歴史に別の選択あったか 12年前の中国を変えた大事件を振り返る

2011/04/25
更新: 2011/04/25

【大紀元日本4月25日】4月の中国。毒豚肉、毒牛肉、毒モヤシなど、各地で次々に露呈する食の安全問題に怒れる国民世論。反体制派の芸術家、艾未未(アイウェイウェイ)氏に対する当局の迫害に憤る世界世論。高騰するインフレについに耐えられずに起こった、中国一の経済都市・上海から各地に拡大した運送業界の労働者による大規模ストライキ。「信用やモラルが喪失した国は真の大国になるはずはない」と首相の温家宝は最近ついに、このように社会の深まる混乱に嘆く。そして天安門広場の東側に建てられた孔子の彫像は設置から100日目の今月21日に突然、広場から姿を消した。胡錦濤主席が今日まで孔子の和の思想を利用して唱えてきた「調和社会」の愚民政治の失敗の証なのか。

胡温政権では手の施しようのない失速が中国社会で進む中、前首相・朱鎔基氏は22日、母校の清華大学に姿を現し、当局に対する猛烈な批判を論じた。朱氏曰く、中国一の官製報道機関・中央テレビ(CCTV)の報道は「嘘ばかりだ」、中国自動車産業は世界を制覇する、とのCCTVの報道を「でたらめだ」、中国の教育制度は「カラ念仏だ」などと、痛烈に批判した。また、農村部の苦しい現実を描く、禁書扱いの調査報告書「中国農民調査」を、学生たちに推薦しながら、「この本は海外の多くの異見者に好評だ」と付け加えたという。

9年も公の場から姿を消していた朱氏の突然の登壇は、12年前の4月25日に中国で起きた、世界のメディアを驚かせたある事件のことを、人々の記憶から蘇えらせる。この事件の中で、朱氏は大きな役割を果たした。この事件をきっかけに、法輪功問題がこの12年間、そして将来の中国にとっても最も肝心な問題となり、「中国のすべての政治問題の核心である」と独立派ジャーナリスト・呉葆璋氏が指摘している。

1999年以前、中国社会の高層まで浸透した法輪功

1949年、中国共産党が中国で政権を取って以来、9の数字になる10年目に毎回大きな事件が起きている。1959年、チベット「反乱」を鎮圧し、そして対インド戦争。次の10年の1969年には中ソ戦争が起こった。その10年後の1979年、ベトナム戦争が勃発する。更に次の10年ではまずチベット民族に対する弾圧、そして6・4天安門事件。そして10年後の1999年に、法輪功を学習する国民に対して弾圧する事件が起きた。

1992年5月に法輪功の創始者・李洪志氏は初めて法輪功を一般に公開した。当時、中国社会では既に気功ブームが起きており、国民が気功で身体を鍛えることはごく一般的であった。法輪功はあらゆる気功の種類の中でも、誰でも学びやすい五式の功法を集大成としており、心身の健康へ効果が良いことから、国民の圧倒的な支持を獲得し、一般庶民から政府高官や軍の関係者も含めて、学ぶ人が爆発的に増えた。

「今日は早朝から、上海体育センターに約1万名の法輪大法の愛好者が集まり、功法を披露しています。創始者の李洪志氏は92年から公に功法を伝え、人気を博しています。法輪功は場所や時間の制約がなく、意念の導引も必要ないという、いまだかつてない気功なので、この6年、香港、台湾、マカオを含む全国各地で自発的な煉功組織ができたほか、すでに世界4大陸へと広がっており、法輪大法を学ぶ人も1億人に達しています」

これは迫害が始まる前の98年12月、上海テレビ局の報道だ。

当時、北京市紫竹院公園でも、法輪功を勉強する集会所があった。そこに通う学習者の中には、定年した共産党高層幹部が多くいたという。年の順で言えば、彼らは江沢民元主席と朱鎔基元総理よりも目上の、党の革命長老たちだ。例えばその中で、国務院から定年退職した周という苗字の幹部がいた。彼は当時の朱鎔基氏の上司だったという。

法輪功の学んで速やかに健康の効果を味わった人々は、もちろん自分の元部下であった現国家トップらにも法輪功を紹介した。江沢民氏の妻・王冶坪氏も法輪功の学んだその一人だった。

そのほか李鵬元首相、李岚清元政治局委員も、法輪功を学習していた上司や部下から紹介され、その教書である『転法輪』を読んだことがあるという。現主席胡錦濤夫婦も1998年、大学の同級生・張孟業氏から紹介を受けている。張氏は肝硬変や腹水の病を患っていたが、法輪功を学ぶことで健康を取り戻すことができたという。

1992年から、中国各部委(日本の省に当たる)の中に法輪功を勉強する人が出てきた。部長級(大臣にあたる)や副部長級、国務院副総理や人民大会委員長、副委員長などの高層幹部の多くは、法輪功の著書を読んだことがあり、江沢民氏を含めて当時の中央政治局の委員7人とその夫人とも、法輪功を勉強したことがあるという。

そんな中、共産党が主張する唯物論と相反する法輪功に対して、党内の研究機関から批判の声は絶えず上がっていた。これらの批判を受け、当時の気功団体を管理する機関・国家体育総局は1998年5月、広東省で法輪功の効果について調査を行った。1万2553人の法輪功学習者を対象にした調査の結果、法輪功の学習による病気治療と健康維持の有効性は97.9%の人に認められた、との結論が出た。国家体育総局の局長は、「法輪功などの気功によって、一人当たり毎年、医療費を千元節約できる。1億人が煉功すれば、1千億元節約できる。これを聞いた朱鎔基元首相も喜んで「国の金をもっと有効に使える」と発言したようだ。

1998年、人民大会委員長だった乔石氏ら高層幹部は、当時公安部が法輪功学習者を干渉することについて、江沢民を含めた政治局に対して、調査報告と合わせて「法輪功は百利あり一害なし」と進言したという。

中南海陳情事件、「中共政権以来初の官民間の平和な対話」

当時、マルクス主義の指導の元で理論物理学を研究する中国の物理学者・何祚庥(ホー・ツォシュウ)という人物がいた。何氏は共産党中央宣伝部に勤務しており、知識人や科学者を批判する各政治運動に関わっていた。例えば中国古代建築物の研究者で教育者の梁思成氏の理論と思想に対して、ブルジョアジーの唯心論だと批判したり、物理学においても唯心論批判を応用すべきだと主張したりしていた。彼はいわゆる「御用科学者」である。

このような唯心論批判はもちろん、何氏は気功に対しても猛批判してきた。4月11日、何氏は天津師範大学の出版物に、法輪功を学んだ知人が精神に異常をきたした、という内容の文章を発表し、法輪功を誹謗中傷した。4月23日、天津の法輪功学習者らが真相を伝え、訂正を求めようとしたところ、警官に殴打され、45人が逮捕拘束された。

不当拘束された45人の釈放について、天津の警察当局は「北京への陳情」

平和的な陳情を行う1万人もの法輪功学習者たち。中南海の壁沿いに立っているのは警官に誘導された結果であり、学習者が「包囲」したのではない(明慧ネットより)

を助言した。25日早朝、北京の中南海近くの陳情局に着いた法輪功学習者に、同じくその事情を聞きつけ、別の都市から駆けつけた学習者が加わった。結果、その数は1万人になったという。

当時、法輪功学習者たちは、法輪功の教書『転法輪』を読みながら、静かにその時を待っていたのであり、シュプレヒコールを叫ぶことも、横断幕を広げることもなく、主要メディアが報じたような「座り込みなどの威嚇運動」とは程遠いものであった。

当時、アメリカ訪問から帰国したばかりの朱鎔基元首相は、自ら中南海から出て、法輪功学習者に対して、「信仰の自由があるのは当然だ。法輪功の代表者は私と共に、館内に入って話しをしよう」と穏かに対応したという。拘束された学習者たちを釈放してほしい、という代表の要求に、朱氏はすぐさま天津当局に釈放の指示を出した。

同日夜10時過ぎ、拘束されていた法輪功学習者たちの解放措置を知った中南海の学習者たちは、警官が投げ捨てたタバコの吸殻も含めて、陳情局の周囲を自主的にきれいに掃除してその場から静かに立ち去ったという。

1989年の天安門広場で陳情する学生と市民に対して銃を向けた中国共産党当局の残虐さを熟知する海外メディアは、突然現れ、そして瞬く間に消え、秩序良く冷静に当局と対応した法輪功学習者と朱氏の間の対応に、大変驚いた。そして中共政権以来初の官民の間の平和な対話として、法輪功学習者の「平和と理性」や、政府の「開明」を賞賛した。

朱氏が出した路線が継続されれば、中国で民衆の信仰の自由が実現できたはずだ。そして政府も民衆からの信頼が得られただろう。法輪功が大衆にとってモラル向上の効果をもたらしたことも、秩序のある社会の構築に貢献できた。今日の中国に見られるような、民衆の道徳感の喪失や、当局の不信で起きる社会混乱の局面は、避けることができたかもしれない。

江沢民が生涯後悔する大失策

しかし中国の歴史は、ある人物の嫉妬心や疑心暗鬼により、その道を歩まなかった。6・4天安門事件の危機に際して、学生を積極的に弾圧するよう意見したことで、_deng_小平氏から総書記の要職を与えられた彼は、6・4事件10周年目に群衆事件が再来するのを恐れ、今度は法輪功の弾圧に舵を切った。党内や民衆からの人気や、実務能力とも朱鎔基氏に及ばない江沢民氏は、法輪功弾圧によって、党内での権威を強めようとしたのかもしれない。

1999年4月25日の夜、江氏は政治局委員7人全員に手紙を出して、「われわれ共産党員が持っているマルクス主義論や、われわれが信じる唯物論と無神論は、法輪功が唱えるモノに勝てないのか」と問い詰めた。

江氏の深い執念に、ほかの政治委員6人とも弾圧について反対の意見を出した。特に朱鎔基氏は江氏にまっすぐ向かって、「現在リストラされた労働者はかなりおり、法輪功を学ぶことで健康維持とモラル向上が出来るのなら、政府は支持してもいいではないか。学習者は主に中高年者で健康維持は一番の望みだろう。彼らに政治目的あるなんて考えられない。私たちは再び政治運動のやり方で思想問題を解決すべきではない」とはっきり述べた。朱氏の発言に江沢民は怒りのあまり、朱氏に指さして「愚かしい!愚かしい!亡党亡国だ!」と叱り、そして「滅ぼす!滅ぼす!必ず滅ぼす!」、「法輪功はわれわれと人心を争っており、これは政治問題と見なすべきだ!共産党と国の生死にかかる問題と見なすべきだ!」と叫んだ。江氏のあまりのヒステリー振りに、ほかの政治局員はおののき、口をつぐんでしまったという。

そして同年7月20日、当局は、法輪功学習者を摘発するとの声明を全国各地で一斉に出した。それから莫大な中国の資金を注入し、国内外の法輪功学習者を迫害した。数え切れないほどの法輪功学習者が逮捕し、投獄し、過酷な刑務所労働を強制した。多くの学習者が残酷な肉体的・精神的拷問を受けて死に至り、社会的苦痛を受け、家庭は崩壊した。

迫害は今もなお続いている。法輪功学習者は、事の真相を伝えるのと、反迫害活動を国内外で展開している。現在、この活動は世界中で多くの支持を得るようになった。2006年1月までに、全世界30カ国で35人の弁護士より「江沢民を審判する全世界大連合」が結成され、16カ国で江氏への提訴が起こされた。

迫害から12年目経った現在、社会全体の混乱や当局への民衆の敵意を前に、中国共産党政権は火山口に座っているような状況に置かれている。12年前の決断に、江氏はすでに後悔しているようだ。香港の政治月刊誌『前哨』の今年2月号には、『江沢民が生涯後悔している二つの大失策』という記事で、江沢民は2010年以降、少なくとも2回、自分で下した二つの大きな決断を一生後悔していると側近に洩らしたという。その一つは、「アメリカ軍がユーゴスラビアを爆撃していた時、自分は中国大使館に避難せず、いつも通り運営するようにという命令を下したこと」で、もう一つは、「法輪功を弾圧すること。それにより1億人余りの学習者を敵に回した」ことだという。

(翻訳編集・趙莫佳)