ビンラディン死亡 中国の「ビンラディン」はどうなるか

2011/05/12
更新: 2011/05/12

【大紀元日本5月12日】米国は10年目にして、ついに念願を果たし、テロリストの首魁ビンラディンを射殺した。悪には悪の報いがあり、世界から大歓声が沸き起こった。

中共の動揺

表向きには、中国外交部の女性スポークスマンは「国際テロを撲滅する上で重要な出来事」とやむを得ず表明した。一方、この数日間、中共(中国共産党)当局の新聞では、ビンラディンの死亡について、疑問点ばかりを強調し、ビンラディンがまだ生きているかのように匂わせている。さらに「闘士」「英雄」などとおだて上げ、とにかく、どちらにしても哀惜の声である。ビンラディンの死で、中共は1人の戦友を失い、さぞ動揺していることであろう。

5月3日に発表された、中国国内のある有名なウェブサイトのトップ・ニュースを抜粋してみよう。見出しは「ビンラディンの死で、中国は再度巨大な戦略の圧力に直面」で、下記のように述べている。

「ビンラディンが死亡したので、米国は軍隊をイラクとアフガニスタンから大規模に引き揚げるだろう……。そして、米国には余裕ができ、別の事に集中できるようになる。主要な競争相手でもある中国に対処することを含めて……」

この文は中国と中共を混同しているが、実は米国の本当の相手は中国ではなく、ゲームのルールさえ無視し、最低限度の道徳観すらない中共である。この文章は中共の現在の心理状態を如実に描いている。どうして中共がこのようにまるで大災難が自分の身に降りかかったかのように感じているのだろうか。それは中共こそが最大のテロリスト、中国の「ビンラディン」であるからだ。

中共こそが最大のテロリスト

ビンラディンを代表とするアルカイダ組織は、20年間にわたりテロ活動をし、表面上は規模が非常に大きく、世界の人々を恐怖に陥れている。しかし、注意深く分析してみると、その力、人数、テロ攻撃の規模、範囲などは、比較的限られている。例えば、テロ活動は主に中東と西側の大使館、領事館、駅などに集中しており、その犠牲者は数千人である。

人が人を殺せば殺人犯と称され、一つの組織が人を殺せばテロ組織と称されているが、一つの国の名義での殺人はしばしば見落とされる。信じがたいことだが、このことは今日の中国で起きており、しかも60年間も続いてきたのだ。

中共が政権を樹立してから政治運動は絶えず、殺人が絶えなかった。反革命への鎮圧、反革命分子の粛清、三反五反、知識人に対する思想改造、反右派、大躍進、四清運動、文化大革命、六・四、法輪功への弾圧、暴力による土地の収用、基本的権利保護主張に対する打撃など、独裁、暴力、殺人など極めて多種多様である。

ビンラディンとは異なり、中共の殺人は、国家政権の形式で行われ、その規模は数千万人にも上る。ビンラディンはただ自爆テロだけをやらせているが、中共は多様な方法で人を殺し、手段も極めて残忍である。

その1、直接の殺戮である。例えば、「反革命分子への粛清」「反革命への鎮圧」「六・四」である。「反革命の鎮圧」で、500万人が殺された。

その2、「政策による殺人」、表では血を流さない。例えば「大躍進」「一人っ子政策」である。

その3、「洗脳による殺人」 数十年一貫した宣伝を行い、共産党の文化、赤色の文化、無神論を注ぎ込み、伝統文化を否定し、人に是非を判断する能力、最低限度の身を処する道徳規範を失わせることで、人間らしからぬ人間につくり上げる。

その4、特定の信仰団体、例えば現在行われているチベット人や法輪功への迫害、生きている人からの強制的な臓器摘出、集団虐殺など、その他さまざまである。

もしビンラディンの殺人が報復のためだとすれば、中共は何のために殺戮を繰り返すのだろうか。何がそれをこのように凶暴に、残虐にさせているのか。中共は中国人に恨みがあるのか。中国人があまりに悪いからか。それとも中国人が全て暴徒であるのか。

ある人は、政権を守るために必要だと言っている。全ての国家機関を掌握し、全社会の資源を掌握し、全社会を掌握している中共政権は、人を殺す方法で政権を安定化しているのだろうか。

明らかにこれらはすべて本当の原因ではない。中共の本質は極悪非道な邪教であり、その本性がそうさせているのであり、それこそ最も根本的な原因である。毒薬のように、人を害することしかできないのである。

アメリカ人は「君子は、復讐するには10年かけても遅くない」という気概で、世の人々に正義が必ず邪悪に勝つことを示した。「9・11事件」を起こしたビンラディンはすでに死亡した。残虐さはビンラディンに比べて百倍、千倍、万倍もある中共はどうなるのだろうか。

天網恢恢疎にして漏らさず。古から「邪」が「正」に勝つことはない。中国民衆もこれをきっかけに、勇気を出して中共を捨て、明るい未来を迎えるに違いない。

(編集翻訳・金本)