【大紀元日本8月10日】中国人民解放軍国防大学防務学院院長・朱成虎少将が西側のメディアに対し、米国政府が台湾海峡での武力紛争に介入した場合、核攻撃も辞さないという発言をしたことはいまだ記憶に新しい。中国外務省は、朱成虎氏の発言は個人の観点であると弁明したが、似たような衝撃的な発言は後を絶たないようである。分析によると、世界を駆け巡る「脱党ブーム」が話題となり、中国共産党はそれ自身の崩壊への道を悟り、その結末から逃れようと、最後のあがきにも似た不吉な計画を始動させようとしているのかも知れない。
この「不吉な動き」は、4月23日、「博訊」という中国語のネットに、中共中央軍事委員会副主席、国務委員で国防部部長・遅浩田上将による「演説」という形で掲載された。遅浩田上将の「演説」は2部に分かれている。ひとつは、「戦争は我々に近づいている」、もうひとつは、「戦争は我々から遠くない。戦争は、新しい中国の時代の到来を早めてくれる」。情報の信憑性に関して確認する手立てはないが、この二つの文章の内容やテーマはそっくりであることから、明らかに同種の者が書いたのだと思われる。(編集部注記:博迅ネットへの情報提供者は軍高層部とも言われている)
1.中共の本質―党存続のためには、世界中の人々の命も犠牲にする
以下はネットに掲載された「演説」の抜粋である:
1)「我々は、2つのシナリオのために準備しなければならない。もし我々がアメリカに対して生物化学兵器による奇襲攻撃を仕掛ければ、中国の人民はアメリカとの戦いにおいて、少しばかりの損害をこうむるだけで済むだろう。しかし、もし、この奇襲攻撃が失敗し、アメリカから核で反撃されたら、中国は大災害となり、半分以上の人口が死に絶えるだろう。従って、我々は都市部の空防システムを準備しなければならないのである。どのような事態に直面しても、我々は党と国、そして国家の未来のために前進するのみであり、そのためには困難を乗り越え、犠牲はやむを得ないのである。人口の半分以上が死に絶えてもまた再生できるが、もし党が無くなれば、すべてがなくなり、永遠になくなるのだ!」
2)「どのような事態になっても、我々、中国共産党は、決して歴史の舞台から引き下がらない!我々は、歴史の舞台から退くよりも、あえて世界中の人民を道ずれに自決する道を選ぶ。“核の束縛”という論理があるではないか?つまり、核があるから、世界の安全は保たれており、死ぬときは皆一緒、という論理である。私の考えでは、党の運命は世界の運命と共にある、という束縛があると思う。もし我々、中共がなくなれば、中国がなくなり、そして世界も終わる、ということである。」
3)「2億人ものアメリカ人を殺すことは、確かに残酷なことだ。しかし、それは中国の世紀を迎え、そして中国が世界をリードする道を辿るステップに過ぎない。我々、革命の申し子として、死は好まない。しかし、もし歴史が中国人の死とアメリカ人の死、どちらかの選択を迫るとすれば、我々は中国人を守り、党の生命を死守するであろう。なぜならば、我々は中国人であり、党のメンバーであるからである。中共に入党したその日から、党の生命は全てのものの上に立つのである!」
党の生命は「すべてのものの上に立つ」のであるから、中共がその生命を維持するためにたとえ生物化学兵器、核兵器などを使用しても驚くにあたらないだろう。人間の生命を何とも思わない中共にとって、目的を達成するために2億人のアメリカ人を殺すことや、7,8億人の中国人が死ぬことも厭わない。上記の「演説」には奇麗事などはいっさいなく、人々にその中共の本質を曝け出している。中共はつまり、その生き残りのためにすべてを賭けて、全世界の人類と戦おうとしているのである。
中共は閉ざされたシステムの中、極小数の人数で運営されているのが常だが、そのトップ・シークレットをネットに明かすということは尋常ではない。彼らの目的は一体何であろうか?可能性のある答えとしては、つまりこの「演説」で、一石三鳥となることである。彼らの意図とは、下記のとおりである:
中共の「天も地も、中共を覆すことは出来ない(演説からの抜粋)」という決意表明をする。
「九評」に直面し、中共のイメージをもっと強硬にする必要性があった。
人類との最後の戦いに挑むため、戦争と暴力を吹聴しておく必要性があった。
従って、厳密に言えば、上記の「演説」は、わざとリークして世間の反応を見ようというものではなく、まさに溺れる者が藁をもつかむように、必死になってその生命を維持しようとしている結果なのである。
もちろん、この「演説」は慎重に準備されて掲載されている。この演説には普通の導入部、結論、聴衆、時間、場所、背景、などの情報はすべて明かされていない。この演説からそれらを推測し、イメージすることはできても、決して立証することはできない。情報不足のため、ただ読者になぞを残すだけである。この演説が本物なのか、偽者なのか、見分けが難しいのである。
2.「演説」は、中共から発信されたものか?
疑問は残るものの、やはりこの「演説」の内容は、普通の人々の想像をはるかに超えるものである。この演説にある、邪悪で過激な性質は普通の人間には信じがたく、人々は「これは偽者だ」とか、「ありえないだろう」と単純に片付けてしまいがちである。
この「演説」の特徴は、使われている言葉、論理が毛沢東、_deng_小平、江沢民、胡錦濤たちに代表される、“党文化”を色濃く反映していることである。また、最近中共が好んでいる何新なる人物のファシスト的な教えも織り交ぜられている。
「…人口の半分以上が死に絶えてもまた再生できるが、もし党が無くなれば、すべてがなくなり、永遠になくなるのだ!」「演説」にあるこの考えは、毛沢東が提唱した核戦争の論理、つまり中国人口の半分を消滅し、3億人を残して共産国を建設するというものと同様である。違いは、毛沢東時代、彼らは政権が崩壊するかもしれないという切迫感がなかったが、今は切羽詰った状態にあるということである。
この「演説」がたとえ中共軍部の主流からではなくとも、党文化の下で徹底した愛党教育を受けてきた多数の軍人がこのような思想を抱くことは容易に想像できる。従って、この「演説」が果たして本物であるか、中共の主流の考えであるのか、これが彼らの意図であり、死の瀬戸際の賭けであるのか、真剣になって議論する必要があるだろう。
「西安から東側にあるすべての都市が破壊されることを覚悟しておくべきだが、当然のことながら、米国人は、数百、或は二百か、さらには、もっと多くの自国の都市が中国人によって廃墟にされることを覚悟しておかなければならない」と発言した朱成虎少将(教授)は、単なる極左の妄想狂だろうか?専門家によれば、ランクの低い、一介の少将であるに過ぎない朱成虎がそのような傲慢な声明を中共の暗黙の了解なしに発表することはありえないとする見方もある。また情報によると、彼はオフレコで、中共が地球上の人類の半分を根絶やしにすることができる核兵器を中国が保有していることも洩らしている。中共の高官たちには、最新の核シェルターが中国の西部に用意されており、核戦争が始まれば、すぐに使用できるようになっているとの情報もある。
「演説」にもあるように、中共はいまや死の瀬戸際にあり、その残虐性を隠すこともなく生き残りを賭けて人類に戦いを挑もうとしているのかもしれない。その危機感は、近年中国の近隣諸国で起こっている民主化の動きによって更に強められたであろう。
テロとの戦いの中で、ブッシュ政権は世界の軍事戦略のコンセプトを打ち出す一方、21世紀は「自由」が重要だと宣言している。民主主義を推し進めることが、米国と世界の安定を獲得することにつながると、理解したようだ。ブッシュは大統領就任時の17分に及ぶスピーチで、27回も「自由」を連呼している。世界の独裁政権を消し去り、変わりに民主の波を推し進めるという動きは、着々と中国の周りで進んでいるのである。ベルベット革命に始まり、イラクでの紫革命、ジョージアにおけるローズ革命、ウクライナにおけるオレンジ革命、キルギスタンにおけるチューリップ革命。このような世界情勢の中、すでに独裁共産主義の維持は非常に困難であるが、中共がおとなしく歴史の舞台から引き下がると考えるのは楽観視しすぎである。中共が発足して50年余りの歴史の中で、政権維持のために粛清、革命、失政、弾圧を繰り返し、八千万人もの中国人を殺してきた政権である。そのような政権にいまだ希望を託している人は、遅すぎないうちに早く目覚めたほうがいいだろう。
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