中国の臓器狩りについて

2006/08/25
更新: 2006/08/25

【大紀元日本8月25日】中国は昔から酷刑の国であった。歴史が長いだけに刑罰もその分、工夫徹底されたのだろう。史書に「古の死刑には酷薄を極める凌遅とか車裂はもとより、肉刑と称し人間の体を毀損する刑罰あり、極盛とされる三代もこれに沿い周代には五刑三千有り、秦に至って極に達す」とあるが、流石に前漢の文帝時代にはかなり緩和されたようである。それでも万民の恐怖の対象であったことであろう。そもそも、そのような酷刑が定められたのは、矢張り上は謀反の大罪から、下は窃盗の類まで犯罪が多発した結果、所謂聖人の治世においてすら「井田の他にも刑獄を定め一罰百戒」の施策を採らざるを得なかったからであろう。

現代中国では、公安と言うだけで中国人なら警戒する。1970年代のことであるが、私が香港で勤務していた頃、同僚の中国人に、何はともあれ中国本土にだけは行きたくないと云う人物がいた。多分、戦後の一時期に漢奸と非難され辛い思いをしたのだろうが、それにも増して、何度も真顔で公安の恐ろしさを聞かされたものだ。

20世紀最大どころか人類史上最悪の殺戮を生み出した文化大革命は、餓死者まで含めるとその犠牲者の数は想像を絶する。一説では7千万人に及ぶとされる文化大革命の犠牲者の数は、平時戦時を問わず人類最悪の事件だったといえよう。現代、政府による公な文化大革命は起こらないが、悪名高い一人っ子政策はどうだろう。個々の家庭では一生引き摺る悲劇でありながら、やみくもに一人っ子政策が強行された結果、人為的に葬られた人命、具体的には堕胎や産声をあげられなかった女児の数は相当な人数になるだろう。目を背けるような無惨な事件でありながら闇から闇に葬られた稚い命の数は、恐らくは文化大革命の犠牲者と並ぶかもしれない。

明らかに文化大革命は、本来の革命の趣旨から逸脱した一老人の誇大妄想、権力欲に端を発する事件であった。大衆を動員し、建国の理想に燃える無数の有為の人物を非情に抹殺し、国家の発展に大きなマイナスを招くことになった。一方、その老人に率いられた中国共産党は、冷戦時代米ソ超大国に対抗して人口を資源と考え、生めよ増やせよを号令し、その結果人口が激増したのだ。多くの地域で公害問題を含め、飲料水にすら事欠く水不足も、華麗な経済発展の光の部分とは裏腹な影の災害を齎した元凶は毛沢東主席と彼を神格化し盲従した中国共産党であったといえるだろう。

しかし、それ程の苛政を敷きながら何故、怨嗟の声が滔々たる大河にならないのか。そもそも中国人は「上に政策あれば、下に対策あり」とまで称されるタフな民族である。何故苛政に対する反対運動が一向に実現しなかったのか。その答えは明らかである。過酷な刑罰が、それも一罰百戒を目的とする明らかに見せしめの過酷な刑罰、具体的には批判勢力を十把一絡げに反革命の烙印を捺し政治犯とし苛酷な刑罰を課す恐怖政治の故である。中国共産党の鉄の規律の背後にあるのは正しく人倫に悖る蛮行や粛清の軌跡、つまり恐怖政治そのものであろう。21世紀の今日、数万にも及ぶとされる法輪功学習者の内臓を摘出したとすれば、非道を以って知られる夏や殷の最後の皇帝や告密を政治の道具とした則天武后、明の洪武帝の悪行すら凌ぐ、中国史に前例を見ない残虐行為であろう。中国医療が内臓移植の分野で大きな成果を挙げていると謳っているが、その一方で治療の材料となる内臓は果たして何処から、どのように調達されたものか。如何に死刑囚の同意を得て行われたと強弁しても、統計的に全く辻褄が合わない。誰が見てもこれ以上、糊塗するのは不可能である。既にカナダや欧州でも澎湃として非難の声が上がり始めている。火の無いところに煙は立たぬと云うような話ではない。今迄、遠慮の過ぎたどこかの国のマスコミも何れは腰を上げざるを得ないであろう。

中国の悠久の歴史の中では、謀反や権力闘争も数知れず、冤罪も含め本人のみならず罪が三族に及んだケースは枚挙に暇がない。しかし、21世紀の今日、どう考えても非暴力を旨とする極く普通の小市民、具体的には法輪功の学習者達を民主主義国家なら有り得ない反革命や国家転覆という全く謂われのない罪状で強引に拘束した上、人倫に悖る方法で極秘裏に殺害し、その内臓を医療に使ったとすれば、これは最早、人類史上空前絶後の国家犯罪といえるだろう。中国当局が如何なる弁明を行おうとも最早糊塗するのは不可能だ。これが「共産党がなければ中国はない」と云うスローガンの暗部なのか。中国共産党の実態なのか。思えば、対外的なものでは建国後まもない朝鮮戦争への介入、チベットやベトナム侵攻、果ては暴虐を窮めたポルポト政権への肩入れ、内政面では大躍進、人民公社、文化大革命、一人っ子政策等、どれをとっても後世の歴史家に糾弾される第一級の悪政ばかりである。人類史上、宗教戦争や民族対立等無数の悲劇こそあったが、建国以来僅か60年程の短い期間、それも平時に此れほどの惨禍を人民に齎した政権は中国史上はもとより人類史上でも類を見ない。

千年近い昔の南宋時代、南侵する金国に善戦した英雄岳飛を貶め死に追いやった元凶として、今に至るまで民衆の非難侮蔑の的となっている岳飛廟の秦檜なる夫婦の像を中国共産党の指導者は今一度顧みるべきであろう。共産党の中国は、宗教を麻薬とする百年も前の唯物論のドグマに囚われ、人間性を忘れた結果、人間の命を弊履の如く扱った。一党独裁に固執した結果、想像を絶する矛盾や腐敗に陥り、中国人の貴重な財産である国土の荒廃を来たしたのみか、人心の荒廃を招き文字通り立ち往生しているのが中国共産党の姿である。 建国以来、只一度の公平な国政選挙もなく一党独裁の弊害を撒き散らし貪官汚吏を増殖させ、貴重な国有財産を蕩尽し、9億の農民の福利厚生を放置し、人心の荒廃を招来したのが中国共産党である。中国共産党のあの有名な、お家芸でもあった自己批判はどこに消えてしまったのか。歴史は教えているではないか。一旦、自浄力を失った権力の行方にいい結果が出た例はない。今一度、それも一日も早く党全体が自己批判を徹底し自浄力を復活して、抜本的に軌道を修正すべきである。時には朝令暮改も必要なのだから。南宋の佞臣は間違いなく一人の英雄の命を奪い国家の危機を招いたが、数千万の民の命を奪った中国共産党についてはどうなるのか。主権は民にある。苛政は除かねばならない。さもなければいつの日にか、天安門や紙幣からあの肖像が消されるのみか、中国共産党の象徴でもある毛沢東夫妻が縛られ跪く銅像に民衆が唾する事態を招くのはそう先のことではないだろう。胡主席閣下、いつまで座視されるのですか。世界が見ていますよ。

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