法輪功学習者が拘束後1カ月足らずで死亡 複数回の拷問

2018/10/19
更新: 2018/10/19

中国当局に拘束された気功グループ法輪功学習者である金順女さん(66)が、10月10日に亡くなったことがわかった。東北地方の遼寧省撫順市順城区に住む金さんは拘束中に激しい暴行を受けたとみられる。

法輪功情報を発信する「明慧網」によると、9月19日金さんは順城区の新華街道役場に書類を取りに行った際、役所のスタッフに対して「法輪功愛好者は『真・善・忍』に基づいて良い人間になろうとしている」と、法輪功に対する中国当局の誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を信じないよう話しかけた。しかし、その後通報され、金さんは地元警察に拘束された。

10月6日、看守所の警官は金さんが市内の病院に運ばれ、救命措置を受けていると家族に伝えた。家族が病院に駆け付けたところ、金さんはすでに意識不明の状態だった。警官らは家族に対して「法輪功を放棄する同意書にサインしなければ、金さんを釈放しないうえ、重い刑に処す」と脅かした。

金さんは10日早朝、亡くなった。

きっかけ

中国朝鮮族の金順女さんは撫順市の国営企業に勤めていた。

1997年初め、知人の海外出稼ぎ労務の手続きを手伝った金さんは、21人の知人から10万3000元(約165万円)の資金を集めたあと、同市の労務斡旋を行う業者担当者に渡した。しかし、この担当者は資金を持ち逃げし、行方をくらませた。

金さんは精神的ショックを受け、複数の病を発症した。生きる気力もなくなった金さんは、同年10月から法輪功を習い始めた。しばらくして、金さんは病気から快復した。元気になった金さんは夫とともに、行方をくらませた担当者の代わりに、10万元あまりの資金を知人らに弁済することにした。「法輪功を学ばなければ、このように対応することもなかっただろう。修練してから、相手への思いやる気持ちが強くなった」と金さんは当時周囲に話した。金さんの夫と娘も法輪功学習者になった。

1999年7月20日、中国の江沢民政権は法輪功学習者に対する弾圧政策を実施。同年から2001年まで、金さんは拘束3回、強制労働教育2回、洗脳(期間半年)、罰金などを経験した。

2002年4月、法輪功の真相資料を配ったとして逮捕された。11月に当時50歳の金さんは13年間の懲役刑を言い渡された。同年、夫と娘もそれぞれ、11年間の懲役刑と3年間の強制労働教育を言い渡された。

拷問

取り調べの際、金さんは激しい拷問を受けた。一人の警官が金さんの片足の上に座り、もう片方の足を強く後方にひねり、さらに足を頭に向け持ち上げる。金さんは、激しい痛みで失神した。

警官らは金さんに法輪功を放棄させるため、この拷問を繰り返し行った。金さんは何回も気を失い、目が覚めたころには体を動かすこともできなかった。

2003年4月、遼寧省瀋陽市にある遼寧女子監獄に移送された金さんはまた様々な拷問を受けた。

看守らは、金さんが拘束中の他の法輪功学習者に法輪功関連の資料を渡したとして、金さんの服を脱がせ、冷水を全身にかけてから、電気棒(棒状のスタンガン)で2時間以上にわたって電撃した。この拷問で、金さんの体に大きな水膨れができ、口も腫れあがり、数カ月経っても口を閉じることができなかった。

暴行と睡眠制限

2004年3月、遼寧女子監獄は拘禁中の法輪功学習者に対して、法輪功を放棄させるため、これまで以上に厳しい拷問を実施した。

ある日、別の受刑者は看守の指示に従い、金さんと他の学習者に対し、長時間にわたり蹴る、棒で殴るなどの暴行をふるった。

長年迫害を受けてきた金さんには、腎炎、高血圧、心臓病の症状が現れた。それでも、長い間、毎日1時間の睡眠しか許されなかった。深刻な睡眠不足のうえに、金さんは毎日10数時間以上の重労働を強いられた。トイレに行くのも制限されたため、金さんは頻繁に失禁していた。

2013年にも、金さんは心停止で救急措置を受けた。その時は一命を取り留めた。

2015年4月5日、13年間の刑期を終え、63歳の金さんはようやく地獄の日々から解放された。しかし、金さん夫婦には毎月500元(約8000円)の生活補助金は支給されなかった。生前、何度も当局に陳情したが、相手にされなかった。

(翻訳編集・張哲)