北京の天安門。市の中心に位置し、現代中国のシンボルとして国章にも用いられている。最初に作られたのは今から約600年前の1417年。明朝の三代皇帝、永楽帝が建造し、その当時は「承天門」と呼ばれていた。その後、1644年に明朝の滅亡とともに焼失したが、1651年に清朝の順治帝によって再建され、この時に名前も「天安門」と改められた。
だが、現在私たちが見ている天安門が、実は清朝に建築されたものではないということを知る人は少ない。元の天安門は、文化大革命のさなかに秘密裏に解体、再建されてしまったため、現在の天安門は、一見したところ築数百年の歴史的建造物だが、実際には「現代の建築物」というのが真相だ。
1970年にすげ替えられた「歴史的建造物」天安門
中国メディアによると、1960年代の後半には、築数百年の天安門の構造部分が老朽化して既に深刻なダメージがあり、楼閣の主要部分がその重さに耐えきれなくなっていた。さらに1969年、河北省邢(けい)台市でマグニチュード6~7.5の巨大地震により構造が激しく変形。同年、国務院が天安門を建て直すことを決定した。
報じられたところによると、天安門の楼閣構造は複雑で、非常に高度な技術が求められていたことから、3つの改築プランが提起されていたという。第1案は、元々の建築様式を維持し、一等木材と乾燥材料を使用して根本的に改築するというもの。専門家の意見は、この案に傾いていたとされる。
第2と第3の案は、いずれも天安門の元の外観を維持しながらも、鉄筋コンクリート構造を採用して建築しなおすというもの。違いは、2案は台座部分を残すもので、3案は全面的な新建築物とするものだ。
当局は、新たに台座部分を建設する際に、その中に党指導者層の身を守るための緊急避難施設を設けるとし、安全性を考慮して第3案が採用された。
わずか20日で完全取り壊し 築360年の歴史的建造物
天安門の再建プロジェクトは69年12月15日に着工したが、元の天安門は厳重な警備下に置かれ、わずか20日間で完全に取り壊された。この時、天安門は長さ66メートル、幅37メートル、高さ32メートルの巨大な覆いで囲まれていたため、中で何が行われているのかを外から知ることはできなかった。
112日の間、秘密裏に行われた建築工事では最多で2700人が同時に作業を進め、70年4月7日、ついに新たな天安門が竣工した。
新たな天安門は、その下半分の5つの城門通路のすべてが鉄筋コンクリート構造で、現代の建築構造と同じ。上半分の楼閣部分の柱や梁などには木材が用いられており、一部には当時既に取り壊されていた東直門の古い部材が使われているが、ほとんどの部分でマレーシアやアフリカから取り寄せた高級木材が使用されている。
また新築に当たっては、大きな設計変更も行われた。元の天安門には楼閣から外へ出るために3段の階段があったが、当時の最高権力者で高齢の毛沢東が移動しやすいようにと、階段無しのバリアフリーの構造に変更されている。
そして建物が一新されたほか、城門に掛けていたスローガンの看板も最新式に変更された。また建物にはエレベーターや電気、上下水道、暖房設備、電話、テレビ、ニュースの撮影設備といった近代的な設備もある。
このようにして天安門は、数百年の歴史を伝える貴重な文化遺産から、近代的な新築建造物へと変容した。
(翻訳編集・島津彰浩)
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