【大紀元日本3月12日】先月末に香港紙「明報」の前編集長が襲撃された事件から、今月初めの昆明の無差別殺傷事件。中国の情勢に物々しい雰囲気が漂う。一連の暴力事件は、習近平体制を崩すための江沢民一派の政変の一部分であるという情報を大紀元は入手している。周永康事件の行方のみならず、権力をめぐる中国共産党指導部の闘争や、今後の中国の政局を紐解くには、以下の8つのポイントに注目する必要がある。
1. 曽慶紅が「明報」に登場 同紙オーナーと江一派との深い関係
2. 腐敗カードは江一派を滅ぼす切り札にならない
3. 全人代会期中、習近平が妥協も江一派をけん制
4. 曽慶紅が暴力による政変を企む
5. 習陣営、江一派との即戦即決を迫られる
6. 曽慶紅が握っているもの
7. 王岐山が雲南省副省長にメス
8. 腐敗撲滅計画が調整へ
1. 曽慶紅が「明報」に登場 同紙オーナーと江一派との深い関係
8日、しばらく顔を見せていない曽慶紅が明報に姿を現した。中国人民大学の法学教授の葬式に出席したとの記事だったが、内陸のメディアでは報じられていない。
明報オーナーでマレーシアの実業家・張暁卿も最近、香港政論誌『前哨』にフォーカスされた。中国での事業を順調に拡大させている張は、前世紀80年代から薄煕来とつながっていたという。当時、大連市で権力をもつ薄煕来が便宜をはかったことで、張は大連で木材加工業に投資していた。このことについて、薄は後に「私は張暁卿会長とは旧知です。『同志』と言える仲です」と言っていた。
1995年、張は明報を買収。背景には、当時の江沢民政府が、香港の返還を控え、第三者を通じて香港メディアへの買収を進めていたことがある。薄の旧知の張はそんな江一派にとって絶好の人選だった。
2009年2月、張は傘下の『亜洲週刊』で率先して「重慶模式」を提起。薄がトップを務める重慶がリーマン・ショック後、「適切な政策をとり、沿海都市の経験を吸収しながら、リスクを回避し、中国が金融危機に対抗する新たな道筋を示した」と絶賛した。「重慶模式」はその後、国内各紙に使われ、薄もそれによって時の人となった。
張と江一派とのつながりは石油業界にも及ぶ。2007年、張自身が会長を務めるRHペトロガスが、吉林省を拠点とする子会社を通じて中国石油天然気集団(中国石油)と提携し、吉林省で石油採掘の契約を結んだ。
当時、薄が商務部長で、石油畑出身で盟友の周永康は最高指導部の中央政治局常務委員に昇進していた。中国石油の当時のトップは、現在、「重大な規律違反」で取り調べを受けている蒋潔敏。これらのメンバーの庇護もあり、張と中国石油の提携は翌2008年、無事、商務部の許可を得た。
しかしその後、江一派の影響力が下火になるに連れ、この契約にも暗雲が立ちこめた。商務部の許可を得た石油採掘は、国務院からはなかなか許可が下りないでいた。昨年第2四半期には許可が下りると確実視されていたが、石油業界の不正が次々と明るみになるなか、薄の「同志」の張への許可はまた先送りされた。
こうした攻防のなか、江沢民勢力は残り少ない陣地である明報へのコントロールを強めている。1月に前編集長を更迭し、陣営に近いマレーシア華字紙の元編集長を後任に就かせた。前編集長はその後、白昼襲撃された。一部では中央の調査を受けていると伝えられた曽慶紅は国内メディアから姿を消したが、明報には登場した。この明報の動向は今後しばらく、中国の政局を読む手がかりになりそうだ。
(続く)
※ 本文中の名前は敬称を略している。
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