【大紀元日本7月16日】中国にはこんな諺がある。「形勢比人強」。形勢は人より強い。つまり、どんなに力のある人でも、どんなに強権な指導者でも、社会の流れは止めることができない、ということだ。
中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」がその「形勢」となりつつある。11日付の米VOAは、情報統制に必死な中国当局はいま、気軽につぶやける微博を前に、息切れ気味になっていると指摘した。言いたくても言えなかったことが山ほどある、1億人の微博ユーザーの口を封じるのは難しい。
「胡おじいさん、どうして主席になりたかったんですか?」
7月10日、夜10時半。「香港新聞記者」というアカウント名の微博ユーザーが、2008年5月9日胡錦濤主席が日本の横浜の小学校を訪問した時の映像をアップした(注、微博には映像アップ機能がある)。
和気あいあいとした雰囲気の中で、1人の男の子がたどたどしい中国語で聞いた。「胡おじいさん、どうして主席になりたかったんですか?」
「胡おじいさん」は満面の笑みで答えた。「教えてあげようか。おじいさんはね、なりたいと思ってなかったよ。中国の人民が選んでくれたんだよ。中国の人民が私を主席にさせたんだ。私は中国の人民の期待に応えるべきだ」
3年前の出来事が微博に載り、たちまちホットなニュースになった。公開24時間で、この映像は2150回リツイートされ、830人がコメントした。
―胡おじいさん、わたし、選んだことないわよ。選んであげたいのは山々だけど、まず先に票をちょうだいね(宋霊歌No6)
―涙が出てきた。自分が中国人民じゃないことに初めて気付いたよ。何だ、「中国人民が選んでくれた」って。14億の国民をバカにするだけではまだ気が済まないのか?外国に行ってまで子供を騙すなんて…成人して久しいが、これっぽっちの政治権利もない(桂栄V5)
―なりたいと思っていなかったらお辞めなさい。なりたくて投票を待っている人がいくらでもいるよ(我是楊雪)
―小さい時から親に言われている。嘘を付いたら雷に打たれるって。どうやら、天は居眠りして、人間のことはどうでもよくなったみたい(人類主義拯救人類)
―まったく中国人民はいけないな。胡おじいさんが主席になりたいかも聞かずに強制的にやらせちゃって。胡おじいさんを困らせているじゃないか(周澤談案説法)
―わたしは中国人民じゃないみたい。中国人民たるものは5000人ぐらい(注、全国人民代表など)しかいない。中国は人口稀少国だ(閑逸山翁)
―待って、混乱した。中国の国家主席は内輪で決めるんじゃなかった?いつから全国人民が選ぶようになったの?日本の子どもを騙してはだめ…(慕容心語)
―これは大きな勘違いだ。彼を主席にしたのは人民代表。人民代表は党が指定した人…(蒼白的孤泊)
―習(近平)おじさんにも聞かなきゃ。無理やりさせると悪いからね(挙頭望明月低頭思姑娘)
知恵比べの「いたちごっこ」
胡主席への「不敬」なコメントは実は氷山の一角に過ぎない。昨年10月28日付の英エコノミスト誌はこんな見出しの記事を掲載した。「グレート・ファイアウォールをぶち破る ツイッターが負けて、国産微博が勝ち進む」
記事では、中国共産党が2008年の北京五輪前後に米国発のツイッターをブロックしたのは、中国人民が、当局が好まない外部の情報源にアクセスすることを当局が恐れたためだと指摘。ところが、ツイッターの「負け」は微博に発展のチャンスを作り出した。そして、ツイッターの代わりに微博が成功し、当局が危惧したツイッターの社会的機能を、ちょうど微博が担うことになった。そこで、ツイッターのブロックに成功した中国当局は皮肉にも、情報封鎖という大目標の戦いにおいては失敗したことになる。「形勢比人強」。まさにこういうことだ。
もちろん、当局が目をつぶる訳はない。反体制的な議論がネット上で広まる場合、当該サイトの運営者はペナルティーを科されるばかりか、編集長や経営者が左遷・更迭される場合も少なくない。
これには各サイトの運営者も自主規制に走るしかない。各社は内部に「審査部」を設置し、24時間体制でユーザーたちの言論をチェックし、敏感な話題・書き込みを削除していく。
それでも、微博はいつも一足早い。ワシントン・ポスト3月22日付の記事によると、中国には十数サイトが運営する微博があり、1億2000万のユーザーが1時間に100万のつぶやきを発している。また、漢字の国・中国には同音異字がたくさんあるため、検閲システムに「敏感語」を設定してフィルタリングしようとも、ユーザーらは同音異字を駆使してすり抜けている。ユーザーらの「点火」と、審査部の必死の「消火」。知恵比べのいだちごっこが日常的に微博で繰り広げられている。
微博は実は「テスト版」
微博の「博」は、「博客」こと「ブログ」の略で、「微」はサイズがミニということ。しかし、微博の威力は決して「微」ではない。
記憶に新しい、かの見栄っ張りの「郭美美baby」も、最初は「新浪微博」で写真付きでセレブライフ自慢をしていた。その豪奢ぶりが、日ごろのフォロワーの腐敗への警戒神経を刺激し、「人肉捜索」(ネットユーザーがネット上で情報をつのって個人情報を特定すること)がすぐさま行われた。結果は、フォロワーの神経に狂いがなかったことが証明された。人肉捜索から引っ張り出されたのは「中国赤十字の義援金横領」という深い闇だった。
「生き返った」江沢民の死亡説の1つのきっかけとなったのも、微博でつぶやかれた目撃情報だった。その後も、当局が慌てて設けた多くの敏感語をすり抜け、江の死去を論じたり、ジョークを披露したり、当局に厳重にブロックされた死亡説は微博によって国内にも流れ込んだ。
こんな「やっかい」な微博を当局はなぜ封鎖しないのか。安易にできないようだ。すでに人々のライフスタイルの一部と化した微博を今さら封鎖すると、ただならぬ反発の声が上がることは容易に想像できる。胡錦濤が唱える「和諧(調和)」社会がたちまち崩れるリスクさえある。「形勢比人強」。社会の流れがこうなってしまったら、もはや後戻りはできない。
それでも昨年7月に、各社が運営する微博に「測試版」という文字が追加された。つまり、正式なものではなく「テスト」しているのだとほのめかしている。「テスト」して「国情」に合わなかったら閉鎖というシナリオも当局が用意しているということだろうか。しかし、当局は先人の知恵を忘れてはならない。「形勢比人強」。
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