カーボベルデ代表が、優勝候補であり元ワールドカップ王者でもあるスペイン代表と0対0で引き分けたとき、チーム全員が歓喜に沸いた。しかし、その中でただ一人、涙を流していた人物がいた。涙は糸が切れた真珠のように次々とこぼれ落ちていた。その人物こそ、40歳のカーボベルデ代表ゴールキーパー、ヴォジーニャ(Vozinha)である。
ヴォジーニャとは何者か 名前の由来
ヴォジーニャは本名ではなく、ニックネームである。ポルトガル語で「小さなおばあちゃん」を意味する。この呼び名は、祖父母に育てられたことに由来している。
ヴォジーニャは1986年、アフリカ西岸から約600キロ離れた大西洋の島国カーボベルデ(Cabo Verde)に生まれた。父親はサッカー好きで、当初はアルゼンチンの名選手バルダーノ(Valdano)の名前を息子につけようとしたが、当局に認められなかった。そのため父親は、ブラジル代表の伝説的ディフェンダーに敬意を表し、「ジョシマール(Josimar)」と名付けた。
しかし、ヴォジーニャが成長してアンゴラでプレーするようになると、チーム内に同じ「ジョシマール」という名前の選手がいた。「ジョシマール二世」と名乗るわけにもいかない。彼は「どうせカーボベルデでは皆が私をヴォジーニャと呼んでいる」と考え、この名を用いることにした。こうして「小さなおばあちゃん」というニックネームが、ユニフォームに刻まれることになった。
夢のために守り続ける
ヴォジーニャは幼い頃からサッカーを愛し、仲間たちと路地でボールを蹴っていた。しかし当時は体格が小さく、環境的にもコーチの目に留まる機会は限られていた。多くのスター選手が十代で頭角を現す中、彼は25歳でポルトガルへ渡り、ようやく初のプロ契約を結んだ。本人の言葉を借りれば「スタートが遅すぎた」のである。
その後十数年にわたり、カーボベルデ、アンゴラ、モルドバ、キプロス、スロバキア、ポルトガル2部リーグを渡り歩き、計9クラブでプレーした。いずれも知名度は高くなく、報酬も限られていた。
彼は一度もビッグクラブと契約したことがなく、ヨーロッパのトップリーグでプレーした経験もない。サッカー界では無名に近い存在であった。長年にわたり、まるでピッチ上の放浪者のようにキャリアを重ね、市場価値はわずか5万ユーロ(約800万円)にとどまっていた。
しかしカーボベルデ代表にとって、ヴォジーニャは不可欠な守護神である。これまでに約90試合に出場し、アフリカネイションズカップにも4度出場している。2024年大会ではチームはベスト8に進出したが、PK戦で南アフリカに敗れた。このとき彼は自責の念と年齢の問題から引退を考えたという。
一般にサッカー選手は35歳を過ぎるとキャリアは下降線をたどる。しかしチームメイトやコーチが彼を引き止めた。本人もまた、夢を諦めきれなかった。彼の生涯の目標はワールドカップ出場であり、それはまだ実現していなかったからである。こうして彼は現役続行を決断した。
強豪との対峙
やがて、その機会は訪れた。今大会のワールドカップ・アフリカ予選で、カーボベルデはアンゴラ、リビア、エスワティニ、モーリシャスを破り、さらに8度の出場歴を持つ強豪カメルーンにも勝利。グループ首位で本大会出場を決めた。40歳のヴォジーニャにとって、これが初出場であり、同時に最後の舞台となる可能性が高い。
グループステージ初戦の相手は、優勝候補スペインであった。スペイン代表は世界ランキング2位、2024年欧州選手権王者であり、総市場価値は12億2000万ユーロ(約1950億円)に達する強豪である。
一方でカーボベルデは、その存在すら知られていないことも多い国である。試合前、ブックメーカーやデータ分析会社はほぼ一致してスペインの勝利を予想し、勝率は約90%と見られていた。
試合展開も、数字の上では予想通りであった。スペインのボール支配率は65%、敵陣深くへの侵入は119回、シュートは27本に達した。まさに猛攻である。
対してカーボベルデは、支配率25%、侵入12回、シュート6本と大きく劣っていた。
それでも守備は崩れなかった。最後尾のヴォジーニャが、決定機をことごとく防いだのである。集中力を切らさず、鋭い反応で次々とシュートを阻止した。
試合は0対0のまま終了。スペインは無得点に終わり、カーボベルデはワールドカップで歴史的な初勝ち点を獲得した。ヴォジーニャはマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。
なぜ彼は涙を流したのか
試合後のインタビューで、ヴォジーニャはこう語った。
「私はこの瞬間、この夢のために生涯をかけて努力してきた。多くの世代が同じ夢を抱き続けてきた。今、それが現実になった。ここに立てているのは努力の結果である。この成果は私たちにふさわしいものだ」
さらにこう続けた。
「この結果はすべての人のものだ。確かに私は目立つ存在だったかもしれないが、この賞はチーム全員のものだ。仲間がいなければ何も成し得なかった。これからもチームのために努力を続ける」
涙の理由を問われると、彼は静かに語った。
「私は祖父母に育てられた。本当はこの場に来てほしかったが、数年前に亡くなった。彼らは私にとってすべてだった」
さらに母親についても言及した。
「母も来られなかった。ビザの問題で手続きが間に合わなかった。来てほしかった」
母の来場と国際的反響
この報道を受け、アメリカ政府はヴォジーニャの母親のビザを迅速に承認し、費用や保証金も免除した。FIFAの支援により、母親は現地に到着し、息子のプレーを見守ることができた。
その後の試合でも、カーボベルデはウルグアイと2対2で引き分け、サウジアラビアとも0対0で引き分けた。最終的に勝ち点差で上回り、決勝トーナメント進出を果たした。
大会が進むにつれ、中立のファンの間でもカーボベルデへの期待は高まった。人々はダークホースの躍進と、新たな伝説の誕生を望んでいた。ヴォジーニャはそのプレーで、世界中の敬意を集めたのである。
グループステージを突破したカーボベルデは、次戦で前回王者アルゼンチンと対戦する。厳しい戦いは避けられない。優勝への道のりは険しく、多くの強豪が敗れ去り、最後に残るのは一つのチームのみである。
しかし、敗北には意味がないのだろうか。ワールドカップの価値は、単なる勝敗だけにあるのではない。もちろん結果は重要である。しかしそれ以上に、この舞台はすべての参加者に物語を生み出す機会を与える。そこには努力があり、忍耐があり、涙があり、そして感動がある。
ピッチで涙を流したヴォジーニャの姿は、世界中に伝えられた。しかし、それを弱さと見る者はいない。その涙には祖父母への思いだけでなく、人生を通じた忍耐と苦難が刻まれていたのである。
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