1994〜96年まで内閣総理大臣を務めた村山富市氏が17日午前、老衰のため大分市内の病院で死去した。101歳だった。
村山氏は日本社会党出身で、1994年6月に総理大臣に就任し、社会党・自民党・新党さきがけによる連立政権を率いた。社会党出身として47年ぶりに首相を務めた。
村山氏は、連立政権を率いる中で、防衛・安全保障政策の大幅な方針転換を行った。日米安全保障体制の堅持や自衛隊の合憲性の明確化を打ち出し、従来の社会党の基本政策とは異なる立場を示した。
1995年には、戦後50年の首相談話(村山談話)で第二次世界大戦における日本の行動を「侵略」と表現し、国内外に向けて謝意を表明した。ただ、談話自体は政治的に論争の余地があるとされ、国内で賛否両論があった。
また、在任中には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生。自然災害への対応とテロ対応という課題に対し、政府としての救援や復旧、情報伝達を行ったものの、初動対応や危機管理体制には課題が残ったとされる。
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