処刑所からの証言 中国での死刑囚臓器奪取の実態(一)=イーサン・ガットマン

2012/11/30
更新: 2012/11/30

【大紀元日本11月30日】北京で長年ビジネスコンサルティングに携わり、『失去新中国(新中国を失う)』の著者イーサン・ガットマン(Ethan Gutmann)は今年9月12日、米国下院外交委員会で開かれた「中国共産党が宗教信仰者と政治異見者の臓器を摘出」というテーマの公聴会で、証人として陳述を行った。同氏は昨年12月5日付の米保守系政治週刊誌The Weekly Standardにおいても、中国の臓器狩りの実態を詳細に暴露している。以下はその全文の和訳である。

第一部処刑所からの証言

閉鎖的な中国北西地域で発生していることを知るには、時には十年前、いやもっと前に遡るべきときもある。

1991年秋、臨時手術室に改装された一台の小型ワゴン車は広州市南部の郊外の山道を走っていた、車中には医療チームと中山医学院に配属されたばかりの若い内科医が乗っていた。そして、車はある更地に止まった。あたりではすでに数台のワゴン車が停車していた。車体はみな白色で車窓は茶色、車体の赤い十字が非常に目立っていた。現場の警官は皆に車中で待機するよう指示した。車窓から見えたのは列を作ってずらりと並んだ、既に埋められた古い穴と掘ったばかりの新しい穴。ここは処刑所として長年使われてきたと推測できる。

今回処刑されるのは36人。その72個の腎臓と角膜は現地の病院に配分される。各ワゴン車には、熟練の手術医が待機しており、15~30分以内に臓器の摘出が完了する。そして、病院に戻り、6時間以内に移植を行う。もう、皆は手慣れており、処刑が心臓を損傷してしまう心配もない。

過去十年間の中国医学の迅速な発展により、これまでに廃棄していた臓器も無駄にしなくなった。その事情は公にされていないが、医大の教室では、教授は医学生たちにこう告げる。「一部の凶悪犯罪の囚人は自ら臓器の提供を志願する。それは彼らの最後の懺悔だ」

第一陣の銃声が響き渡った直後、ワゴン車のドアが開けられ、警官制服の外に白衣を被った2人が遺体を運んできた。その手と足はまだ微かに痙攣している。若い内科医の思った通りだった。銃弾は右胸の上部に打ち込まれた。3体の遺体が運び込まれた後、医者たちは仕事を始めた。

男、40代、漢族、腎臓を除いたその他の臓器は恐らく暴利が得られる外国人に売られるであろう。事前に医者たちに渡された資料によれば、その腎臓は50代の中国人男性に移植される。適合していることもすでにわかっている。もし移植を受けなければ、その男性の余命は長くない。移植後、もしかして彼は後25年間生きられるかもしれない。(25年後の)2016年になれば、中国での排斥反応(拒否反応)を抑える薬物の開発により、肝臓や肺、心臓の移植もできるようになると、この男性はまた後10年か15年の命を買えるかもしれない。

第三号の遺体には特別な標識がなく、ただ、その頚部周りには紫色の傷跡があった。医者たちはすぐにわかった。時には、囚人が法廷で騒ぐのを防ぐため、金属ワイヤでその首をギュッと締める。彼は恐らくヒステリックな殺人犯または暴徒か、あるいは精神錯乱状態だったか、と医者たちは心の中で推測した。中国の刑罰システムはまるでミンチ作りの機械で、頑固な犯罪者を大量に処決する。若い内科医は心に微かな迷いがあった、どれほどの重罪を犯したとしても、こうしてその臓器を摘出するのはやはり人道に反している。しかし、彼はすぐに自分を納得させようとした。その摘出手術は産科医のやることと何の違いがあるのか、臓器の摘出は生命を蘇らせると同様で、抗生物質あるいはホルモン剤の開発成功と同じく、医学の前進ではないか。「恐らく、彼の発言権が剥奪されたのは、政治犯であるからだ」との思いもよぎった。

19年後、欧州のある身の安全が保証された場所で、当時のこの若い内科医は以上のことを証言した。彼は私に対して身分を明かさないよう強く求めた。中国医学界の権威たちは、ほとんどの臓器提供者は死刑囚だと認めている。しかし、例え国から逃げ出したとしても、中国の医者は通常、このような臓器移植への関与を語らない。なぜならば、そのことを言及すれば、国際医学権威たちも避けようとするある話題に触れるからだ。それは、中国で急増する死刑執行あるいは犯罪人の臓器略奪という話題ではなく、宗教信仰者と政治犯を計画的に消滅させるという問題だ。

(続く)

(翻訳・叶子)
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