【大紀元日本6月16日】中国共産党を裁く民間「国際司法委員会」の設立に向かって、5月27日に同会の準備委員会が創立され、現在社会から支持・権限授与の署名を集めるところである(署名サイトhttp://trialofccp.gateopen.org/signature_cn_trad.php )。記者はこのほど、「国際司法委員会」により立ち上げる「中国共産党を裁く国際特別法廷」(その後「特別法廷」と略称)の設立について、準備委員会メンバー・オーストラリアに亡命した前北京大学法学教授、自由法学学者・袁紅氷氏を取材した。袁氏は、特別法廷が裁断する判決の法律上の力を無視してはいけないと述べ、また、将来「特別法廷」が各国政府からの支持と協力に自信を持つと称した。下記は、袁氏が語った詳細な記録である。
「特別法廷」と法輪功学習者が迫害責任者に対して海外で起した訴訟との関係
法輪功学習者が世界の多くの法廷で訴訟を起した。これらの訴訟は正義の行為である。法輪功学習者の努力の元で、これらの行為は相当な程度で国際社会の理解を得られ、一部の法廷は既に正義を守る決定を裁決した。
では、我々はなぜこの「司法委員会」を成立する必要があるのか?それは、現有の司法の体制は、共産党が起した犯罪を追及する時点において、参考とする先例がまずないこと、また、法輪功学習者が今まで起した訴訟は殆ど刑事ではなく、民事提訴であることだ。その原因は、現有の法律のあらゆる原則では、タイムリーに国家権力を利用して反人類的な罪を起した独裁者、あるいは独裁集団を裁くことは難しいことであろう。 今まで、如何なる国際法廷でも、中国共産党の反人類的な罪を告訴する訴訟を受理したことがまったくなかった。しかし、中国共産党がこの56年間に渡って起した罪は、当時のナチよりもはるかに酷い。
この考えから、中国共産党を裁く国際司法委員会を設立する必要があると感じた。もちろん、我々は、法輪功学習者が世界各地で独裁者を告訴する行為を尊敬しており、これらの訴訟を受理した裁判官達、特に正義を守る裁決を下さった裁判官たちにも敬意を表している。
「司法委員会」が裁判官を任命する基準
私の個人の理解では、「司法委員会」が裁判官を任命する基準は3つである。まず、現代法の精神を十分に理解していること。次は、法学研究または、法律の仕事に豊富な経験を持つこと。最後に、法の正義を主宰する勇気があること。
しかし、これらの基準を満たす候補者は容易に見つからないだろう。
共産党集団は、如何なる恐怖の行為でもすることはあり得るだろう。例えば、南アフリカの銃撃事件。典型的なテロリズム手段だ。先日、共産党から脱退した中国共産党の前外交官陳用林さんも語っているように、中国共産党は、如何なる自由と民主の国においても、拉致の行為をするのは有り得る。それは、共産党の残酷さとごろつきの本性によるものであるからだ。だから、裁判官の候補者は、第一と第二の専門領域の知識と経験以外、人類の良知と理性を堅持する勇気のある人でなければならない。その意味では、容易に見つかることではないだろう。
しかし、私は、人類社会全体の正義と人類良知への理解の深まりにつれて、もっともっと多くの人が前に出て特別法廷を支持、その仕事に参与するだろうと信じている。最終にグロバールの大審判はきっとなり得るだろう。
「特別法廷」で出される判決書の有効範囲
我々が、この特別司法委員会を準備する際に、多くの人がある疑問を持っているようだ、「国家権力委託のない状況で裁断した裁決書は有効なのか」 。その疑問は当然なことだと思う。その疑問は、裁判所の裁断の効力に対する理解から生じるのだ。一般的な理解では、裁判所の判決の拘束性は身体のみにあるだが、私は、その範囲はもっと広いと思う。法廷のある訴訟に対する有罪判決は、多くの面にその効果があるのだ。
まず、有罪宣告そのものは、大きな法律上の力を有する。つまり、それはある個人、あるいはある集団の栄誉を法律に基いて剥奪すること。有罪であることの宣告そのものは、強力な法律賞罰である。
その次、判決は単なる人身の直接な拘束性のみに反映するのではない。もっと重要なのは、精神上の拘束性である。この何十年間、中国共産党の官員たちが、人民を思うままに殺したり、拷問を行ったりしている時に、ただの一度も自分の行為が犯罪者として裁かれることになるとは思ったこともないだろう。つまり、中国の歴史上初めて、人類の自由と民主の名でこれらの罪を犯した人を犯罪人と宣告するとき、中国人民に齎した強大な心理的、精神的な衝撃は絶対無視できないであろう。罪を起した独裁者たちが、一時的に国家権力の後ろ盾に隠され、法律の賞罰から逃げられたとしても、精神上と心理上から、彼らが既に牢屋に閉じこめられているのは間違いない。
また、判決が一旦裁断されたら、我々は、世界各国の政府に裁断書を送り、犯罪者を逮捕するように司法の協力の要請を求める。同時に、全世界に指名手配令を送る。そのほか、我々は有効な方法と手段を使って、この判決を中国本土に知らせ、中国の国民に、人民を迫害し、虐殺し、酷使する悪人は既に犯罪者であることを知らせる。これらの一連の措置と生じる効果は絶対無視できないだろう。このようなわけで、私は、「特別法廷」の判決が、実際に効果がないという考えは正しくないと思っている。
人身拘束性のない単なる道徳と精神上に拘束性のある判決、そして道徳法廷との違いは?
道徳法廷の判決とは違って、我々の「特別法廷」は、厳しい法律手順に基づく、法律の裁判であり、道徳裁判ではない。道徳と法律は完全に違う領域であり、それぞれの基盤となる原則と具体な規則は違うだろう。道徳上の賞罰、道徳上の非難は、全ての人を対象とするが、法律上の賞罰、法律上の判決は、犯罪者のみを対象とする。「特別法廷」の裁判は、反人類の罪を起した犯罪者に対するものである。犯罪者にたいする非難は、単なる道徳上の非難ではなく、法の精神上の非難ではある。法廷は、法の厳粛性を持って犯罪者を有罪と宣告する。
各政府から「特別法廷」の裁断に法律上の助けを提供する可能性
如何なることの成立でも、ある過程は必要だろう。しかし、正義と良知は最終的に邪悪に勝ち、勝者となるのを信じなければならない。正義の裁判は、かならず全人類からの支持を得ることに自信を持っている。
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