『アイスランドでの法輪功と中共の対峙』著者へのインタビュー(二)

2010/12/24
更新: 2010/12/24

『アイスランドでの法輪功と中共の対峙』著者へのインタビュー(一) の続き

ハーマン・サルトン博士(Herman Salton)。
人権、差別、多文化などを専門とし、
外交や国際関係と人権との関連性にも詳しい

 「人権」の概念の弊害

 問:あまり民主的でない国の首脳に対して、国家の首脳はどのように影響を及ぼしたらよいでしょうか。

 サルトン:多くのことができます。人権の問題は中国に提起されるべきです。理性的にアプローチすべきで、大げさに騒ぎ立てる必要はありません。しかし、必ず提起すべきです。「リスクは承知で人権問題を提起します。人間としての欠かせない権利であり、私の国では人権の基準が設けられています。中国がこの水準に見合わないのなら、改善すべきです」と言えるようになるべきです。

 しかし、ここに問題があります。 植民地化の歴史において、欧米諸国は長年、非西洋諸国に対して父権的な態度をとってきました。アフリカやアジア、世界中どこに行っても、人権を提起すると「西洋の帝国主義の押し付けだ」「また欧米諸国が世界をコントロールしようとしている」と片づけられてしまうんです。

 中国に関して言えば、中国は歴史的に19世紀から20世紀にかけて、欧米の植民化の波の中で「百年の屈辱」を味わってきました。 西洋の知識階級は、中国にとって「良いこと」を指導して保護していくことを一環して重視してきました。父権的なイデオロギーから「人権」を広めることが、 欧米の植民地化活動の動機の一つでした。

 つまり、米国は自分たちを中国の父親としてとらえ、中国が人権問題に関して自らの方向に進んでしまうことに、大きな「失望」を感じていました。ここには、「対等」の関係が見られません。この歴史的な背景から、「人権」が帝国主義的な態度と結びついてしまうため、一蹴されがちなんです。

 私の見解では、「人権」は西洋文化ではなく、普遍的な権利です。人に対する思いやり、慈しみの心でしょうか。世界の一人ひとりが、何が公平で何が不公平かを知っています。先ほど例をあげたように幼い子供は、自らが相手を差別することはしません。人間本来の姿を示してくれます。これを念頭に専制主義国家に対して理性的に取り組むことが大切です。

 取引を通しての影響

 問:各国政府は「取引」を口実に使い、中国への人権問題の提起に消極的です。

 サルトン:そうですね。人権問題は中国には提起しない。経済面から中国と仕事するアプローチをとり、 取引を通して、自国の中国への影響を高めることで、 人権問題が重要になるよう働きかけるというものです。

 過去10年間で、このアプローチが失敗に終わったことは明らかだと思います。人権に関して中国は問題をはらむ土地なのです。

 アイスランドのケースでお分かりのように、中国は自国の権威主義政策を民主主義国家に輸出してしまったのです。中国の重要性が増したため、中国が人権を輸入する代わりに、人権侵害を国外に輸出するという状況になっています。

 

 情報を伝える意義

 問:国民の意見を政府に反映させる方法はあるのでしょうか。個人に希望はあるのでしょうか。

 サルトン:民主主義政府ならあります。私たちが政府を選ぶからです。政府が最も恐れることは再選されない可能性です。つまり、民主主義国家では、政府は国民に対する責任があり、政府の決定に影響を与える力があります。問題を提起するメカニズムがあるのです。ここでメディアは最も重要な役割を果たします。例えばチベットのように、一つの問題をメディアが常に報道していれば、欧米社会での認知度が高くなるため、中国はチベットに対して強行措置をとりにくくなります。

 ですから、重要な点は、英国政府やフランス政府がチベットに関心を抱いているかということではなく、政治家を選出する国民、人々が、チベットを気遣っているかということにあります。つまり、人々に情報を伝えることが肝要なんです。だから人権なんです。人権侵害があるところでは、メッセージを伝えなければならない。アイスランドのケース、そして法輪功の迫害に関する事実など、より多くの人の知るところとなれば、政府の動きを左右することができ、逆に自国の政府を中国の人権問題の方向に向かわせることができると思います。

 少数民族

 問:ご自身の研究についてお伺いできますか。日本で研究されたことがあるそうですね。

 サルトン:比較法学の分野で、日本と英国の比較をしました。それぞれの国の少数民族に対するアプローチの違いですね。 英国は、世界でも最も外国人に慣れている国であり、日本は最も外国人に慣れていない国です。私の論点は、どの国にも少数民族が存在するので、日本が最も外国人に慣れていないということは事実ではないというものです。

 私は個人的に「日本は単一民族」という発想を受け入れることに支障があります。 日本の場合、そしてアイスランドの場合も、純粋な民族であるということが作り話に過ぎないということが行ってみると分かります。アイスランドには、ブロンドも赤毛もいるし日本人だって住んでいる。実に様々なんです。

 中国人の80%とか90%が漢民族に属するから、単一民族であると言いますが、これも作り話ですね。中国にはチベット、イスラム教徒がいるし、中国国内で使われる言語の多様性を考えてください。

 人類は常に接触をはかってきました。常に別の場所、別の人々を求めて移動しました。いわゆる「移民」です。そしていわゆる「少数民族」が生じるわけです。あなたも私も「少数民族」です。私はイギリス出身ではなくイタリアで生まれました。イタリアに行くと「多数派」の一員といえますが、イタリアの僻地から来たので、そういった意味で「少数派」です。あなたはテニスクラブの会員だから「少数派」かもしれません。つまり、私たちは多かれ少なかれ、ある種の「少数民族」なんです。ですから私は個人的に「単一民族」の発想を受け入れることに苦労します。

 中央集権化して、一まとめにした方が管理しやすいため、このような発想が生まれます。ナショナリズムを国民に植え付けるためには、我々は特別の集団であるということを信じさせなければなりません。 我々は純粋な民族だぞと。そして少数民族の存在を抹消します。

著書に戻りますが、これが中国政府が法輪功にしていることです。中国の場合、法輪功学習者への殺害は、(ただ一律に殺りくするわけではなく、圧力をかけて迫害していることから)物理的なジェノサイドというより、文化的なジェノサイドといえます。 「私たちが最高であり、私たちが多数派」というナショナリズムが形成されており、自分たちの存続のため、法輪功が主流にならないようにサイドライン化する必要があるということです。

 法輪功のように、そしてチベットのように、特に「少数派」に影響力があり、国際的に関心がもたれている場合、そして本当に力をつけ始めた場合、政府は威嚇されたと感じ、真に恐怖を覚えます。

 

 国連と政府

 問:現在の研究内容を教えてください。

 サルトン:国連の研究をしています。どのように作用するのか、そしてどのように作用しないのか…。

 国連の事務総長のオフィスで仕事をしていた時、機構としてどのように国連が作用するかにとても関心を持ちました。特に国連が作用しなかったケースは興味深く、ルワンダでの国連の失敗について、なぜ失敗に終わったのかについての本を書いています。

 国連は、人類にとって最高のものも最悪のものも生み出してしまいます。国連の歴史から明らかです。国連の問題は、人間でなく政府が管理していることにあります。だからいろいろなことが起こるのです。ルワンダにみられるように、本当の悲劇が起こってしまうんです。ですから、国連における政府の役割に関心を寄せています。

 問:最後に、大紀元日本の読者に対するメッセージをお願いします。

 サルトン:情報を得ること。できる限り読むこと。できる限り多くの番組を見聞きすること。一つのストーリーを詳しく考察すること。日本の歴史、他国の歴史を学び、どのように互いの国が関わり合ってきたかを見ていくだけで、政府は実は似通っているということに気づかれると思います。政府は人間から構成されているからです。もちろん民主主義と独裁主義の違いはあります。しかし、どの政府も特定のものを求めます。その一つがこの政府のやり方が一番良いと人々に信じ込ませようとすることです。この観点から他国の状況を見て、自国の歴史を探ると、多くの発見があると思います。そして最後に、人間はとても似通っており、各国政府も実は似通っている、ということに行き着くだろうと思います。

 問:私たちは皆同じ、ということでしょうか。

 サルトン:「同じ」だけれど「違う」んです。根底にあるものは「同じ」です。でも「違い」があるから面白い。みな同じだったら世界はつまらなくなってしまいます。世界中全ての人が英語を話すようになったら恐ろしくつまらない。世界中全ての人が日本語をしゃべるようになったら、これまた恐ろしくつまらない。人類は多様だから美しい。でも、多様性や違いは表面的なものに過ぎず、根底にあるものは全く同じです。

 根底にあるものが同じで、表面的な違いに慣れているだけということを理解すれば、他の生き方が受け入れられるようになり、自分も他人に受け入れられるようになる。違いは単なる文化の産物にすぎないのですから。

(記者・阿部)

 

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。