一人っ子政策 中国女子の養子縁組

生みの親に会いたい…中国系米女子大生、祖国への旅

2017/04/01
更新: 2017/04/01

中国で捨てられ、現在は米国家族の養子となり米イェール大学で学ぶ20歳の女子大生。生みの親を探すため中国を旅した。そこでは米国とは異なる中国「一人っ子政策」の弊害、中国の家族たちの苦しみを目の当たりにすることになる。英BBC放送が3月24日に報じた。

報道によると、ジェナさんは1992年3月24日に武漢市内のバスターミナル付近に捨てられていたところを発見され、同市内の児童養育施設に送られた。施設では「夏華思」と名付けられ、便宜上の「誕生日」が決定された。

中国には正式な養子縁組制度がなかったが、幸運なことに92年に法律が制定され、外国人が中国人の子どもを養子にもらい受けることができるようになった。92年6月、「夏華思」ちゃんは米国で小学校の教員を務めていたマーガレット・クックさんに引き取られ、新たに「ジェナ」と名付けられた。

この年、養子縁組で中国から渡米した中国人の子どもは200人。そのうちの1人がジェナだった。以来、米国人に引き取られた中国人の子どもは8万人に上り、そのほとんどが女の子。米国以外でも、4万人がオランダやスペイン、英国などの家庭に引き取られている。

物心ついた時には、ジェナは自分が養女であることを知っていた。「私は親から捨てられたのだろうか? 自分が何か悪いことをしてしまったからだろうか?」。

ジェナには姉がいたが、姉もまた中国からの養女だった。周囲と違い、アジア人の容姿を持つ姉妹に対し、母親のマーガレットさんは中国語を習わせたり、同じく養子縁組した家庭の子供たちと交流したりして、できる限り中国文化に触れさせようと心を砕いた。

学術プロジェクトで中国へ親探し

中学生の時、ジェナは受賞したドキュメンタリー映画『Somewhere between(中国語タイトル:中間地帯)』の主人公の1人に選ばれた。この映画は中国で生まれたものの、女の子であるがゆえに親から捨てられ、米国人家庭に引き取られた4人の女の子の生活を追ったもの。監督のリンダ・ゴールドステイン・ノールトンさんもまた中国人の養女を持つ母親で、娘へのプレゼントとしてこの映画を撮影したという。

20歳になった大学生のジェナに、ある学術プロジェクト資金が提供されることになった。その資金で中国へ渡航して生みの親を探せることになった彼女は、自身の親探しの旅が、米国に住む8万人の養子縁組をした子女たちの助けになればと願っていた。

地元紙が「親探しの旅」報道 SNSで情報拡散 

 

12年5月、ジェナは養母のマーガレットと2人で親探しの旅に出た。ジェナは自分の幼少時から現在までの数々な写真と、捨てられた当時の情報を載せたビラを印刷し、武漢の街角で道行く人に手渡した。たくさんの人が、心当たりに聞いてみると約束してくれた。

一週間後、武漢の地元メディアがジェナのことを報じた。記事にはジェナからのメッセージも掲載されていた。「お父さん、お母さんへ。あなたたちを抱きしめたい。私を生んでくれてありがとう」

このメッセージが大きな反響を呼び、数週間でジェナの親探しの旅の話は中国中に知れ渡った。その結果、数百通ものショートメッセージがジェナのSNSアカウントに届いたが、親探しについて人々の反応は様々だった。生みの親が見つかるよう祈っていると激励する人もいれば、時間と労力の無駄だと言う人、ジェナのことを育ての親をないがしろにする恩知らずだとののしる人もいた。だが、「もしかしたら私があなたの親かもしれない。親子の対面をしたい」という人たちが現れたことは、嬉しいニュースだった。

寄せられた情報をふるいにかけて、ジェナは最終的に50家族を選び出した。彼らはみな、「92年3月に武漢のその街角に赤ちゃんを捨てた」と説明していた。

頻繁に赤ちゃんが捨てられるバスターミナル

これについて、ジェナは次のように述べている。「この数の多さには驚くばかり。同じ月に、きっと別の街角でもたくさんの赤ちゃんたちが捨てられたのでは。別の月や年では、どうなのでしょうか。名乗りを上げない家庭だってたくさんいるはず。私が捨てられた年にバスターミナルで働いていた人から『ここには赤ちゃんがしょっちゅう捨てられている』と聞きました」

ジェナは候補に挙げた50家族と対面した。一人でやってきた人もいれば、家族全員で訪ねてきた家庭もあった。赤ちゃんを捨てたわけについて、彼らは大抵「男の子が欲しいから。女の子も育てたかったのはやまやまだが、中国当局の一人っ子政策のせいで、2人以上子供を持つと厳しい罰則が待ち受けていたから」と説明した。

不合理さに怒りを覚えながらも、ジェナは対面で、親たちが捨てた子供のことを案じていたことを知った。また、自分が生みの親から疎ましがられたために捨てられたのではなく、選択肢はなかったと考えるようになった。「親たちは悔やんでいました。そして、子供のことを忘れたことなどなかったのです」。

最終的な結果はDNA鑑定にゆだねられたが、結局今回対面した人たちは全員、ジェナの肉親ではなかったことが明らかになった。だが結果はどうあれ、ジェナは今回の旅がやはり意義あるものだったと感じている。中国の一人っ子政策が中国人にどれほどの不幸をもたらしたのか、身をもって知ることができたからだ。

旅を終えたジェナは、次のように語っている。「今回の体験は、私が歴史の教科書で知った一人っ子政策や、子供を捨てたり殺したりする両親の話とは完全に異なるものでした。(子を捨てた人たちは)深く悔いていることが分かりましたし、子供をどれだけ愛していたかも感じました」「いつになるか分からないが、生みの親に巡り合えたらと思っています」。

(翻訳編集・島津彰浩)