暦、時間、そして権力

2010/01/01
更新: 2010/01/01

【大紀元日本1月1日】

謹賀新年

しかし、新暦で1月1日でも旧暦ではまだ11月17日。日本では旧暦(天保暦)が、明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていた。翌日の明治5年12月3日が、いきなり新暦の明治6年1月1日となったわけだ。本当に思い切った近代化だったといえる。

日本の新旧暦の変化に思いを馳せながら、12月22日付けの英紙「フィナンシャルタイムズ」の記事を読んだ。昨年11月にクレムリンが発表した時間帯の統合や、各国のこれまでの時間への権力介入に言及している。

1793年の革命期のフランスでは、1日10時間、1時間100分の十進制を取り入れたそうだ。この時間体系はナポレオンが1日24時間、1時間60分の従来の時間体系に戻すまで12年間続けられた。因みに、この時間体系は古代エジプトとバビロニアに由来する。

1949年、毛沢東は、中国国内にあった5つの時間帯を1つに統一した。大陸の西側地域は、真冬の朝をほとんど暗闇で過ごさなければならず、正規の時間に従っていたら、生活に支障が出る。

今でも、表向きは北京時間に合わせることになっているが、地域的な抵抗はあるようだ。北京から2000キロ離れた新疆では、北京より2時間遅れの時間を地元のウイグル人が採用している。1970年代、中国共産党政権は、現地での北京時間の強要をはかったが、2年であきらめたという。現在では、官庁は北京時間だが、学校はウイグル時間を使うところもある。バスの時刻表は、二つの時間帯を使う。飛行場では、自国が北京時間であることを場内放送しているという。

2009年11月、ロシアのメドベージェフ大統領は、現在の11の時間帯を4つに統合するという計画を提案した。モスクワとロシア極東との時差が、新興経済の効率化を妨げるというのが提案の理由。ウラジオストックの事務所は、ロシアの作業時間の最初の2時間だけしかオーバーラップしないことがネックらしい。

しかし、この統合は簡単なことではないとモスクワ国立大学地理学部のアンドレイ・パニン氏は指摘する。「人々の生活のリズムが大きく変化することになる。例えば、まだ真夜中なのに、起きて仕事に行かなければならない。電気代も馬鹿にならない。時間帯は多い方がいい」

モスクワの社会政策・社会経済プログラム研究所(Institute for Social Policy and Social and Economic Programs)のセルゲイ・スミアノフ理事は、「8つの時間帯より少なくなると、地理・自然の法則に逆らうことになるので、社会的な激変となる」と警告する。

オックスフォード大学のラッセル・フォスター教授は、「自然界の日照時間に基づいて、個人の生物学的な時間が設定される。太陽が正午を指す時間から人工的に設定された時間が2時間以上ずれている場合は、不健康をもたらす」と説明している。

日時計に遡る時間の概念は、人間にとって便宜をはかるために、単に数値化されたに過ぎない。人と自然との営み。この間に立ち入ろうとする権力。どんなに科学が進もうと、権力が絶対的になろうと、各地の日の出、日の入りの時刻を操作することはできない。

デジタルで分刻みに締め切り時刻を警告される毎日。これも単なる便宜上の取り決めということを肝に銘じて、今年は時間に使われない一年を目指したい。