【大紀元日本1月5日】自国の総理大臣を批判するのは日本人として誠に不本意ではあるが、事実なのだから仕方がない。
昨年も押し迫った12月28日、日本の福田総理が中国・北京に赴いて、何やら紙に調印してきたらしい。どんな内容の調印であったか詳しくは知らない。思わずテレビの画面から目を背け、それ以上見ていなかったからだ。
中国側ばかり喜んでいたのが実に薄気味悪い。それにしても日本側は、もう少し毅然とした態度をとれないものか。あまりにお人好しでは、狡猾な中国共産党のトラップ(罠)にまんまとはまりに行くようなものであろう。
見るに耐えない今の対中外交では、日本の国益を損ねるのはもちろんのこと、将来(それは遠くない将来である)中共政権が崩壊したときに、本来そうであるべき正常かつ対等な日中関係に戻す上で大きな障害になることは疑いない。それをなぜ洞察できないのだろうかと、甚だ疑問なのである。
食品偽装ばかりではない。すべてのことについて、ニセ物はもう要らぬ。
「本物」を見極める「目」を今こそ日本人は持とう。真偽を見極める眼力を養おう。
残念ながら「日中友好」という美辞麗句にも、これまで相当のニセ物が横行してきたようだ。相手を知らぬ日本側の甘さが、その誘因の一つであったことは否めない。
真偽の見極めとは、なにも難しいことではない。例えば、日中友好の「中」とは誰を指すか、その一点を考えればよいのである。
暴力で人民を虐げる中国共産党の「中」のことか。
その暴力によって迫害を受けている、草の根の、罪なき中国人の「中」のほうか。
その上で再び問う。われら日本のサムライは、いずれの「中」に助太刀いたすべきや。
中国人に対する好悪の感情は、日本人のなかにも個人差があるだろう。いま問いたいのは、そのことではない。そのような民族感情はさて置いて、悪者をくじいて正しい弱者を助けねばならぬ、という当然の正義感・倫理観を日本人自身が自己の使命として認識し、実行する覚悟があるか、ということなのである。
「ある」と応えられる日本人でありたいと私は思う。
そして、そのためにこそ真偽を見極める「目」を持つのである。
特に、日本のすべての政治家には、その覚悟と「目」を持つことを要求する。そうすれば、今回の訪中のような、骨の髄まで相手に吸われる愚策外交にもなんとか歯止めがかけられるであろう。
話が逸れた。福田総理の訪中について述べる予定ではなかったのだが、そのことであまりにも落胆してしまったので、つい愚痴をこぼしてしまったようだ。
書きたかったのは「文化」のことである。
先日の福田総理訪中に合わせたのか、同じころの北京で、「日中友好コンサートin北京」と題された催しが行なわれたらしい。(テレビ放映は同28日)
会場は、なんと中共独裁政治の中心「人民大会堂」である。かつて毛沢東・江沢民が座った壇上が派手なコンサートの舞台となり、毒々しい色の電飾に照らされたその空間は、NHKのテレビ画面を通じて見ているだけで嘔吐感を覚えるのに十分なものであった。
谷村新司の「昴」のバックで踊るダンサーの動きが、曲と全くミスマッチだったのが滑稽で笑えた。感想といえば、それくらいしかない。
あとは全く見る価値もない、きわめて「偽」的な「日中友好」コンサートであった。
司会者は確か3人で、中国側の2人と、日本側のNHKアナウンサー1人であったと記憶するが、その3人ともさかんに口にしていたのが「日中間の文化の交流」である。
が、その言葉は浮いていた。いくら文化などと言っても、所詮それは「本物」ではないのである。当然ながら、どの演目も芸術的レベルは話にならないほど低く、ほとんど醜悪そのものであったと言わざるを得ない。
幸運なことに、私は前回の「神韻芸術団」の日本公演を見ている。
「本物」の文化とはこれである、ということを知っている。
つまり、たとえ一度でも「本物」を見たことのある人間にとっては、その真偽も優劣も一目瞭然なのである。「神韻」のおかげで私は、中国共産党が日本や世界に向けて戦略的に送り込んでくるニセ物の文化、すなわち「友好」の仮面を被った「偽」文化を看破する確かな「目」を持てた。「本物」の持つ力とは、それほど確かだと言えるだろう。
今年2月に、日本では2回目となる「神韻芸術団」の公演が、東京・名古屋・大阪の各都市にて、計9回おこなわれる。
前回の初来日公演ももちろん見事なものであったが、聞くところによると今回は、出演者一同、一層の厳しい修錬を積み、さらにレベルアップした演目を私たち日本の観客に披露してくれるのだという。これは楽しみにせずにはいられない。
私は、この1年間を本当に待ち遠しく思っていた。あと一月で、その願いも叶う。
願いのついでに、さらに一つ希望するとすれば、ぜひとも多くの日本の方々にこの「神韻芸術祭」を見ていただくことであろう。ニセ物に騙されない「本物」を見極められる確かな「目」を得ることが、今の日本人にとって最も大切なことなのである。
これは私も周囲の友人・知人にも勧めながら話していることだが、「神韻芸術祭」の内容については、見た後でチケット代が安すぎると思えるほど絶対に保証できる。
すでに巡回公演が終わったアメリカ・カナダなどの地では、観客はもちろん、一流の演奏家や芸術家、国家元首クラスの政府要人までが「こんな素晴らしいステージは見たことがない」と最大級の賛辞を寄せているほどなのである。
その感動をこの日本でも、多くの方々とともに味わえることを切に希望する。
私は、このイベントの主催者とは何の関係もなく、また法輪功の学習者でもない。
その無関係の私が、この「神韻芸術祭」を多くの方々にお勧めするのは、特別な意図も目的もなく、ただ「本物」の魅力に取りつかれた熱狂的なファンであるからである。
その魅力とはどのようなものかは残念ながら説明不可能なので、「神韻芸術祭」の実物をご覧になって、ご自身で感じていただくしかないだろう。
公演の当日、多くの皆様とともに感動を分かち合えることを熱望している。
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