ハイウェイに現れた脱党スローガン=米サンフランシスコ

2008/09/05
更新: 2008/09/05

【大紀元日本9月5日】世界脱党サービスセンターは、8月を「8月軍人脱党月間」として、軍人の中国共産党脱党を促している。期間中の26日、米国サンフランシスコでは、国際空港へ向かう101ハイウェイに「天滅中共、退党保命(天は中共を滅ぼす、脱党すれば助かる)」、「40 Million Have Quit The Chinese Communist Party(4千万人が中国共産党から離脱した)」と中国語と英語で書かれた大型看板が現れた。

サンフランシスコ市内から空港へ向かう101ハイウェイは、一日の平均車両通行量が延べ25万台。世界脱党サービスセンターの高大維氏は、この往来の激しいハイウェイに現れた4千万人脱党支援のスローガンを見て感慨深げに、「04年の『九評共産党』(邦訳:共産党についての九つの論評)発表を機に起こった中国民衆の脱党ブームは、迫害を受けた人々のみならず、良心のある中国共産党政府関係者や軍人にも広がっている」という。

高氏は、「天滅中共、退党保命」は脱党サービスセンターのボランティアたちだけの思いではなく、中国の人々の心の声を表してもいるという。なぜなら中国大陸では、5千年の中華文化が中国人の心の中に根差しているのに、中共はその数十年の統治の中で、中国人に対しずっと無神論を注ぎ込み、中華文化の根を断ち切ろうと企てた。しかし、中国人はみな天象の道理を知っており、「天滅中共、退党保命」が民心であり天意を表しているということが分かっているからだ。

高氏はさらに、「8月に北京五輪を開催するに当たって、中共は10数億の中国人を人質とし、10数億の中国人の血と汗を犠牲にして、中国共産党の面子のために見栄えを繕った。これは大陸の人なら誰でもわかっていることだ。その8月中に、脱党センターには、中国大陸の民衆が厳しい封鎖を突破して送って来た脱党声明が数多く届けられた」という。

ハイウェイに現れた脱党スローガンの看板(大紀元)

ここに、高大維氏から提供を受けた中国大陸からの脱党声明をいくつか紹介する。

『上級女性軍人として初の脱党を競う』と題する脱党声明を提出した中国人民解放軍総参謀部の師団級幹部

「私は女性で、早いうちから共産党の隊列に引き込まれ、今は総参謀部の師団級幹部の地位におり、間もなく定年となります。共産党に追随した半生を振り返ってみると、確かに私の人生は順調で、仕事の上でも成功したと言えるでしょう。しかし、今振り返ってみると、私は心が落ち着きません。共産党は私が本当に必要だと思っていたような党ではなく、少しも私に心の安らぎを与えてくれませんでした。安心して死ぬこともできません。いつも、いつ粛清されるかとびくびくしていました。共産党には善良な心はなく、あるのは権力闘争と止まることのない腐敗だけです。言っている事とやっている事は完全に別で、心の中はどす黒くやり口は残酷で、邪悪に満ちています。」

「私には、共産党は13億の人々からなるこの中国を統治することはできないという予感があります。今日多くの民衆が目覚め、中産階級が立ち上っています。その中では、独裁は絶対に続きません。迫害に頼って独裁を維持する先には破滅しかありません。共産党滅亡の日はそう遠くないでしょう。」

「以前は昇級のために共産党に素直に従いました。今退職を前にして、私はこれまで自分がした一切の事と傷つけてしまった全ての人に申し訳なく思っています。以前は共産党に騙されていましたが、今ははっきりと分かっているし、今からでも遅くないと思っています。」

「また、ここであわせて、夫の黎の共産党からの脱党と、息子の少年先鋒隊からの脱退も宣言します。今後私たちは、共産党ならびにその関連組織とは永遠に関わりがありません。」

中国共産主義青年団からの退団を宣言したある大学生の声明

「五輪が我々にもたらしたものは何だ?私は大学卒業後、ふさわしい仕事を見つけることができず、家で育てた野菜を売って暮らしています。しかし、7月以来共産党は五輪開催のために、一般民衆の生死のことなど全く考えようとしません。私たちは毎日正常な商売ができなくなりました。都市管理者は毎日のように我々を見張り、屋台を出させてくれません。畑に植えたキュウリは日に日に熟しているのに、採っても売ることができません。柿も熟れ切ってしまい、手で触ればすぐにつぶれてしまいます。結局、キュウリは育ち過ぎて種ができてしまいました。当然稼げるはずのお金が手に入らないのを、じっと見ているほかないのです。」

「五輪は私の家の正常な収入に大損失をもたらしました。ただ、気ばかり焦ってもそれを口にすることはできません。ある日、野菜を買ってくれた女性が私に、共産党関連組織からの脱退のことを話してくれました。私は中国共産主義青年団に入っていたので、すぐさまそこから脱退することに同意しました。今後二度とこれらとは関わりません。」

ハイウェイに現れた脱党スローガンの看板(大紀元)

部昌(仮名)という名の連隊級幹部の脱党声明

「私は部昌といい、解放軍の連隊級幹部です。子供のころから中国共産党の思想文化の害毒、詐欺を深く受けた結果、中共が作りだした人生生産ライン上で、何事をするにも中共の考え方に合わせるような人間に加工されました。中共は誰に対しても、騙すことができなければ脅し、脅し切れなければ弾圧します。手には常に「帽子」を持ち、目障りな人がいればすぐ、その「帽子」を被せてしまい(レッテルを貼るということ)、死んだ方がましだという状況に追い詰めます。」

「毛沢東はかつて、『三日学習を怠れば、劉少奇(元国家主席)に追い付けない』と宣伝して、劉少奇を褒め称えましたが、ある時を境に、手のひらを返すように、劉少奇を「裏切り者、内通者」に仕立て上げました。中共はこのように、繰り返し革命の名義の下に、残酷なごまかしを演じ続け、人々を、『仕事では上を向いて力を尽くすが、人としては下を向いておとなしくしておく』という人間に変えてしまったのです。」

「そのため、私は中共の不正行為や残酷さを見ても、いつも本心に逆らい、自分に『党に忠実である』よう言い聞かせました。自分の魂を踏みにじらなければならないこのような生活は実に苦痛であり、自ら良心を押しつぶすような零落の中で、常に周りの人を見ていました。」

「私は今、中華民族に寄生する共産悪党を剥ぎ取ってこそ、真の新しい中国がありうるのであり、そうして初めて自分をも救えるのだということに気がつきました。私はここで、極悪な中共邪党と決別し、二度とそのスケープゴートにならないことを、厳粛に宣言します。」

軍人の脱党声明

「私は四川省綿陽県の人間で、かつて軍隊で小隊長として兵役に服していました。今、厳粛に、中共邪教組織およびその一切の付属組織と決別することを宣言します。」

「我々の県の三台鎮回龍庄は、先の大地震の時、一人も死にませんでした。それは、回龍庄に兵士として唐山大地震の救災活動に当たったことのある人がいたからです。その人は、地震の兆候のことをよく覚えており、四川大地震の時も、回龍庄の人々に地震が来そうだから外でテントを張って暮らすようにと言いました。すると、県や派出所から人がやってきて、『そんなのはデマで、地震など起こらない。あいつは気がおかしくなっているんだ。みんな、テントをたたんで家へ帰って寝るように』と言いました。ただ、みんなは言うとおりにしませんでした。その結果、あの大地震では、全村2千人以上いる中で死んだ人は一人もいませんでした。地震後、全村で10万元を集め、彼にほうびを贈りました。すると、またもや県から人が来て、そんなに与えてどうするんだ、5万元で十分だと言うのです。しかし、みんなは、2千万元でも少ないくらいだと言いました。」

「また、私が某市に行った時、たまたま五輪トーチがやってきました。すると、一軒の商店に閉じ込められてしまい、そこから動かないようにと言われたのです。トーチが遠ざかってやっと解放されました。そこで偶然出会った友人が、私に脱党を勧めました。彼に『共産邪党はあとどのくらいもつと思う』と尋ねたところ、彼は『すぐに解体するだろう』と答えました。私は『自分もそう思う。リレートーチでさえ、びくびくしてこんな有様だ。これ以上何ができるのか。やはり早く脱党しよう』と答えました。」

最後に、高大維氏は次のように締めくくった。

「同胞の皆には、『天滅中共、退党保命』がどういう意味を持つのかよく考えてほしい。脱党ブームの波に加わり、4千2百万の道徳と良知に目覚めた中国人と共に命を守り未来を守ってほしい。天は中華を助け、炎帝黄帝の子孫を助けるだろう。」

(翻訳・坂本)

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。