震災の中、帰国しなかった中国人たち

2011/04/11
更新: 2011/04/11

【大紀元日本4月11日】3月11日の巨大地震から3週間ほど経った頃。仙台市青葉区在住の中国人・方さんは、中国に帰国しようかと考え始めていた。  

方さんは、中国の南方の出身。2年前から青葉区で中国食材の店を営んでいる。大地震が起きた3月11点xun_ネ降、電気は停まり、食料も入手できない状況となった。そんな中、ローソクの灯をともす方さんの店に、近くにいた東北大学の中国人留学生が何人も避難して来た。その後の数日間、方さんは、店の食材を使って食べ物を作り、食事や水に困っていた中国人留学生と一緒に食事をした。

何日か経つうちに、留学生たちは次々と方さんの店から姿を消し、帰国してしまった。方さんによると、中国にいる留学生たちの親が、心配のあまり、毎日電話ですぐに帰国するよう言ってきたためだという。  

方さん自身も、中国にいる家族から、帰国するよう促されていたという。しかし方さんは、起きたことを自然のままに受け止めるとともに、地震の発生は一時的なものだと信じていたため、中国に帰ることは考えていなかったという。  

しかしこの3週間は、周りの中国人のほとんどが帰国したことで、方さんの中国食材店の売り上げは、ほぼゼロとなった。「地震とは直接関係ないが、この状態が続くならば、私も中国に帰るしかなくなる」と、方さんは呟く。

信じない、信じられない中国人?  

大地震が発生して以来、日本にいた多くの中国人が、再度の地震や放射性物質による被曝を恐れて、日本から逃げ出すように帰国した。  

その最も典型的な例として、生活保護を受給する母子家庭の母親である中国人女性が、原発への恐怖から、二人の子供を日本に置いたまま自分だけ帰国した事例が伝えられている。   

この女性を担当する福祉事務所が全国の福祉事務所の仲間内で調べたところ、生活保護を受給する外国人の帰国は、少なくとも東日本の84事務所で64件に上っていた。そのうち中国人が最も多く、子供を置き去りにした事例も少なくなかったという。また、日本の報道によると、地震発生後の一週間、東日本各地の入国管理局には、本国へ一時帰国したあと日本へ再入国するための手続きに外国人が殺到したが、その中でも中国人が最も多いという。  

震災を前にした中国人のパニックは、日本にいる中国人ばかりではない。中国国内でも、日本からの放射性物質が中国に到達することを恐れて、大量の塩を争って買い溜めするというパニックが起きていた。中国の塩にはヨウ素を添加したものがあり、その塩を摂取すれば放射能による健康被害を予防できるという根拠のない噂によるものであった。  

地震直後、日本へ取材に来た中国人記者に同行したジャーナリスト・福島香織氏が、「疑う中国人、信じる日本人」と題する記事で、中国人記者が身の安全を恐れて、ろくに取材もせず急いで帰国した経緯を綴っている。  

その中で福島氏は、災害を前にした中国人は極めてパニックに陥りやすい傾向にあるとして、その根底にある中国人の疑う気性について「中国人は基本的に政府発表を信じず、時に隣人や家族ですら信じないこともある。反右派闘争や文化大革命のような歴史的動乱を経験した結果、人を信じることはできない、人は裏切る、というのが中国人の骨身に刻まれてきたことだろう」と分析している。

また同じ福島氏の記事では、中国人作家・王力雄氏による漢民族がパニックに陥りやすい点についての次のような分析も引用している。  

「篤い信仰もなく、深い思想もなく、強固な共同体もない中国人は、危機に直面するとバラバラになりやすい。もちろん、古い中国には信仰も思想も共同体もあったが、新中国の建国以降、中国共産党はずっとそれらを破壊し続けてきた」

しかし、震災や放射性物質拡散の恐怖のなか、被災地から離れようとしない中国人もいる。

上述の方さんのほか、東京のある外資系会社に勤める章さんも、震災後、中国の友人に宛てた手紙に次のように書いている。  

「会社は私たち社員に、自分と家族の身の安全の保護のためにどんな対策をとってもその選択をサポートする方針だと伝えている。しかし私は東京から離れる考えはない。真実を国民に開示する民主社会の体制を信じる。そして、日本社会の秩序と、日本国民の復興への能力を信じている」

震災の前に淡々としている章さんは、食品や日用品の買いだめさえもしなかったという。中国人の「疑う国民性」について、章さんは次のような見解を示す。  

「中国人本来の国民性というより、中国大陸において無神論者にされてしまった現代の中国人の傾向といったほうがよいかもしれない。共産党政権下の中国では、この数十年の間に、共産党が扇動する多くの政治運動が行われてきた。さらに、ここ20年来の拝金主義を通じて、伝統文化やモラルは破壊され、人間同士の信頼感は失われた。無神論以外の信仰が抑制されており、しかも政府は国民から信用されていない。何か起きれば自分の身は自分で守るしかないという心理から、災難を前にした中国人は、あのようなパニックに陥るのではないか」

福島の避難所を訪れた中国人ボランティア

放射能漏れの拡大が危惧される中、福島の避難所を訪れてボランティア活動をする中国人もいる。  

4月2日未明、東京から数名の中国人が、一台のワゴン車に乗り合わせて北へ向かった。目的地は、福島県内の二つの避難所である。

発起人の張さんは、東京の八王子市在住で、建築士として小さな設計事務所を経営している。同行したのは張さんの気功の仲間たちだ。  

張さんは中国の東北地方出身だが、すでに帰化して日本国籍をもつ。「もう日本に長いから、日本を離れる考えはない。というより、地震発生以来、自分が被災地の人たちに何ができるかを、ずっと考えていた」と張さんは言う。  

そこで、ネットで福島の避難所の電話番号を調べて、電話をかけた。 自分の専門を生かして、仮設住宅の施工を手伝いたいと伝えたが、ボランティア希望者が多く、医療関係以外は受け入れていないという。避難所の担当者と電話で話している中、被災者の健康状態の改善や心理面における不安の解消なども避難所の課題であると報道を通じて知っていた張さんは、自身が長年習っている中国の気功・法輪功(ファルンゴン)による健康維持と精神安定の優れた効果を勘案して、被災者に気功を教える提案をした。今度は先方も快諾だった。  

福島に向かったのは、その翌日。「放射性物質による被曝を避けるためか、どこも人影が見えない光景」の中を走り、まず原発から40キロの田村市にある避難所に着いた。市の総合体育館だが、数カ所のアリーナに2千人弱の被災者たちが寝泊りしている。  

「隅から隅まで人が詰まっている。横になって寝たりする人もいるし、呆然と座っているだけの人もいる。プライバシーが全くなく、被災者が抱えているストレスの大きさを感じた」と張さんは言う。  

そこである台湾人女性に出会った。彼女は、張さんたちが身の危険も恐れずに被災地を訪れたことに感動するとともに、地元にいた中国人たちは地震発生後さっさと帰国してしまったと言った。  

気功の動作を一通り説明すると、寝泊りしている場所から被災者たちが次々に立ち上がって、一緒に音楽に合わせて、ゆっくり体を動かし始めた。  

両手を頭上に上げたまま数分間保つ動作もあったので、「疲れたら、手を下ろしてもいいですよ」と言っても、下ろす人はいなかったという。立てないお年寄りは座ったまま気功の動作をしていて、皆が真剣そのものだった。  

この「気功紹介ボランティア」に同行した中国人の林さんは、二日目に同じ避難所に寄った時、ある日本人女性から「昨日、気功を習った後、体がとても楽になった」と声を掛けられたという。

「被災地の人々を健康面から支えられるなら、私は何回でも被災地に行きたい」と林さんは話している。

(趙莫迦)

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