黒竜江省の旅客機墜落 取材者らの逮捕に 記者が集団抗議

2010/09/02
更新: 2010/09/02

【大紀元日本9月2日】「緊急救援!法制晩報記者・王楠、華商晨報記者・王舜天が取材中に拘束された」。8月28日朝、中国国内の一部のミニブログや記者が集まる掲示板でこのショットメールが貼られていた。43人の死亡を出した24日夜黒竜江省伊春市で発生した旅客機墜落事故で、現場に駆けつけた記者4人が28日、現地警察によって拘留されたという。

中国紙「新快報」によると、事故から4日後の8月28日は、死者の親族が葬儀場で遺体を引き取る日であったため、大勢の記者が取材に集まった。しかし、親族らが死者を悲しむ追悼の場が、警察が記者を追放する場に替わった。

当日朝、葬儀場への主要道路には、大量の警察が配置されていた。10時頃、葬儀場に入り、親族の入場を待っていた「第一財経週刊」の記者二人が、警察に呼び出され、別の場所に連れていかれて拘束された。

二人の記者のその後の話によると、その日に拘束された記者は、他に華商晨報と法制晩報の記者がそれぞれ一人。法制晩報の王楠さんは警察に逮捕された後、パトカーに押し込まれたという。

拘束された記者たちは外部へ発信した。その結果、救出の呼びかけが速やかにネット上で流された。昼12時前後、記者が拘留されたとの噂を耳にして現場に駆けつけた10数社の記者は、拘留地となっている派出所に集まり、抗議活動を行なった。

約1時間後、拘束された記者は釈放された。

40分後、記者を拘留する命令を下した伊春市公安局の責任者・崔華副支局長が派出所に到着し、抗議する記者と面談した。しかし、記者を逮捕した理由を説明せず、記者を連行したことに対して謝罪する気配も見えなかった。

死者の親族が記者と接触するのを防ぐために、現地政府と警察当局が命令を出したのだと、現場の記者らは見ている。

依然不満な記者らは午後、「警察は記者を無断に逮捕してはいけない」と書いた紙を持って、抗議を再開し、報復されないように顔を紙で隠した。関連写真もすぐにネットで掲載された。

夕方7時頃、伊春市政府宣伝部門関係者と警察関係者が再度記者と会談を行った。記者の拘束は「勘違い」であり、葬儀場での取材は最初から禁じられていたが、マスコミに伝えるのが遅かったと説明した。

記者の連行を指揮した崔華副支局長は集まったマスコミの前で謝罪した。

「マイルドな抗議だが、勇気のある行動だ。同業者らに敬意を表する」と、同業者らの勝利にネット上で歓喜する記者らの発言が見られる。

「墜落事故まで報道規制するからには、裏に重大な事情が隠されている」とネット利用者らの発言。事実、中国民航管理部門の高層が事故後、国内紙の取材に、地方航空会社の安全管理の乱れに憂慮を示した。

腐敗問題が普遍化した中国では、事故の真相を隠蔽するために、政府部門や警察が記者の取材を阻止する前例は少なくない。伊春市の旅客機墜落事故の1週間前、同市の爆竹工場で爆発事故が発生した。政府側は「19人死亡、5人行方不明、負傷者153人」と公表したが、現地住民の話によると、死者の数は100人以上に上るという。

「最も危険な職業」と呼ばれる中国の記者たち。真相に触れた取材記者らは、危険と隣り合わせにある。7月、地方国営企業の不正を報道した記者が、現地の警察公安局に指名手配され、逮捕状がネット上で公開されるという事件があり、中国国内で話題となった。

8月下旬、大胆な言論で人気を博した南方メディアグループは、上層部からの圧力で自社の週刊誌の長平副編集長の記事を封じる決定を出した。

日々の圧制に対して徐々に立ち上がる中国の記者たち。伊春市の記者抗議事件と同じ日の8月28日、同市で爆竹工場事故の調査発表会が行われた。中央レベルのメディアの入場しか許可されなかったため、地方紙の記者たちは発表会現場で集団抗議を行なった。

(執筆・日本語ウェブ報道チーム)