【大紀元日本7月9日】先月はじめ、中国から戻ったばかりのカナダ人ライアン・コリンズさんは中国広東省深セン市で、ハリウッドのスパイ映画のような恐怖体験に遭った。中国政府のスパイになることを断った彼は、身柄を拘束された後、強制送還されたという。「婚約者は中国に残されている・・・・・・」と不安げに語った彼。カナダ外務省は「コリンズさんの救出に尽力した」とコメント。
オンタリオ州ブランプトン市の自宅で、コリンズさんは大紀元時報カナダ支社の取材を受け、恐怖の体験を明らかにした。その概要を以下にまとめた。
09年にコリンズさんは広東省に渡り、深セン市で4年間過ごした。コンピュータ技師である彼は貿易業務にも携わり、いずれ中国で自分の会社を立ち上げる計画だった。
悪夢は数カ月前から始まったという。
ある学校からコンピュータの修理を依頼されたコリンズさんはその一週間後、この学校の責任者と名乗る袁氏(音読)に誘われて会うことになった。いろんな抱負を聞かされた末、「ビジネスパートナーにならないか」と袁氏から声をかけられた。
袁氏の身の上話によれば、彼は中国国内のほか、香港と米国サンフランシスコでも会社を経営しているという。
「米国カリフォルニア州にある袁氏の会社は、相当実力があるようにもみえた」とコリンズさんは言う。
彼は何の疑いもなく袁氏のアプローチを快く承諾した。知り合って3カ月後、コリンズさんは袁氏のIT会社に入社した。
コリンズさんは次第に袁氏のことを不審に思うようになったという。中国生まれで幼少時に海外に渡ったという彼は複数の名前を使っており、所持しているのはシンガポールのパスポート。その父親は中国軍部に所属している。「秘密警察に守られており、権力が非常に大きいようだ」とコリンズさんは言う。
そのうち、袁氏から意外なことを持ちかけられた。中国政府の工作員になり、カナダの機密情報を収集するよう打診されたのだ。
「変だ」と気づいたコリンズさんは袁氏から離れることを決意した。2日後、彼は袁氏にメールを送り、辞職の意向を伝えた。袁氏から、「わかった。気をつけてください」というメールがすぐに届いた。
この日を境に、コリンズさんの周辺で色んな不審な動きが現れた。見知らぬ人が頻繁に自宅のドアを叩いたり、どこに行っても尾行されるようになった。
「恐らく、私は袁氏の秘密を知りすぎたからでしょう」
コリンズさんと婚約者が身の危険を感じる出来事も頻繁に起きるようになった。「どこに行っても私はあなたを見つけ出せる。とても容易いことだ」と袁氏の言葉は恐ろしかった。
このような状況が2週間も続いたため、コリンズさんは香港に渡り、カナダ大使館と父親に助けを求めた。
深セン市に戻ったコリンズさんの身辺で不審な出来事がさらに増えた。警察当局に保護を求めたが、「ドアをノックされたら開けなければいい、何かあったら110番通報すればよい」と警察からは事務的な対応しか得られなかった。
5月30日、彼は警察当局に「不法就労と入国ビザ偽造」の容疑で逮捕された。「まったく事実無根である」とコリンズさんは容疑を否認し続けたが、警察当局は聞く耳を持たなかった。
そのうち、取り調べの警官は逮捕の原因について、「ある人物の機嫌を損なったからだ」とポロリと洩らした。
拘置所では、コリンズさんは裸にされ、12時間連続の取り調べを受けたという。「まったく人間扱いでなかった」とコリンズさんは当時を振り返った。
逮捕の初日、3人の中国人警官がカナダにいる彼の家族に対して、3万元(約50万円)を要求した。そのうちの一人は「すべては金のためにやっている」と堂々と告げた。
一週間後の6月7日、彼は釈放された。自宅に一時帰宅することも許されず、そのまま香港に出国させられ、「今後5年間、中国に入国禁止」とも通達された。
コリンズさんはいま、中国に残された中国人婚約者のことを非常に心配しているという。
記者が事件のもう一人の主役・袁氏に連絡をとってみたが、相手から返事はなかった。
カナダ外務省の報道官は大紀元時報の取材に対して、「オタワ当局とカナダ領事館はコリンズさんの救出に尽力した」とコメントし、詳細を公表できないと応対した。
カナダ安全情報局アジア太平洋地区の責任者ミヘル・ジュノ-カツヤ氏は記者に対して「コリンズさんのような遭遇は十分にありうることだ」と話した。
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