かつて8年間拘禁された柯昌炎さん 迫害で死亡 =中国湖北省

2024/07/17
更新: 2024/07/17

湖北省黄石市大冶市(だいやーし)の法輪功学習者の柯昌炎さん(男性)は、法輪功を学び続けていたため、中国共産党の当局によって連行、拘禁、拷問や労働教養処分、実刑判決などの迫害を加えられた。濡れ衣を着せられた柯さんは、合計8年間拘禁され、心身共にダメージを受けた。釈放された後も、柯さんは当局から嫌がらせを受け続けた結果、今年4月22日に61歳でこの世を去った。刑務所で殴られたため、柯さんの遺体の背中と足の色は黒くなっていた。

 柯さんは1962年12月6日に生まれ、大冶市茗山郷に住み農業を営んでいた。1996年、柯さんは法輪功についての簡単な紹介を偶然に見つけた。紹介文で法輪功が「真・善・忍」に従って良い人になることを教えているのを見て、法輪功は正しいものだと感じ、「学びたい」と思ったという。その後、柯さんは、法輪功の書籍『轉法輪』を読んだ後、どうやって良い人になり、他人を優先する人になるかがわかり、過去に他人に譲ることができず、人と喧嘩しがちだった悪い癖を改めた。それ以来、家庭が円満になり、同僚とも仲良くなり、心身が健康になった。

 しかし、1999年7月20日に中国共産党による法輪功への迫害が始まって以来、柯さんは穏やかな暮らしを送ることができなくなった。

 2001年1月のある日、柯さんは村で大工仕事をしていたところ、茗山派出所の石姓と柯姓という警官が柯さんの仕事場に押し入り、警官は説明も無く柯さんを連行し、大冶第二留置場に拘留した。15日後、大冶洗脳班に移送された柯さんはさらに15日間拘禁された。その間、警察は法輪功を断念させるため、柯さんに法輪功を誹謗中傷するビデオを見せたり、侮辱するなどの迫害を加えた。

 2001年2月、柯さんは自宅に押し入ってきた茗山派出所の警官3人によって連行され、家宅捜索を受け、警官は柯さんの家から法輪功の関連書籍や法輪功創始者の写真を押収した。

 1回目の労働教養処分

 2001年9月28日、柯さんは北京へ陳情に行ったとき、天安門派出所に連行された。その日の夜、柯さんは北京市昌平区留置場に移送され、看守に服を無理やり脱がされ、扇風機で風を当てるなどされた。警官は収容者たちに指示し、柯さんを平手打ちし、虐待したり、眠らせないようにしたりして、1週間乱暴な灌食をした。

 その15日後、柯さんは地元に送還され、茗山派出所の警官、茗山郷政法書記、大冶市公安局の警官らは、柯さんを第一留置場に送り拘禁した。留置場では副所長の楊文建が、柯さんの頭を竹の棒で殴り、看守は、柯さんに留置場の規則を暗唱させるため、10日間手足に枷をかけた。警官の指示を受けた受刑者の喬細年は、柯さんを壁につけて立たせた後、拳で胸を激しく殴った。

拷問のイメージ図:手足に枷をつける【明慧ネット】

柯さんはその後、湖北省にある獅山薬物更生センターの男子隊に送られ、2年間労働教養を受けた。そこで柯さんは、睡眠の剝奪、壁に向かって立つ体罰や拷問を受けた。また、警官の李に平手打ちされ、収容者からは全身にあざができほど殴る蹴るの暴行を受けた。そして奴隷労働も強要された。

 2003年、獅山薬物更生センターに拘禁された法輪功学習者たちは沙洋労働教養所に移送された。40度の暑さの中、柯さんと他の法輪功学習者は畑でピーナッツを掘る農作業を強制させられた。あまりの暑さに柯さんが熱射病で気を失うと、看守の指示を受けた2人の収容者によって教養所に引きずり戻され、池に投げ込まれた。

 柯さんは強制採血もさせられた。

 2回目の労働教養処分

 2007年12月10日午後10時頃、警官によって柯さんは再び自宅から連行された。当時、警官は十数台の車で柯さんの家を取り囲み、数人が柯さんの家のドアを蹴り破って入り、柯さんの両手を背中に回して手錠をかけ、強引に引きずり出した。柯さんの家族も警官から暴力を受け、負傷した。村の幹部2人は警官と協力し、事実を捏造した。そして柯さんは、再び2年間の労働教養を科せられた。柯さんはまず大冶第二留置場に送られて、17日間拘留され、その間、看守から殴る蹴るの暴行を受け、ライターで髭を焼かれた。留置場の所長の李福安は留置場の医者に指示して、柯さんに平手打ちや薬物の灌食を行った結果、柯さんは恍惚状態となってしまう。その後、柯さんは湖北省の沙洋労働教養所の第九大隊に移され、睡眠の剝奪、トラの椅子に座らせる拷問と強制洗脳が行われた。迫害され精神状態が朦朧とした状態の柯さんは、警官から指図された受刑者に法輪功との決別状を書かされ、法輪功を中傷するビデオを強制的に見せられた。

 柯さんはかつて、迫害された状況を次のように語っている。「2008年5月に、私は正気を取り戻し、法輪功を学び続ける厳粛な声明を書きました。警官は受刑者に指示して私を暗い部屋に監禁し、ひどく殴りました。警官の何兵栄は私の襟首をつかんで壁に頭を打ちつけたり、私を引きずり出して殴ったり蹴ったりし、しゃがむ姿勢を強要したりしました。2008年8月12日夜10時、受刑者の田勇と他の5、6人は警官の命令で電灯を消し、真っ暗闇の中で、私と法輪功学習者の陳孝宝さん、陳建民さん、孔強勝さんを酷く殴打しました。孔強勝さんは意識不明になり、私は長さ10センチの鉄針で背中を刺され、頭部が腫れ上がり変形し、全身に打撲傷を負いました。警官はまた、身体検査という理由で、私たち法輪功学習者に何度も血液検査を強要し、その検査の結果は告げられませんでした。労働教養所の医者の劉は、私を一階のドアまで引きずり込み、無理やり薬物を飲ませました。趙隊長は、『柯昌炎、お前が家に帰ったら、今までやっていた大工仕事もできなくなるぞ』と言いました」

 柯さんは2009年12月14日、労働教養所から出ることができたが、薬物迫害を受けた柯さんには眩暈、記憶低下、精神状態の異常などが現れた。

 4年の不当判決を受け 刑務所へ入所する前に、すでに迫害で極度に痩せる

 2018年1月16日朝、茗山卿派出所所長の黄開進と大冶610弁公室課長の張旭華の2人は、互いに結託して柯さんの家に押し入り、「捜索許可書」や「警察身分証」など何も提示しないまま、不当に家宅捜索を行い、柯さんを連行して大冶市熊家辺拘置所に入れた。家族は何度も面会を求めたが許可されなかった。大冶市公安分局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官は、何度も自宅を訪れ、柯さんに罪を被せるために、家族に押収した書籍の出所や柯さんが接触した人物を言うよう仕向け、「話したら、柯昌炎を釈放する」と家族を欺いた。2018年9月、大冶市検察庁は柯さんを裁判所に提訴した。

 同年11月15日朝8時、大冶裁判所は柯さんに対して裁判を行った。柯さんは坊主頭に刈られ、精神状態ば明らかによくなかった。法廷で、柯さんは「私は法輪功を修煉していますが、犯罪行為はなに一つしていません」とただ一言だけを何度も繰り返したという。裁判は2時間で終わった。

 2019年5月、柯さんは懲役4年の実刑判決を下され、同月29日、湖北省沙洋刑務所に収容された。収容される前日、家族は拘置所に行き、柯さんと面会した。そこで見た柯さんの姿は、残酷にも迫害されて極度に痩せた哀れな姿であった。それでも家族はどうすることもできず、ただ、ただ涙を流して悲しむだけだった。

 柯さんは2022年、刑務所から帰宅した。しかし釈放後も、当局の人員が柯さんに絶えず嫌がらせをして、脅迫を行った。それで、柯さんの健康回復は困難になり、2024年4月22日にこの世を去ったという。

明慧ネットから転載