中国共産党による法輪功集団迫害、国家保安局の職員が証言

2005/06/10
更新: 2005/06/10

【大紀元日本6月10日】駐シドニー中国領事館の外交官陳用林氏の亡命申請に続いて、中国の元官僚・カク(赤+おおざと)鳳軍氏も立ち上がった、彼はかつて天津国家保安局や天津610オフィス(※)に在職していた。カク氏は、中国共産党が法輪功に罪状をでっち上げ、罪をかぶせ、残忍無道な拷問をする内幕を暴露し、陳用林さんの勇気ある行動を声援した。

※ 610オフィス―中国共産党が法輪功学習者を集団迫害するための専門機構

国家保安局610オフィスの役目

中国共産党は2000年の下半期に、国家保安局が直轄する610オフィスを設立した。最初の任務は法輪功学習者らの情報を収集、監視、迫害することであった。カク氏は、2000年4月から、中国共産党は、14種の「有害」気功、14種の「邪教」をリストし、610オフィスに偵察、処理させることを命じたと証言した。その中では、やはり、もっとも残酷に鎮圧されているのが法輪功であり、表面上では、メディアを利用した詐欺宣伝は、だいぶ減ったが、実際には、手段がさらに巧妙になり、残酷な鎮圧はすべて、闇で行われるようになったという。

メディアが司法と結託し、虚偽番組を制作する

2003年11月5日、中国中央テレビの「焦点訪談」という番組で、『「特許」の背後』というドキュメントが放送された。法輪功学習者である、邯鄲鉄鋼製作所のシニアエンジニア景占義さんが、法輪功を修練しはじめてから、現れたいろんな不思議現象を、自ら否定する番組であった。その後、全国の各メディアがこの番組を転載した。中国共産党による、法輪功を攻撃する武器の一つとなった。この虚偽番組は、いったいどういう風につくりあげられたのか_tong_

カク氏は、この番組の制作現場の目撃者であった。2003年のある日、取調べ室に入ると、手錠をはめたままで、吊るされていた白髪の老人を見たが、後に河北省の高級幹部・景占義氏であることを知った。すぐに、中央テレビの番組制作チームがやってきた、「国際社会に高級幹部が、過ちを悔い改める過程を報道する」と言っていた。

そのとき、保安局副局長・趙月増は、景占義氏に、用意した台本のセリフ通りに言うならば、減刑を約束する。言われたとおりにしなければ、反逆罪の罪をかぶせ、無期懲役または秘密処刑すると脅迫した。可哀そうな老人は、彼らの要求を呑んだ。不思議現象があった事実をすべて否認し、法輪功を批判する発言をしたのであった。(後に、景占義氏には、懲役八年の刑が罰せられた)

この卑劣な一幕を目撃したカク氏は、思わず「これは嘘ではないか_tong_」とつぶやいた。その言葉がそばにいた中央テレビの記者に聞かれ、後日に、彼は、副局長に呼ばれたが、自分の理念を曲げなかったため、思わぬ結果を招いた。氷点下の中、暖房設備がまったくない部屋に、20点xun_ネ上も監禁されたである。

法輪功学習者が残酷な拷問を受けている事実を証言する

カク氏は、2001年10月3日に、天津市公安局ネット偵察課が、封鎖を乗り越え、台湾の「明慧ネット」を閲覧している法輪功学習者がいることを突き止めた。早速、国家保安局610オフィスが専門部署に秘密捜査することを命じた、略称「103案件」、これは当時の中国公安部の重点案件だったという。

2002年初め、「103案件」の進展につれて、大規模逮捕が始まった。一日に79人の法輪功学習者を捕まった、2人だけ逃げることができた。一人は14歳の女の子・徐子放さんで、彼女の母親・孫提さんは逮捕された。この子は余儀なく、逃亡生活を強いられた。

2002年2月のある晩、指示を受け、一人の女性警官と一緒に、留置場に行った。そのときに、母親と初めて出会った。五十歳代の主婦で、拷問用の特殊ベンチに縛り付けられ、下半身には板が固定された。顔が激しい暴力のせいで、極度に腫れ、目が一線になっていた。彼女を拷問していた警察の手には、約50センチぐらいの長さがある、ねじ山が突起した鉄棒には、血がいっぱい付いてた。テーブルには高圧警棒があった。この警察は「私が殴ったの、問題ない、問題ない」と言った。この警察が拷問室から出た後、孫さんは泣き出した。女性警官が彼女の上着をめくり上げると、カク氏は、絶句した。孫さんの背中には、正常な皮膚の色がまったく見えず、すべて黒ずんだ紫色になっており、二ヶ所の長さ約20センチのひび割れがあり、傷口から、鮮血が滲み出ていた。

しばらくすると、国家保安局の副局長で、610オフィスの主任が現れ、この件は極秘に処理すると命じた。それに、孫さんの傷が治ったら、再度に起訴、拷問するという。

それからの一ヶ月間、カク氏と女性警官は、孫さんの傷口の看護に当たったという。この間に、孫さんは毎日のように、自分の娘の所在を聞いてくる。わずか14歳の女の子が、すべての親戚が監視された中で、どこで寝泊りしているのか_tong_何を食べているのか_tong_これを思うと、彼は、胸が張り裂けるかのように苦しかったと、当時の心情を語った。良知ある中国人として、このような惨劇を阻止できない自分を、悔やんでいた。

その後、この母子の遭遇とカク氏が目撃した数々の惨劇が、度々夢に出てくるようになり、眠れない日々が続いた、「悪夢のような体験が自分の考えを変え、中国の未来、警官としての前途に絶望を感じた、後にオーストラリアに脱出することを決意させた」とカク氏は振り返った。

「中南海事件」の前夜

カク氏が初めて、法輪功と接触したのは99年の「中南海事件」だったという。

99年4月22日、大勢の法輪功学習者らは、上告するために、天津市教育学院に集まった。当時、天津市教育学院は、カク氏が所属する公安局の管轄地域だったため、ほぼ全局のすべての警察が出動した、しかし、法輪功学習者らは、暴力行為が一切なく、ただ静かに座って、市役所の面会を待っていたという。それで、市役所の官僚は法輪功学習者らに、法輪功のことを処理できないから、北京に行きなさいと告げた、市役所の官僚がこういう風に言わなかったら、法輪功学習者らは、中南海に行かなかったはずだとカク氏は当時の状況を証言した。当時の天津教育学院のビルの上と近くの建物に、数台の撮影機が設置され、天津市国家保安局は、約5千人の法輪功学習者らを秘密撮影し、後に各派出所で調査、資料保存されたことも明かした。

 
中国共産党は、国民の心を失い、孤立する局面に

昨年末に、「九評共産党(共産党について九つの評論)」が発表されて以来、210万人あまりがネットで、脱中国共産党を声明した、この勢いがどんどん強まっている。この情勢の中に、中国共産党体制内の官僚たちも、目覚めて、中国共産党と決裂して、正義と良知を喚起することを考えはじめた、陳用林氏とカク氏のように、共産党に向けて、痛烈にパンチを放つ。陳用林氏は、海外において、中国領事館で法輪功迫害を主管する外交官だった。カク氏は、中国国内で、法輪功を集団鎮圧する保安局の警官だった。中国共産党による、法輪功学習者に対する集団鎮圧が、今年で六年目になるが、善良なる法輪功学習者らは圧倒されることなく、反対に、社会から、多くの尊敬と支持が得られた。中国共産党がますます国民の心を失い、孤立する日がもうそう遠くはない。これからも、両氏のように、勇気ある人々は、立ち上がって、その悪党と決裂し、明るい未来を選ぶと確信している。