中国教育部は1月10日、全国の小中高校が使う教材に関して、従来解釈してきた「抗日戦争」(日中戦争)期間である「1937年から45年までの8年間」を、今春から「31年から45年までの14年間」に改めるとの通知を出した。国内複数のメディアが伝えた。
中国共産党政権が「31年から45年までの14年間」にすれば、30年代前半に共産党が参与した「東北抗日聯軍」とのわずかの証拠に基づき「日本軍と全面的に戦ったのは国民党が率いる国軍ではなく、共産党である」と歴史を歪曲するためだとみられる。
歴史学者「日本軍と戦ったのは国民党」
日中戦争の歴史に詳しい国内ネット作家の荊楚氏は大紀元の取材に対して、「学術界では日中戦争の期間について、確か「1931年の「九一八事件(満州事変)から45年の日本降伏までの14年間」を主張する派と、「1937年の七七事変(盧溝橋事件)からの8年間」とする派がある」と示しながら、「いずれにせよ、重要なのは共産党は日本軍と戦わなかった史実だ」と指摘した。
「中国共産党がねつ造した歴史が嘘だらけで、国内学者にすら軽蔑されている。少しでも、この塗り替えられた歴史が成り立つために、当局が今回意図的に修正した」とした。
在米歴史学者の辛灝年氏によると、当時の日本軍が中国の東北部を、1931年の満州事変から37年の盧溝橋事件まで占領していたとき、中国共産党は東南部の江西省を拠点としていた。共産党は、国民党政府からの『囲剿』(包囲殲滅戦)を逃れるように、西南部、西北部へと逃亡を続けたとし、「抗日のかけらもない」「共産党はこの逃亡を『長征』に、西進を『北進』に、また『革命』を『抗日』にすり替えた」と述べた。
また、辛氏は37年から45年までの8年間に、日本軍に抗戦する意欲が全くない共産党は、政権奪取の目的でソ連からの指示を受けながら、日本軍と戦っている国民党の国軍に対してゲリラ戦を繰り返し、武器や軍資金のためにアヘンまでを栽培し売っていたと指摘した。
毛沢東は日本の侵略に「感謝」
実際、中国政府が公表した文献をみると、毛沢東が少なくとも6回、公の場で日本に対して「感謝」を表し、日本の侵攻がなければ、中国共産党が政権奪取ができなかったと話した。日本軍と戦った国民党の力が弱まったことを見計らって、毛沢東らが国内戦争を起こし政権を奪った。
『毛沢東文集第八巻』に集録された『日本人民闘争の影響は非常に深遠である』(中国語:日本人民斗争的影响是很深远的)を題にした文章において、1961年1月24日毛沢東が日本社会党の黒田寿男議員に会談した際、毛沢東が1956年に日本の日中輸出入組合の南郷三郎氏と会見したことに言及し、以下の話をした。
「日本の南郷三郎氏が私と顔を合わせた途端、『日本が中国を侵略したので、お詫びを申し上げなければならない』と話したが、しかし私は彼に、『われわれはそうは思わない。日本の軍閥が過去において中国の大半の土地を占領した。このため、中国国民は教育を受けることができた。そうでなければ、……われわれは今まだ山の中にいて、北京で京劇を見ることさえできなかった。……だから日本の資本壟断と軍閥はわれわれに好いことをした。感謝が必要であれば、むしろわれわれが日本軍閥に感謝しなければならない』と答えた」という。
前述の荊楚氏は「日中戦争で国民党の国軍の将校だけで200人以上が戦死した。国軍の空軍もほぼ殲滅された。中国の抗戦は非常に悲壮だった。共産党は完全に歴史をねつ造している。(日中戦争中)共産党がやったことは国軍の抗戦を妨害し(ソ連の)スターリンの指示を受けることだった」と示した。
中国国内ネット、共産党に不信感あらわ
中国当局が抗日戦争期間を「14年」にすることについて、国内インターネット上でも話題になったが、多くのネットユーザーが疑問の声をあげた。
国内ポータルサイト「騰訊網」が11日に掲載した同報道記事のコメント欄に、「14年にしたら、(1895年から)日本が占領していた台湾はどうすればいい?」「14年って短いではないか?甲午戦争(日清戦争)から数えて51年にすべきだ」「いっそのこと、倭寇と戦った明の時代の戚継光からにすれば?400年以上あるよ」などと皮肉り、不信をあらわにした。
(翻訳編集・張哲)