、遺族は拷問による死亡を主張している。「アジア週刊」の取材に答えた遺族は、薛さんには心臓疾病はないという。指の爪は何本も剥がれ、複数カ所の骨折があるなど薛さんの遺体は酷く損傷しており、明らかに拷問を受けていたと主張する。

薛さんの死を知った村民たちは、怒りをさらに募らせ、更なる大規模な抗議を遂行しようとした。11日朝方、

警察隊が発射した爆発物(村民提供写真・大紀元)

500人余りの特殊警官隊が村民らを襲撃しようとしたため、双方が激しく衝突した。

またRFAの報道によると、インターネットでの情報では、もう1人の逮捕者も死亡したという。もし事実であれば、逮捕された5人の村民のうち、2人が死亡したことになる。

12日から、村民たちは海外メディアの取材を避けるようになった。

村民の陳さんが大紀元に寄せた情報によると、現在、村のインターネット接続が遮断されているという。彼は「もし、陸豊市、ひいては土地が強制収用された全国の農民が一致団結して抗議を行えば、中共当局はこのように恣意的に弾圧できなくなる」と語った。

一方、現地政府はこのほど特別通告を発表、「国外の敵対勢力がこの抗議事件を煽いでいる。そのためすでに沈静化した情勢が再び悪化した。事件の性質は村内部の対立ではなくなった」と定論した。

同市の邱晋雄・副市長は、これから逃走中の村民代表を指名手配するとし、村民たちが自発的に結成した組織を取締ると明言した。

1人の村民は香港紙・蘋果日報の電話取材に対して、現地の状況は「非常に緊迫している」とし、いつ流血事件が発生してもおかしくないと証言した。彼は「メディアには事の真相を最高指導部に早く知らせてほしい。この1万人余りの命を救ってほしい」とSOSを出した。

 (記者・唐明、翻訳編集・叶子)