法輪功迫害 翼の折れた鳳凰

収容所で薬物注射、暴行、精神喪失…エリート学生が非業の死を遂げるまで

2017/09/21
更新: 2023/03/23

2015年2月、山東省菜陽子市のある農村の井戸で、女性の遺体が浮いているのを住民が発見した。小太りで、下半身は長年の殴打で黒く変色した中年女性。冬にも関わらず、薄着だった。彼女は、かつて「カラスの巣に生まれた金色の鳳凰」と例えられ、農家出身でありながら、北京の清華大学に進学した才女、柳志梅さん(35)だった。

脳機能の障害を起こしていた志梅さんは、遺体が発見される数日前から行方不明となっていた。家族が遺体を確認し、身元が判明した。女性公安当局は他殺か自殺か、詳細を明かしていない。

逆に、明かさないのが当然かもしれない。共産党当局は、弾圧政策を敷き7年もの間、法輪功学習者だった志梅さんを収監し、看守は暴行や大量の薬物を注射し、他の囚人を暴行するよう強要するなど、「翼が折れるまで」心身を壊した。

国を代表するエリート学生だった彼女に無残な弾圧を加えたのは、90年代、中国共産党の党員数を上回るほど大流行した法輪功に対して、徹底した弾圧で悪評を広め、国民を恐怖でコントロールするための「見せしめ」だったとの見方がある。

 (記事中の写真にはショッキングなものがあります)

翼の折れた金色の鳳凰

清華大学在籍時の柳志梅さん(明慧ネット)

1997年、志梅さんは高考(全国共通の大学入試)で山東省トップの成績を納め、翌年に清華大学化学工程学科に入学した。同じく清華大学の学生だった劉文宇さんは、志梅さんについて「とても純粋な女性で、頭が良く顔立ちも美しかった」と述べた。同級生だった李艶芳さんは「とにかく芯が強く、聡明な女性。法輪功の修煉は間違っていない、と話していた」という。

中国で科学研究の最高峰である清華大学にも、1998年当時、法輪功を学ぶ若者たちがいた。宇宙や生命の神秘、物質と精神の関連性など、学生たちはあらゆる疑問への回答を、心身の修煉から見出していた。毎朝、キャンパス内には気功動作をする学生や教員の姿があった、と海外へ渡った卒業生らが大紀元に明かしている。

自己研鑽に励む若者たちの輝かしいキャンパスライフは、やがて、中国共産党による紅い手により引き裂かれていく。1999年7月、当時の江沢民主席は、法輪功を、党のコントロール外の「敵対勢力」と見なして弾圧を決定。マスメディアやインターネットを検閲・統制し、法輪功について罵声と中傷を続け、国民の心からこの信仰を撤去しようとした。

中国当局により、インターネット情報統制は厳しく敷かれているが、機密の情報ルートを通じて、大陸の迫害情報は明慧ネットに公開された。このサイトに寄せられた情報によると、少なくとも法輪功を学んでいた清華大学の学生32人が逮捕、投獄され、いずれも拷問を受けた。志梅さんはその中の一人で、山東女子刑務所に7年間収容された。

同ネットによれば、志梅さんは収監中、精神疾患患者用の薬物を、毎日3種類、注射されていた。「クロザピン、スルピリド、バルプロ酸ナトリウムなどで、注射後に酷くのどが渇き、頭が重く、視覚がもうろうとして、幻覚が見える。大小便が出ない」と、志梅さんは刑務所の他の収監者に話していた。

廃人となって出所

収監中、筆舌に尽くしがたい虐待を受けていたことは、出所後の彼女の言動から察しがつく。親戚や地域の法輪功学習者が身の回りの世話を行っており、彼女の周囲に起きた出来事について明慧ネットに報告していた。

柳志梅さんは収監中、何度も殴打され、臀部から足元は黒いあざが覆う(明慧ネット)

 2005年の冬。ガラスのない窓から北風が吹きつける粗末な小屋に、無表情で、オンドルに腰かける志梅さん。尿で濡れた布団。自らの便を塗った壁。部屋に充満する異臭も分からないようで、ただぶつぶつ、彼女は独り言をつぶやいていた。

精神喪失状態の志梅さんは、時折、表情をこわばらせ、外に向けて何かを押し出す姿勢をとった。部屋に人が立ち入ると、部屋の隅に移動して、手で胸を保護した。親戚の女性が志梅さんを着替えさせるとき、うっかり胸に触れた。突然思い出したかのように、親戚の手を自分の乳房の上に押しつけ、乱暴に扱れた様子を述べた。「彼らは私をこのように殴ったのよ。このように、このように。私はとても痛かったの…」

志梅さんの臀部から足首までは濃い紫色で覆われていた。足幅を広げた通常の歩行はできなかった。生理は3~5日間と頻繁にきて、服が真っ赤に染まった。

永遠の21歳

志梅さんは、年齢を聞かれると真面目に「21歳」と答えた。清華大学での学園生活を謳歌し、学業に勤しんでいたときだった。彼女の時間と記憶は、当時のまま静止しているようだった。

柳志梅さんが壁に書いた「清華大学」の文字(明慧ネット)

 志梅さんはある日、突然実家の壁に「清華大学」の4文字を書いた。栄光と学問の喜びを、苦痛と迫害を与えた清華大学。彼女がずっと戻りたかった場所でもあり、また彼女の心が引き裂かれた場所でもあった。

明慧ネットによると、志梅さんは収監中、訪問してきた学校関係者から「修煉をやめれば復学を許可する」と説得されて、転向(てんこう:思想を変える)を宣言した。

その後、収監中の他の学習者を説得したり、暴行したりするよう強要されていた。しかし転向宣言から3年経っても、復学も、出所も許可されなかった。

裏切り、騙し、暴力、罵声―人の思想を「矯正」させようとする共産党の非道な手法に、志梅さんの心は打ち砕かれていった。「○○さんの首を折ったのは、私じゃないのよ…」志梅さんは、他者を暴行した罪の意識にさいなまれていた。

「私はまだ生きている、生きている、私はずっと生きている……」。村に戻ったあとも、志梅さんはこの言葉を、中国や英語で、独り言だったり、どこかに書きなぐったりした。

病状が軽い時、志梅さんは清華大学で交流した何人かの学友たちの名前を口にした。そのなかで、名前が挙がった清華大学の元学生・黄奎さんは、明慧ネットで志梅さんの迫害情報を見て、次のように述べた。

「中国で、清華大学は特殊な大学だ。多くの中国共産党党首は清華大学の出身で、清華の卒業生は中国社会において特殊な地位を持っている。こうしたエリート学生でさえもこれほど残酷に迫害されるのなら、中国共産党の警察、司法、刑務所は一般の法輪功修煉者に対して、どんなに残酷な手段をとっているのか想像できるだろう」。

「彼女が壁に書いた、曲がりくねった『清華大学』の字を見て、私は本当に胸が痛い。これは、清華大学100年の歴史における最大の恥辱であり、中国民衆にとって最大の悲しみであり、中国共産党の邪悪な行為の最大の暴露だ」。

法輪功迫害から18年

法輪功迫害から18年。中国共産党当局により大勢が連行された。多くは行方不明になっており、どこに収監されているのか、あるいは亡くなっているのか、学習者たちの多くの情報は、当局から正式には公開されていない。人権団体フリーダムハウスによる、2017年2月発表の中国の信仰弾圧に関する調査報告「中国精神の戦い」のなかで、仏教や道教の信者、ウイグルのムスリム、チベット密教徒、法輪功学習者に対する中国当局の迫害レベルの比較表では、法輪功が「最高」に位置付けられると指摘した。

海外へ渡った法輪功学習者たちは、中国国内のこうした迫害停止に動くために、中国の政治機関、司法機関、公安当局、中国共産党支部に電話したりメールを送ったりして、非人道的な行為を即刻辞めるよう説得を続けている。

学習者はときに、大陸内に海外メディアを招き、学習者を紹介して取材活動を手伝っている。ウォールストリート・ジャーナル紙イアン・ジョンソン記者は、現地の法輪功迫害をテーマにした記事を書き続け、2000年、ジャーナリズムで最高栄誉とされるピューリツァー賞を受賞した。

カナダに住む実業家で、清華大学出身の法輪功学習者・虞超さんは、他の学習者からの通知で、志梅さんの死を知った。虞さんもまた、同じく迫害により投獄され、生死を彷徨った経験がある。「志梅さんを中国国外へ呼び込む方法を考えていた」「何が起きているのかを伝え続けなければならない、これ以上、辛い思いをする人が出ないように」。

法輪功学習者は、高い道徳観に基づく心身の修煉と同時に、国内外の人々に対して、中国共産党による迫害停止に向けた働きかけを続けている。

(編集・佐渡道世)

日本の安全保障、外交、中国の浸透工作について執筆しています。共著書に『中国臓器移植の真実』(集広舎)。