中国核実験、32年間で46回も

2009/03/28
更新: 2024/04/22

日本放射線防護センター代表・北海道札幌医科大学教授・高田純氏はこのほど、中国共産党が極秘に隠蔽した核実験被害者情報の事実を公表した。中国共産党は1964年から1996年までの32年間に、非公開の核実験を46回も行った、核実験によって、現地住民に現在進行形の健康被害が多数発生し、大きな環境破壊と汚染をもたらした。これらの事実に対して、中国共産党は長年にわたって隠蔽工作を続け、隠してきた。

 3月18日に東京・永田町の憲政記念館で開催したシンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」にて高田純教授がこの事実を公表した。

 32年間核実験46回、129万人が被害を受け、うち75万人死亡

高田純教授の話によると、核被爆を受けた国は日本だけではない。中国では、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の楼蘭付近で、1964-1996年に46回、総出力20メガトンの核実験を行い、周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染をもたらしていた。1981年まで継続的に降下した大量の核の粉塵によって、胎児に影響を与え、奇形の発生や、若い世代の白血病や癌の発生を引き起こすなど、現地住民への大きな健康被害が多数発生した。しかし、中国共産党政府は核実験のことを公開しない上に、核実験による被害の事実を極秘に隠蔽した。

 中国がかつて実施した最大規模の核実験は4メガトンに達したが、それは旧ソ連の核実験を上回る10倍の威力だった。実験により大量に落下した「核の砂」と放射汚染は周辺住民計19万人の命を一瞬にして奪った。放射線汚染の影響を受けた面積は東京都の136倍に相当、中国共産党の内部極秘資料によると、75万人の死者が出たという。

 中国当局は1964年10月16日から1996年に渡って、0.2メガトン級~4メガトン級の核実験を46回行って、地面、空中、地下にてそれぞれ爆発させた。中国当局は現地を封鎖して、調査を遮断した上、核実験による被害データも公開しないため、被害状況はいまだに不明である。

 高田純教授は「核を持ち、核実験を実施した国はいくつかあったが、人口密度のある居住区で大規模な核実験を実施するのは中国だけだ。周辺環境への影響をまったく考えずに、まさに悪魔の仕業と言っても過言ではない」と述べた。

 シンポジウムに出席した日本ウイグル協会会長は「旧ソ連でも 最低でも核実験を実施する地域を封鎖して、人の出入りを禁じた。しかし、中国の核実験は現地住民に秘密で実行した。被害者はウイグル人だけではなく、現地の漢民族も犠牲にされた。人の命の尊さを無視して実験台のモルモットのように使っている」と述べ、核兵器の被害者となった日本の理解と、世界に被害者の声を伝えることの協力を強く求めた。

 1998年7月から8月にかけて、英国のテレビ局チャンネル4が記録映画「死のシルクロード(Death on the silk road)」を放送した。チャンネル4はウイグル人の村を訪れ、村人の健康状況を調べた。放射線の胎児への影響による奇形児と脳不健全児が多数いることがわかり、若い世代の白血病発生や癌の発病を引き起こしているウイグル人が激的に増えている事実も発見。全体から見ると、ウイグル族の癌の発病率は70年代から急増。1990年になると全国の発病率と比べて30%高だった。

 

 

 中国共産党は核実験を輸出

イギリスに亡命したウイグル人が「中国の核実験は本国の実験に限らなかった。核実験の場所をパキスタンに提供した。インドが核実験を実施後、インドに見せるために、パキスタンも核実験を行った。但し、実験地はパキスタンではなく、中国領土だった。この実験を含めて、パキスタンは中国領土で計3回の核実験を行った。」と発表した。

 1984年4月に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故によって、大量の放射能が大気層に漏れてしまい、周辺200キロ範囲まで被害をうけた。事故が高濃度の放射能汚染を引き起こし、癌や身体障害の発病率が急増した。

 一方、日本では、ノーベル賞受賞作家の大江健三郎氏は、フランスが実施した核実験を強く批判したが、中国の核実験に対しては沈黙を続けている。日本の反核平和団体は、アメリカの核兵器実験に対しては抗議活動をし続けたが、中国の核実験の事実に目を閉じている。日本のテレビ局NHKは、ドキュメンタリー「シルクロード」の放送を繰り返して、多くの日本人はそれを見て、楼蘭や敦煌を訪れた。しかし、楼蘭や敦煌及びシルクロード全体はかつての核実験場だったという事実を知らない。数年の歳月が経っても放射線が残っている可能性は十分高い。

 中国共産党と仲良くするため、日本のマスコミは自粛し続けた。中国の核実験に沈黙続けた。これは日本マスコミの恥と言っても過言ではない。
 

(翻訳編集・侍傑)
この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。