【大紀元日本12月4日】在米の中国人経済学者、何清漣氏はこのほど、米海外向け放送ボイス・オブ・アメリカ(VOA)に寄稿し、2013年の米中外交は、中国が米国の「堪忍袋」に挑んだ一年だったと振り返った。この挑戦は一時的なものでなく、以前からの用意周到な企みによるものだと指摘した。
何氏によると、中国は2000年代初め頃から国際社会のルールを書き換えようと挑みつづけた。2009年12月に開催されたコペンハーゲン国連気候変動会議でこの挑戦が明白になったという。この会議で中国が一方的に振る舞い、CO2排出削減の数字的目標の設定を阻止した。世界主要国のひんしゅくを買った中国の対応について、当時の国内メディアは「中国が力強い出撃を果たした」と国際社会への抗戦を誇らしく報じた。
この挑戦がその後も続き、2年後のAPEC首脳会議(ハワイ)で米オバマ大統領はとうとう堪忍袋の緒が切れた。「米国と他の国々は十分すぎるほどこらえた」。大統領は中国元の低評価を批判し、「中国はすでに大人になり、他の国がすべて守っている国際的規則を必ず順守しなければならない」と名指しで中国のなりふり構わない姿勢を批判した。
その直後に開かれた中国代表団の記者会見で、中国側が本音を漏らした。「中国が参加した協議を通じて決まった規則ならば中国は守るだろうが、一国または、数カ国が定めた規則ならば中国には遵守する義務がない」と国際社会へ後入りながらも、制定に参加していない規則は「関係ない」という横柄な態度で米国の批判に応じた。
今年のスノーデン暴露事件は米中関係における米国の立場を決定的に弱めたと何氏は指摘。英紙ガーディアンが最初に匿名で米NSAの情報収集活動問題を表面化したのは6月6日で、中国のサイバー攻撃が焦点となる米中首脳会談の直前だった。この暴露によって、米国はあたかも世界最大のハッキング国になり、米中交渉の切り札は一瞬にして米国から中国の手中に。スノーデン氏の弁護士のひとり、何俊仁氏によると、スノーデン氏の香港行きや、ベストタイミングでの取材、取材後の安全確保、香港を離れたことなど、すべてが周到に手配されていたという。
スノーデン事件が北京に「成功の喜び」を味わわせ、さらに一歩踏み込んだ防空識別圏の設定に駆り立てたと何氏は分析した。だが今回は米空軍の即座の対抗で中国政府がうろたえた。最初の「実弾攻撃も可能」との強気発言から、数日後の「領空ではない」「目当ては日本であり米国ではない」と、米国に対し姿勢を軟化した。
この防空識別圏の設定は4カ月前に習近平国家主席が決断したものであると香港誌は伝えている。東シナ海をめぐる日中関係は「資源争いから戦略的争いに変化した」との見解のもと、中国政府がふたたび米国の堪忍袋に挑戦した。
このような挑戦が成功するには2つの条件が必要だと何氏。ひとつは、挑戦者が大多数の国の利益を代弁。もうひとつは、挑戦者が剛腕で、他国が従うしかない。中国の防空圏設定は後者を狙ったが、米国の軍事力に及ばないことから、挑戦が躓いている。ただ、習主席は「富国強兵」を掲げており、日中争いを「戦略的」と位置づけている以上、今後も現存ルールへの挑戦がつづくと何氏はみている。
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