アングル:朝鮮戦争で引き裂かれた離散家族、遠のく再会の夢

2022/10/12
更新: 2022/10/11

[ソウル 4日 ロイター] – 朝鮮戦争により1950年代に母親と生き別れになった韓国人のファン・レイハさん(80)。もう二度と母親に会えないのではないかと、絶望していると話す。

「もう一度母に会いたい。だがもう夢にすら出てきてくれなくなってしまった」と、ファンさんは嘆く。2人のきょうだいと共に北朝鮮に取り残されてしまった母親は、もう老齢のため亡くなっているのではないかと心配だ。生きていれば、100歳を超える高齢になる。

朝鮮戦争は、和平条約が締結されておらず、停戦の状態にある。韓国と北朝鮮の間で引き裂かれた離散家族にとって、再会できる唯一のチャンスは、枠数が限られている政府主導の再会行事に当選することだ。

仲介人に中国での密会を手配してもらうこともできるが、多くの人にとって、費用が高さがネックとなっている。

そして今、新型コロナウイルス感染症の流行に伴う渡航規制で、再会の見通しはさらに暗くなっている。南北関係が悪化していることもあり、人生の終盤を迎えつつある数千人もの韓国人の希望がついえてしまう恐れが出ている。

「全くの冗談だ。北朝鮮人らは対話を好まないのだ」と、9月に韓国政府が再会行事の開催を北朝鮮に提案したこと知ったファンさんは語った。再会行事は、通常なら停戦している2国間の関係を測るバロメーターになる。だが北朝鮮は、応答するどころか、提案を受け取ったことさえ認めなかった。

北朝鮮との国境付近に住むファンさんは、たまに自宅の窓から北朝鮮側にある故郷がかすかに見えるという。尹錫悦政権による再会行事の提案についてファンさんは、うわべだけの人道的ジェスチャーに過ぎず、実を結ぶことはないだろうと一蹴した。

NPO法人「韓国1千万の離散家族を再会させる会」の代表、チャン・マンソン氏は、2国間で緊張状態が続いているため、再会行事が新しく開かれる可能性は「ゼロ」だろうと語った。

「尹政権は、韓国は北朝鮮が核兵器を手放したら何にだって応じるとしているが、その条件を北朝鮮がのむことはない」とチャン氏は指摘した。

両国政府が合意して行われた最後の再会行事から4年以上がたつ。2000年以降の18年間で21回開催された再会行事では、両国側から約100の家族が一時的な再会を果たした。

政府のデータによると、約13万人の韓国人応募者のうち、現在も存命なのは3分の1で、そのほとんどが80歳以上だという。

昨年12月に行われた調査によると、8割の人が北朝鮮にいる家族の生存状況を把握していなかった。そして、毎年数千人が新たに亡くなっていく。

<仲介人>

89歳のシム・グソブさんは、自分は幸運だと語る。戦争によって母ときょうだい2人と引き裂かれてから40年後に、北朝鮮側にある故郷を訪ねた韓国系米国人の友人から兄の手紙を受け取った。

「1967年6月21日、お前がさぞかし会いたかっただろう母さんは、脳卒中で亡くなった」とつづられた手紙は、兄の涙で所々文字がにじんでいた。「母さんは倒れてから3日たったある日、ふと目を覚まして『グソブに会いたい』と、最後の言葉を口にしたよ」

シムさんは1994年に、中国延吉市で兄との再会を果たした。中国在住の韓国系仲介人の手を借り、兄は北朝鮮東部にある咸興市から中国を訪れた。

別れる前に、シムさんは兄に靴とミシンを買い、自分が着けていた革手袋を贈った。

中国への旅を重ねていくうちにシムさんは、北朝鮮との関係を担当する韓国統一省によって、離散家族の再会を民間として手配する団体を任された。

シムさんは、自身で築いた在中国の韓国系貿易業者らからなる秘密ネットワークの協力者の手を借り、1990年代後半から47件の再会と数百通の手紙交換を手配してきた。

だが新型コロナのパンデミック(世界的大流行)によって、こうした秘密裏でのやり取りは、費用の1千万ウォン(約102万円)を支払ったとしても実現できなくなった。北朝鮮と中国を隔てる国境が封鎖されためだ。

これにより、北朝鮮にいる仲介人への報酬を密輸することができなくなったと、シムさんらは明かした。現在シムさんは、家族がせめてはがきの交換を続けられるよう、働きかけている。

「コーヒー1杯分のお金で、世界中のどこにだってはがきを送ることができる。ただそれは韓国と北朝鮮の間以外では、の話だ。我々の民族にとって、これは悲劇だ」とシムさん語った。

「離散家族問題も、10年すれば忘れ去られるだろう。まるで何ごともなかったかったかのように」

(Ju-min Park記者、Hyeyeon Kim記者)

(Reporting by kyoko yamaguchi)

Reuters