【特別報道】次期最高指導者の習近平の就任をめぐる陰謀 真相いよいよ明らかに

2012/04/18
更新: 2012/04/18

【大紀元日本4月18日】王立軍重慶市元公安局長の亡命未遂事件を発端に勃発した中国共産党内部の権力闘争は実は、今秋に開催される第18回党大会で党最高指導者に就任する習近平副主席をめぐって展開されている。当時、江沢民前国家主席に次期指導者に指名されたのは薄熙来重慶市元党委書記だった。しかし、上層部に渦巻く各種の力関係が作用し、江沢民はやむを得ず、習近平を次期最高指導者に指名したという経緯があった。

江沢民、曾慶紅前国家副主席、周永康中央政法(公安、司法)委書記はいずれも法輪功弾圧の首謀者として、ここ13年間にジェノサイドの罪を犯してきた。中に、羅幹前中央政法委書記が捏造した「天安門焼身自殺」事件、政法委管轄下の労働教養所で行われた法輪功学習者の生体からの臓器摘出事件など驚くべき罪が隠されている。これらの犯罪事実を隠し通すために、江沢民と曾慶紅は党最高権力を容易に明け渡すわけにはいかない。これが「江沢民VS胡錦濤」バトルの核心であり、第16、17、18回党大会で指導部交代を睨む攻防の核心でもある。

江沢民主導で10年間続いた権力闘争はいよいよ終盤へ、真相まもなく明らかに

王立軍事件の展開とともに、上層部の内紛が世界中に注目されている。しかし、暴かれた真相はわずか氷山の一角に過ぎない。真相が表沙汰になる日に、全世界は衝撃を受けるだろう。そのとき、情勢は激動するに違いない。

ここで明言するが、今、最高指導部で起きたすべては権力闘争だけの問題にとどまらず、隠されてきた重要な真相が世に知らしめるべきことであり、すべての中国人と関係している。

権力闘争は表向き、真相こそ本質

ここで言う真相とは、江沢民集団が隠し通そうとする、13年間続いた法輪功への弾圧の中で冒した重大な罪のこと。江沢民一派が権力への支配力を失うと、真相は直ちに明らかになり、中国社会で激変が起こる。

この最高指導権をめぐる熾烈な攻防戦はすでに10年間続いており、今は終盤に差し掛かろうとしている。真相はまもなく明らかになる。

江沢民、曾慶紅、周永康は薄熙来が今秋の党大会で中央政法委書記の座についてから、武装警察の強化、世論の誘導、重慶モデルの全国普及などに着手し、そして時機を見計らって習近平を国家主席の座から蹴落とし、場合によって逮捕することも辞さないと計画していた。この政変計画はすでに半分まで進んだが、王立軍の亡命事件で暴かれ、総崩れしてしまった。

大紀元時報は第16、17、18回党大会をめぐる権力闘争の内幕をこれから明かしていく。江沢民、周永康、曾慶紅、羅幹が隠してきた天安門焼身自殺とその他の事件の真相を今後も順次公開していく予定。

喬石を引退に追い込んだ江沢民の手口

江沢民の上司だった喬石前全人代常務委員長は江の最大のライバルと言われている。97年に開催された第15回党大会で、指導部を思うがままに操るために、邪魔だった喬石の引退に江沢民は動いた。

高い人望の持ち主で優れた能力を持ち合わせ、人気度や経歴など、どれをとっても江より一枚上だった喬石。対策に苦心した江沢民は、喬石が自身より2歳年上ということに目を付けた。江沢民、曽慶紅は薄熙来の父親である薄一波と手を組み、「政治局常務委員は70歳で引退すべきだ」との意見書を提出した。当時73歳だった喬石は引退を承諾し、常務委員の70歳で引退するルールは定着した。江沢民は当時71歳だったため、このルールに従えば、同じく政界から去るべきだったが、党総書記だから、引退する必要がないと曽慶紅は言い張った。

中央政治局常務委員が「七上八下」のルールの由来

第16回党大会が行われる2002年に高齢の江沢民は引退せざるを得なかった。政治局常務委員会に資質、人望、能力が江沢民より高い李瑞環前全国政治協商会議主席がいる。

実は江沢民が政治局常務委員会入りを果たせたのは李のおかげだと言われている。53歳の李は1987年に中央政治局委員、天津市党委書記(1987年8月)と順調に出世していく。しかし、その若さで頭角を現した李を懸念した指導部は芮杏文上海市党委書記ら3人を同時に政治局のメンバーにする予定だった。しかしその後、予定が変更され、芮杏文は1987年の党大会前に宣伝担当の中央書記処書記に任命された。代わりに江沢民が中央政治局入りを果たし、上海市党委書記に昇格した。

第16回党大会のとき、李瑞環が政治局常務委員にとどまっていれば、江沢民は院政を敷くことができない。そのため、再び年齢問題を持ち出して李瑞環に引退を迫った。当時68歳だった李はまだ1997年に定めた70歳の引退ラインに達していないため、曾慶紅は「七上八下」の言い方を持ち出した。つまり、67歳なら政治局常務委員を再任することができるが、68歳は引退すべきだ。こうして李瑞環も引退に追い込まれた。

自身の引退を美談化する曾慶紅

李瑞環を引退に追い込んだ「七上八下」ルールはこのまま定着し、党内の規則となった。第17回党大会が行われる2007年、曾慶紅自身も68歳になり、この規則に適用され、引退を余儀なくされた。曾が引退後、現在の習近平副主席が後任として政治局委員入りし、中央書記処書記に昇格された。曾はいつも習に道を譲るために引退したと自身の引退を美談化しているが、実は仕方のないことだった。

習は党内で政治カラーが強くないが、父親である習仲勲元副首相は改革派として知られ、党総書記だった胡耀邦、趙紫陽と思想が近く、懇意していたという。現国家主席の胡錦濤、総理の温家宝はいずれも胡に抜擢されたため、胡と近い関係にある習仲勲とも親交が深い。のちに、胡と温は習仲勲を師として仰いでいた。

習近平が次期最高指導者になった舞台裏

第17回党大会のとき、胡錦濤は次期後継者に現副総理の李克強と習近平を見込んでいた。しかし、江沢民と曾慶紅は胡を牽制するために、より胡に近い李の後継者指名をなんとしても阻止したい。自身の陣営に適切な人選がないため、折衷案として習近平を後継者として提案した。胡と温にとって習が意中の人物でもあるため、江一派の提案をすんなりと受け入れた。

習近平を後継者にしたのは江一派の折衷案

江一派のメンバーではない習が次期後継者として名前を挙げられたのは江沢民と曾慶紅が折衷した結果に過ぎない。江と曾が本当に目当てとしているのは薄熙来だった。彼らは2007年に胡錦濤が見込んだ後継者が指名されないように動き、2007~12年の間、薄の地位を築き上げ、2012年の第18回党大会で薄を政治常務委員会入りさせ、中央政法委書記に就任させることを目標実現の第一歩として考えている。

習近平の就任を阻止する江一派の陰謀

江と曾は第18回党大会後の2年以内、薄が全国で「唱紅打黒」(革命ソングーを歌い、暴力団を一掃する)運動を展開させることによって、全国区で力を付けてあげたかった。その後、手中にある政法委の力、管轄している武装警察、薄と江沢民が人民解放軍で植え付けた勢力を利用し、習近平を罷免、または逮捕することを画策していた。こうして、再び天下を取り戻すと胸算用していた。

計画は薄と周永康によって着実に進められたが、王立軍の米総領事館亡命事件で習下ろしのための陰謀が明かされた。すべての計画は音を立てて崩れ始めた。

(大紀元日本ウェブ編集チーム)