法輪功とは何か 受賞歴ある元テレビディレクターの半生から(1)

2016/05/14
更新: 2016/05/14

5月13日は中国気功修煉法の法輪功が公に伝えだされた記念日として、日本をふくむ世界各地で現地学習者によりパレードや集会が行われた。目にした人は法輪功とは何か、疑問に思うかもしれない。中国国内のメディア業界で活躍し、迫害により米国亡命を選んだ李軍さんの人生とともに紹介したい。


李軍氏の新聞出版署の登録証(李軍氏提供)

江蘇省南京市テレビ局の元ディレクター李軍さんは、勤続20年で中国テレビ芸術の最高賞「金鷹賞」を3回受賞した。退職後、独立してメディア関連企業を立ち上げ成功させたが、中国共産党の迫害により、米国に亡命した。

大学時代に出会った王晶さんと結婚し、一子をもうけた。法輪功は今日まで20年間、学び続けている。家族は法輪功学習者ではないが、中国共産党の迫害により、李さん同様、苦悶することになる。

 突然始まった弾圧

1998年の中国政府の調査報告書には、法輪功はいかなる社会・団体・個人にとっても「百利あって一害なし」と評価されていた。南京市に住んでいた李軍さんによると、江蘇省共産党委員の陳煥友書記は法輪功をともに学んでいて、現地新聞も陳書記が集団で朝の気功をしている姿を取り上げたという。

「中国共産党による法輪功弾圧は突然はじまった」と、李軍さんは当時を語る。1999年7月20日、中国共産党は法輪功の弾圧を決め、当局は法輪功指導係や世話人を次々と逮捕した。

共産党の党員数を超えた法輪功の勢力に、江沢民主席は脅威を感じていた。香港在住の故趙紫陽・元総書記の秘書・鮑彤氏は「当時の朱鎔基首相が党機関紙の人民日報で『法輪功は合法だ』と明確に表明した。しかし、沢民氏は政権内部の反対意見を押し切って弾圧をはじめた」と、大紀元の電話取材に述べた。

江沢民主席は法輪功を全国規模で「根絶」するため、憲法と法律の制約を受けない弾圧専門の政府直属機関である中央610弁公室を設置した。

迫害が開始されてから、多くの法輪功学習者は北京で陳情を試みた。しかし、迫害政策により届け出は拒否され、学習者は殴られて負傷したり、殺害されたりした。共産党は、官製メディアを通じて法輪功に「カルト」のレッテルを貼り、ネガティブキャンペーンを実施した。

政府の態度は一変し、李軍さんは茫然とした。しかし、法輪功に対する信念は確固として変わらなかった。

 

 天安門広場で訴え

李軍さんは2000年10月、国慶節の連休に、法輪功の真実を伝え、迫害をやめるよう訴えるため北京の天安門広場へでかけた。他にも多くの有志の学習者が集まり、宣伝ビラを撒き、横断幕をひろげた。

そのたびに、多くの警察官が押し寄せてきて学習者たちを殴打しはじめ、パトカーに投げ入れ連行していった。天安門ではこのような光景が目撃される日がしばらく続いた。

李軍さんも南京へ強制送還され、公安局留置所に15日間拘留することになった。

李軍さんは天安門広場に請願に行く前、勤め先や妻へ手紙を送っていた。手紙には、自分が法輪功を修煉しはじめてから身体が健康になったこと、仕事において真・善・忍の基準に基づいて自らを律し、道徳水準が向上したこと、中国共産党が事実をねじまげ法輪功を誹謗中傷していること、そして学習者が蒙っている迫害の内容をつづった。

「当時、数万人に及ぶ学習者が不法に拘禁され、およそ50人が殺された。ほかにも殴打、恐喝、拷問、勤務先で突然の解雇、学校は退学処分など、迫害例は枚挙にいとまがない。真・善・忍の基準にもとづき修煉しているだけで、なぜ迫害されるのか、こんな世界がどこにあるのか」

李軍さんは義憤に駆られていた。

(つづく)

法輪功とは何か 受賞歴ある元テレビディレクターの半生から(2)

(翻訳・陳明香、編集・日路志摩)


 編集者注

法輪功は1992年、中国吉林省で李洪志氏が伝えた気功修煉法。「真・善・忍」で己を律することを教えた。多くの人が健康増進、ストレスからの解放、精神的な向上を実感して、人気を博した。中国政府の統計で、1999年までに1億人が学んでいた。

当時の江沢民・中国国家主席は1999年、党員数を圧倒した法輪功の勢力を恐れ、弾圧を始めた。国際人権団体フリーダム・ハウスによると、迫害で数十万人が強制労働を受け、拷問で数千人が死亡したという。

2015年5月、法輪功迫害を主導した江沢民元主席を反人道罪などで告訴する運動が全世界ではじまった。2016年5月までに中国国内の告訴人は25万人に達し、アジア地区だけでも、告発状に署名した人は123万人を超えた。

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