為政者の過ち

2005/12/05
更新: 2005/12/05

【大紀元日本12月5日】19世紀後半から続いた混乱を経て1949年中華人民共和国が建国されたが、中国共産党は、共産主義革命を掲げ、結果として現在の中国がある。激烈を極めた共産党内の権力闘争を経て不倒翁と称された_deng_小平氏が、表舞台に再登場し80年代からの中国経済発展の礎を築いたのは今や歴史的事実であり誰も否定する事は出来ないが、彼の業績の中で天安門事件と後継者選びだけは後世の歴史家が晩節を汚すものと判断することになろう。彼の後継者が江沢民氏であり、その軌跡を辿れば自ずから現代中国の矛盾点が浮き彫りにされて来る。中でも印象に残るのは、国内に発生した計画経済から生じた無数の矛盾点を隠すために内憂を外患に転じ、抗日戦争という本来中華民国が主役であった事件を、あたかも共産党の成果に置き換え喧伝した事であろう。70年代の中国で「共産党が無ければ中国は無い」との唱歌が流行したこともあったが、江沢民氏が国家主席になった頃には、既に多くの矛盾点が顕在し始めていたのである。残念なことに江沢民氏は、せっかくのチャンスを生かせなかった。改革こそ指向したが、肝心の共産党自身の改革は彼の念頭にはなかったのである。古今東西の殷鑑は、どの国家でも王朝や政権党の没落は為政者と官僚の硬直化や腐敗が原因である事を知っていたであろうに。国家主席として建国50周年を祝い人民服を纏った江沢民氏が人民解放軍精鋭機甲部隊を閲兵する姿は絢爛というよりむしろ異様であった。その姿は在りし日の_deng_小平氏よりは、却ってナチスドイツのヒットラー総統を彷彿とさせるものですらあった。大口径砲を搭載した新型重戦車群が横一線文字通り一寸の狂いも無く整然と行進するテレビの映像を見ながら、人民解放軍は果たしてどの国を仮想敵国としているものなのか自問自答した視聴者も少なくなかった筈である。確かに過去、戦車が地上戦の花形であった時代もあったが、第2次世界大戦の独ソ戦の中でも戦史に残るクルスク大戦車戦から既に半世紀以上も過ぎた現在、大平原に咆哮する戦車戦はいまや映画のなかにしか存在しないという時代である。恐らく後世の歴史家はマインカンプと毛語録の違いに困惑するであろう。中国共産党は世界の大国である中国の執政党として既に賞味期限を越えてしまったようだ。

第2次世界大戦後の日本は廃墟の中から奇跡的復興を成し遂げたが、財閥の解体から農地改革による地主の没落、小作農の解放等、明らかに連合国は日本を無害な農業国にしようとしたにも拘らず日本が急速に産業を復興させた主因は日本人の勤勉さもさることながら、軍備という言わば無用の長物への投資を極小化し、全ての資源を産業復興に傾斜配分したからである。勿論、冷戦という米ソ間の狭間にあって自衛隊という分野にも結果的に相応の資源が配分されたという事実もあるが、本流は飽く迄、為政者と国民が資源を再生産に集中した結果であった。当然、全ての金融機関は、国家の基本戦略である生産への貢献が求められ、その結果かなりな歪みこそ残したものの産業復興の有効な潤滑剤となった。政府系金融機関は勿論、都銀、地銀から弱小金融機関に至るまで、其の趣旨は徹底していたのである。

翻って、中国を見れば、当初基幹産業を担う国営企業が集中的に育成され、4大国営銀行が積極的に資金を集中投下し、相応の成果を収めたが、重工業が発展するにつれ当然のことながら重厚長大に代表される軍需産業も巨大化してしまった。外国からの侵略に備えるべく内陸部に重工業地帯群を創設、強化し今日に至っている、中国も長大な国境線を持つ国家であり、それなりに国防という観点も必要であろうが、果たして中国に攻め込むような愚かな国家があるのだろうか?超大国の米国にすらとても出来そうもない話である。今や時代が変わりナポレオンやクラウゼヴィッツに代表される大会戦や兵力の一点集中はない。まして旧ソ連軍型の機甲部隊による集中突破や縦深攻撃は人工衛星によって直ぐ察知されてしまう時代である。いみじくも最近、東京都知事が米国で中国と戦えば米国は敗れると断言した由であるが、屍山血河の人海戦術すら厭わぬ中国に対して無謀にも宣戦するほどの馬鹿な国家は昔の日本帝国陸軍はいざ知らず21世紀には最早存在しない。 もともと中庸という言葉は中国人が発明した言葉ではなかったのか? 軍備も中庸にすべきではないのか? 平和を守ると称しながら過度の軍備増強が悲劇を招いた実例は各国の青史に枚挙に暇が無いではないか?

中国は良きにつけ悪しきにつけ日本の苦い経験を他山の石として追い上げるというかなり有利な立場にあったにも拘らず、残念ながら左程、日本の事例から学ばなかったのではなかろうか? 具体的には、かのバブルと称された現象の後遺症は日本国民に大変な犠牲を強いた大事件がある。中国の経済発展に際して、日本の金融システムが15年近くも掛けてようやく正常に戻った不良債権問題に較べても現在中国が直面している真のアキレス腱、具体的には日本に較べても相対的に、はるかに巨大な金額に膨れ上がった不良債権の処置にこそ貴重な資金を投入すべきではないのか?そもそも中国の金融制度は歴史的経緯から国務院や省市の権力者と極めて密接な関係にあったが、投融資に際しても採算よりは政治が優先し、その結果、非効率な投融資が横行した上、運悪く4大国有銀行の補助機関として設立された筈の国際信託公司が無秩序に地方にマッシュルーミングした結果、大切な国際信用を失ったのみか、過去10年間の急激な資本主義経済導入の結果として、金融、産業のバランスを欠き、本来人民の貴重な資産であるべき国有企業財産が民営化の美名のもとに法外な安値で投資家に売却され、党政治家や関係官僚が巨額の財産を手に入れたのではなかったのか? 株式市場に於いてすら、本来あるべき姿には程遠く財務内容が正確に公表されず、透明性を欠き一部の特権階級の食い物になっている実情をどう解決するのか?数億にも達する農村からの労働者達、所謂、盲流の人々をどのような方向に導いていくのか?農民への重税は軽減されたのか?全てが人民の為に服務どころか金次第の国に何故なってしまったのか?等々の問題は有人宇宙飛行をはじめ人民解放軍の兵器の近代化や原子力潜水艦隊よりはるかに優先度の高い問題ではなかろうか?

一例を挙げると最近報道されている中国の炭鉱事故ならびに犠牲者の数は異常としか言いようの無い事態がある。生産を優先する一方で、安全対策が軽視された結果であろう。勿論、中国には沢山の炭鉱があり炭鉱がある以上、多少の事故は避けられないのは理解出来るが、世界の炭鉱事故の中に占める中国の比率が異常に高いのは何故なのか?公害についても日本の苦い経験から学ぶべき事は多かった筈であるのに、全国の湖水や河川が産業廃棄物や生活汚水で刻々と汚染されている深刻な現実をどう見るのか?官僚の習いとして常に上部機関の機嫌取りに汲々とする結果、各級の官僚機構が保身や責任逃れのために情報を秘匿し人民に無用の苦難を強いているのが真相ではないのか? 松花江に大量の化学物質が流出した事実を把握しながら、当初、無害を装ったり、水道管の事故の如き姑息な報道を堂々たる地方人民政府が流したり、人類に脅威となるサーズや鳥インフルエンザの如き恐るべき伝染病情報を国家機密として隠蔽する体質は決して近代国家の姿ではない。勿論、国益の中には時として個人の利益より優先すべきものもあろう。然しながら国益は飽く迄国民の権利を守る事にある。安定を優先すると称したところで危険な伝染病の隠蔽は為政者の無能を隠蔽するものに過ぎず人類全体に対する犯罪であり、ましてや本来の主人公である人民に大迷惑を及ぼす官僚の姑息な保身や汚職の如きは本末転倒も窮まれりということであろう。建国の基本は中国の主人公は中国人民であり、共産党は、その忠実な従僕ではなかったのか?

中国の歴史をひもとくと夏の時代から現代に至るまで悪名高い皇帝の名が記されているが其の中でも中国共産党ほど多くの民草を殺傷した政権はなかった。自然災害ではないウクライナの飢餓地獄、トルコによるアルメニア人虐殺、ポルポトによるカンボジア人の虐殺、ヒトラーのユダヤ人虐殺、何れも人為的なしかも凄惨を極めた事件であるが、それと較べても中国共産党に原因する事件は桁が違うのである。問題は、そのような過去を背負った中国共産党が、平然とあたかも中国の主人公であるかの如き存在になっているところにある。中国はいわば封建時代から一足飛びに近代資本主義に突入したに等しい。その間、一種の強権が必要悪だった事は理解出来るが、目を蔽う惨禍を招いた大躍進、人民公社、文化大革命の責任を取った為政者は4名の文化革命小組以外に何人いたのか? 数千万の民草を犠牲にした人類最悪の事件の清算は厳正に行われたのか?況や、強権を持つ為政者が腐敗すると全く話は違ってくる。人類の歴史の教訓として権力は常に腐敗する。 ウインストン チャーチルの言葉に有るとおり、「民主主義は他の方法よりはましな手段である」。であれば中国共産党も、現実を直視して対応すべきではないのか?中国の人民は昔の時代とは異なり少しずつ着実に外界の情報を入手出来るようになっている。インターネットを国家が管理するのは不可能である。蟻の一穴から堤防が崩れるように、無数の中国人が外界の情報を入手し始めている時代である。既に無数の穴が開いている以上、為政者の採るべき方法は民主主義しか選択肢は残されていない。しかしてその民主主義や人権という言葉の解釈は民主主義であり人権である。かの悪名高い労改だけをとっても民主主義国家ではあり得ない制度である。 国家主席がいくら主張抗弁しても「中国流の民主主義や人権というのは、古人の言う鹿を馬と称する詭弁以外の何物でもない」。それを為政者が真に理解した時、初めて中国の真の民主化が始まる。例えそれが象徴的な僅かの行為であったとしても、一旦始まれば悠久の長江の流れと同じように誰にも止めることの出来ない大河に為って行くであろう。中国は大国であり人類の5人に1人は中国人である。其の故にこそ中国が1日も早く古色蒼然とした人治国家から真の民主主義の法治国家に脱皮する事が21世紀人類全体にとって焦眉の急務であろう。