中国の農民問題

2005/12/24
更新: 2005/12/24

【大紀元日本12月24日】中国の古典中の古典、詩経を読むと農民の領主に対する怨嗟の声が記されていることは中国古典に親しむ人達にとっては旧知の事実である。例えば碩鼠(領主の貪欲な収奪を呪った農民の声)は今読んでも当時の支配階級の収奪の凄まじさが見て取れる。何も三千年遡らなくても、数知れぬ農民一揆のなかで正史に名を留める大規模な宗教系或は農民主体の暴動のみをとっても枚挙に暇がないのが中国史である。

後世から理想と目された貞観や開元の治においても、地方や辺境での庶民、具体的には農民の暴動は、恐らく全てが程度の差こそあれ反乱として過酷に鎮圧されたものの、その数においては決して少ない数ではなかったろう。民衆から見て例外的に清貧に甘んじたとされる清廉潔白な官僚についてすら清官三代とまで言われた以上、貪官汚吏に至っては我々の想像を絶するスケールの銅臭に塗れた官僚達がいたことは隠れも無い事実である。一方、腐敗が極に達したといわれる清朝においても建国当初から80年間は、けっこう正義が通った時代として認識されている。

翻って中華人民共和国の現状は如何。マスコミによれば、最近広東省の一地方で地方政府の土地収用にからんで武装警官が動員され、戦車や機関銃までが使用され、一説によれば農民が70名余死亡したとの情報があり、事件から4日も遅れて新華社が3名の農民が死亡したこと、当局側が、正しい秩序ある行動をとったにも拘らず、暴発した農民の行動により、当局側にも多数の負傷者が出たこと、土地収用に際して妥当な対価が支払われたにも拘らず、農民が更なる補償を要求し、已む無くとった措置であったこと等を報道した由である。もとより真相は不詳ではあるが、別のマスコミ報道では該当地域に対しては、現在厳しい報道管制と立ち入りを許さぬ警戒網が敷かれているとの情報も散見される。その癖、珍しいことに当局側でも過剰防衛等の疑惑で数名が拘束されたとの情報まで報道されている。数万件に及ぶといわれる農民による強訴ないしデモあるいは暴動が殆ど報道されない実情にてらしても、新華社の今回の報道自体が普段と違うと思わざるを得ない。

中国が長年情報を統制し、新華社の報道のみが統一見解であり全てとされる体制は、かねがね外国報道機関から非難されていることは公知の事実である。何でもかんでも国家機密と称して憚らず、人類にとって致命的な伝染病情報すら隠匿した実態からみても、今回の事件は流石に隠し通せないと判断したものの、厚い官僚機構の責任回避や上部機関の判断待ち、あるいは事後対策等に時間を要してタイミングこそ失したものの事件を隠蔽出来ず報道せざるを得なかったのが真相であろう。農民による実力行使の動きが燎原の火のように各地に無数に発生し収拾がつかない事態にまでなっているのではないか。筆者は情報網には全く縁の無い市井の一読者に過ぎず、僅かな情報を読み解くべき見識も無いのは百も承知してはいるが、最初に耳にした情報と新華社記事とのあまりの落差には矢張り一驚せざるを得ない。いくらなんでも数十人の農民が殺されたという情報や、その遺体を遺族に渡して欲しいと懇願する家族の姿は、まさか作り物や芝居ではなかろうし、若し土地収用の対価として妥当な金額が支払われたのなら、本来、当局つまり権威に対しては信じられないほど従順である筈の中国農民に対して数百人の武装警官のみならず戦車や機関銃まで動員せざるを得ぬほどの騒動が起こったこと自体が不自然である。多分、中央政府から見て正当な補償がされているのは事実であろうが、肝心の農民が受領した金額はいかほどであったのか?中間搾取とは云わぬまでも農民の手元に入った金額と中央政府の認識する金額の間には相当な乖離があったのではなかろうか?流石に通行税こそはないであろうが、理解に苦しむような課徴金や各種の税金に苦しめられている農民が最後の砦とも言うべき農地を極めて安い補償金で収用されるとすれば暴発するのはむしろ当然ではないのか?

信じたくも無いが、中国当局は事件の隠蔽を画策するのみか、殺された農民の遺体に警察官の制服を着せたり、銃殺された農民が自爆したように見せかける等の卑劣窮まる後付の証拠作りに奔走しているとの報道もある。これらの一連の情報が虚報であるとは思いたいが、過去の中国官憲の振舞いから見ると、場合によっては本当に起こった話かも知れないと思うと暗澹たる気持ちになる。万一それが事実であるとしても、当局は決して認めようとはせず、隠しおおせない場合には上部機関の意向に反した下級官僚の恣意であったとするのは先ず間違いないだろう。俗に言うトカゲの尻尾切りである。しかしながら、どのような理由付けをしたところで、国家が自ら犯した犯罪行為を隠すのは最早、政権党にとっては自殺に等しい行為である。これが人民の為に服務する共産党の為せる業なら、何おか況やであろう。ロシア革命初期ソコロフスキー島で虐殺された多くのロシア人達は少なくともロシア共産党からは政治犯と看做されていたそうだが、現中国政権が政治的には全く無色の無辜の農民に、報道されているような強圧政治を強いているとすれば、とても近代国家の姿ではなかろう。好意的に見ても、多分、地方政府官僚の多発する汚職もからみ、目を背けるような腐敗の隠蔽に、中央政府も手段を選ぶ余裕すらなくなっているのが真相であろうし、硬直化した官僚機構が露呈した無数の腐敗現象の一つなのであろう。

昔の中国の話として隣人が引越す家族の長に、行き先を尋ね、「あちらには虎が出没するそうですのに。」と尋ねると、相手は「あちらは税金が安いと聞いて引越するのです。」との回答であった由。元々は孔子の言葉の趣旨を転用した「苛政は虎よりも猛し」という諺の語源らしいが。新華社が中国政府の唯一正統の広報部門であるのなら、なおさら官僚機構の自浄のためにも、又、共産党自身の為にも事件を率直に弾劾し、真実を報道すべきではないのか。中国政府が権威に拘るのは分からぬでもないが、正直なところ人民日報の報道をどれだけの人達が信じるのだろうか? 昔のように壁新聞や口コミだけの世の中ではないというのに。それにしても姑息な建前、独善的解釈や主張で13億の民を誤魔化すのはもう無理と思うが、如何。

三千年も前に「悠々たる蒼天、これ何人ぞや」と詠い嘆いた亡国の臣がいたそうだが、中国農民の苦難を誰が救うのか? 果たして、中国共産党や、その領導達が救世済民の主役と断言する人民がどれ程残っているのだろうか。