【大紀元日本5月29日】
「六四」が生んだ不屈の活動家
現在米国に在住する人権活動家・唐柏橋氏は1967年、中国湖南省の出身である。
1989年の民主化運動以前には、湖南師範大学で政治学を専攻。在学中から学生会の主要メンバーであるとともに、各種の社会活動に参加してきた。
89年5月、湖南省の高校大学学生自治連合会(高自連)の代表として、学生を中心とする北京の民主化運動に参加。同年6月4日の「六・四天安門事件」の後、高自連のメンバーなど民主化運動を指揮した学生リーダーに対し、北京の公安当局は逮捕令を発令した。
その中に含まれていた唐柏橋氏も7月、広東省江門市で逮捕された。
1年後の90年7月、「反革命宣伝扇動罪」により懲役3年に処せられた同氏は、91年2月に仮出所した後、民主化運動の地下組織「中国民自連」を結成して活動を開始する。
92年に再び警察に追われる事態となって香港に脱出。同年4月、国連の政治難民の身分で米国に渡った。その後は米国を拠点に、中国の民主化を目指しての活動や講演、および各メディア等での評論活動を続けている。
その唐柏橋氏が法輪功学習者に接するようになったのは、2003年頃からだという。
法輪功学習者ではない同氏の目に法輪功学習者はどう映り、同氏にどのような影響を与えたか。唐柏橋氏の話を以下に記す。
民主活動家が見た法輪功学習者
法輪功は、中国の道徳を再建した。これは他のいかなるグループ、例えば民主化運動のグループや政治運動の組織でもなし得なかったことである。
法輪功学習者は、民主化運動に関わる人々とは異なる道を歩んできた。それは、まさに中国の社会道徳を再建し、望ましい中国伝統文化を復興させるという道であった。
それは彼らと接してきた私自身が、道徳面において浄化されたことからも明らかである。
私が法輪功学習者と交流する過程において受けた最も大きな影響は、私の思想面への影響であった。
私は以前、自民族である中華民族に対して、ほとんど絶望に近い考えをもっていた。
私が中国を離れてすでに10数年が経つが、その間、中国の民主化に向けた国内外の情勢は消沈する一方であるとともに、西側諸国と中国共産党との関係はますます「良好」になってしまった。これは全く希望が見えないことを意味している。
しかし私は2003年以来、法輪功学習者と多く接することによって、彼らに希望の光を見出したのである。
中国大陸には、これほど崇高な道徳を有する人々がいる。だからこそ中国にはまだ希望があり、必ず良い方向へ変革できる。私はそのことを知って、まさに衝撃を受けた思いだった。
法輪功は、中華民族の道徳の再建に極めて重要な作用をもたらしている。法輪功学習者に接した民主活動家の中で、私と同じような経験をした人は少なくないはずだ。
全世界を啓発する法輪功
法輪功学習者も当初は中国人ばかりであったが、その後、法輪功を学ぶ人は全世界へと広まった。
法輪功学習者がとった方法は、全世界を大きく啓発することになった。その方法とは、私の認識では、ガンジーの「非暴力、不服従」を更に一歩進めたものだと思われる。
中国共産党とその関連組織から脱党・離脱を表明する「脱党運動」。中国共産党と共産主義のもつ邪悪な本質の全てを暴露した書籍『九評共産党』(邦訳「共産党についての九つの論評」)の頒布。中国共産党によって破壊された正統な中国伝統文化を復興させる「神韻世界ツアー公演」。中共のネット封鎖を突破するソフトの開発。そして内外のあらゆる場所において法輪功学習者が積極的に行っている「真相伝え」。
それら法輪功学習者によるひたむきな努力の全てが、全く新しい非暴力運動として世界の人々に知られるだけでなく、人々を更に高い境地へ到達させる大いなる啓発として受け入れられているのだ。
例えば、「中国共産党から脱党する」と自己表明する脱党運動は、これを中国人および中国出身者が実行することにより、一人ひとりが自分の魂の奥底にあるものに対して、根本的かつ実際的な改革を加えることができる。
これがまさに、中国共産党との「硝煙なき戦い」において、戦わずして敵を屈服させ、ついには中共を解体して無形化させてしまうという圧倒的な力を発揮するのである。
私の多くの民主活動の友人も脱党を表明した。それによって彼らは、思想の上でも、また自分の活動においても大きな変化が現れた。最近、この脱党運動の効果がますます顕著になってきたようだ。
これら「脱党」「九評」「ネット封鎖突破」等によって、中国共産党は今まさに「四面楚歌」、さらには風前の灯の状態にあると言えるだろう。
「組織を持たない法輪功」に学べ
我われ民主活動を行っているグループには各種の組織があり、その分、綱領や会議も多い。その中でさまざまな衝突があるため、内部での消耗が激しく、組織の管理に費やす労力が膨大なのだ。つまり中国民主化運動の組織は、基本的に中国共産党の雛形を脱しきれていないのである。
これに対して法輪功の人々は、初めからそのような組織を持たず、綱領的な規律もなく、誰かが強権によって思想を無理やり注入するようなこともしない。
法輪功学習者の行動は、全てが自発的であり、しかも大勢が協力して一緒にできる。それでいて学習者の間には上下関係が存在しないため、いわゆる「組織」とは全く別のものなのである。
中国共産党のかつての首魁・江沢民は、法輪功を3カ月で消滅させると称して、その迫害・弾圧に空前絶後の国力を注いだ。しかし10数年経った今でも「消滅」はおろか、法輪功学習者の力はますます大きくなっている。
これほどの圧制、これほどの艱難の下で、法輪功はなぜそのようなことができるのか。その答えは、歴史学者の研究を待たなければならないだろう。
しかし、これは中国史上にかつてなかった奇跡であり、栄光であることは間違いない。法輪功学習者のみならず、全ての中華民族、ひいては世界人類の栄光なのである。
89年「六・四」の時は、北京では数百万人が路上に出て声を上げた。あの時は皆、なんと意気盛んだったことか。地方の都市でも、数十万人に上る民衆が街頭へ出て自らを主張した。労働者の自治連合などの組織も結成された。
しかし「六・四」が武力鎮圧されて以後、わずかに残っていた組織も1、2年で低調となり、今では全く影を潜めてしまった。
それに対し、法輪功学習者は全く対照的な姿をなしている。これは全く興味深い現象であり、まさに研究・分析に値するものであると言えるだろう。
法輪功学習者が私に与えたもの
法輪功学習者は、私に中華民族に対する自信と確信を与えてくれた。
私が彼らに初めて正式な形で会ったのは、2003年であった。7、8人で私の家を訪れたが、私は彼らと全く面識がなかった。彼らは皆、マサチューセッツ工科大学の博士、ハーバード大学の博士など、米国で最高の学識を有する人物ばかりであった。彼らが私に与えた印象は、民主運動家のそれとも異なるものであったし、通常の社会において見られるような、いささかの地位を鼻にかける人間とも違っていた。
彼ら法輪功学習者が有する雰囲気は、民主活動家が角を突き合わせて政治を語るようなものでは全くなかったのだ。私はとても不思議に感じた。私の家内は米国で成長した華人であるが、家内も彼らに対して非常に良い印象をもった。
この時から、私の法輪功学習者に対する印象は、彼らが非常に高い道徳性を有し、本当に信頼のおける人々である、というものになった。
私が困難な状況に遭遇した時、例えば、私が威嚇や中傷を受けたりして精神的な不快感を覚えた時などに、法輪功学習者は私にこのような啓発を与えてくれるのだ。
「その困難は、あなたの意志を鍛え、あなたの道徳を高めるために与えられた試練なのです。あなたを中傷する人は、あなたが向上する機会をわざわざ提供してくれたのですよ」
法輪功学習者の言葉を聞いて、私は豁然と悟った。
私を中傷する人々が私に向上の機会を与えてくれたとするならば、私はそれと争うには及ぶまい。そのように自分の考えを変えた時、私は全く新しい視界が開けたように感じたのである。
「公心至上」それ以上の真理
また、私が法輪功学習者と接する際によく感じることであるが、彼らは何をするに当たっても誠実に、社会や他者のために身を奉げるという「公心至上」の精神で行動しているようなのだ。
いや、私の「公心至上」という言葉でさえ、法輪功学習者のそれには及ばない。
彼ら法輪功学習者は、物事の是非を判断する上ではいかなる外的な条件も容れず、完全に客観的な真理に基づいてそれを行っている。つまり、例えばその人物の財力や権力の有無に一切かかわらず、その言行が間違っていれば非とし、正しければ是とするのである。
現在、中国では、そのような本来あるべき姿とは正反対の風潮が蔓延している。
中国を代表する現代芸術家の艾未未氏を、かつては新華社も人民日報も褒めちぎり、おだて上げていた。彼が、北京五輪のメインスタジアム「鳥の巣」の設計者の一人であったからである。中共は自らの恥部を隠すために、彼を利用したのである。
後にそれら中国の官製メディアは、同じ艾未未氏を非難せねばならない事態に至って、今度は同氏を悪魔だ妖怪だと、手のひらを反すように罵り始めた。最も悲しむべきは、それに扇動された少なからぬ人々が同調してしまっていることである。
それに対して、先に述べた通り、客観的真理に基づいて是非を判断する法輪功学習者の信念は完全無欠である。私は長年、法輪功学習者に接してきて、彼らのいうことがまさしく道理にかなっていることを知ったのである。
「政治に関わらない」ということ
法輪功は、あくまでも修煉を通じて自己を向上させていくことを目指すものである。従って、法輪功が政治に参与することは固く禁じられている。
しかし中共は「法輪功は政治に関わっているではないか」という。
これについて、私は以下のように見ている。中共のいう「法輪功が政治に関わる」とは、それ自体、中共による法輪功弾圧の手口であり、極めて陰険な謀略なのである。
中共を解体し、民主化を促進させ、邪悪の要素を除去するなどの行為が政治的だとするならば、私はこう言おう。「それは国民の権利であり、また公民として当然行うべき義務である」と。
それでも「法輪功は政治に関わっている」と中共がいうならば、その中共が行っているこの政治下で、迫害・弾圧に屈しない法輪功学習者に対して、私たち法輪功学習者でない中国人は心から敬意を表し、彼らに惜しみない拍手を送ろうではないか。
今中国で最も求められることは、一日も早くこの専制体制を変え、暴政を一掃して正義を回復させることである。それは他ならぬ中国の国民がなさねばならないことなのだ。
しかし、中国政治の新旧交代に当たって、法輪功が自分の政権を打ち立てたり、法輪功が立候補者を立てて国政選挙に臨むなどは、絶対にありえない。それは彼らが再三にわたって政治には興味を示さないと言っており、実際その通りであるからだ。
中共は法輪功を抹殺するために「法輪功は政治に関わっている」と吹聴しているが、そこには中共による「観念のすり込み」があるということを、多くの知識人もまだ分かっていないのだ。
だから、ある人はこう言う。「法輪功が主張する『中共を解体せよ』は、彼らが政治に関わっている証拠ではないか」。
その人に対して、私は明確にこう答えよう。「そう考えることこそが、すでに中共の罠にはまっているのだ。法輪功学習者の中には、大統領になることを望んだり、政権を求めたりする人間は一人としていない。これがどうして中共の言う政治に相当するのか」。
いかなる個人も、公民としての基本的人権を有する。それは国家の憲法に保障された権利であって、何人もこれを剥奪することはできない。
従って、中共が「法輪功は政治に関わっている」と喧伝して法輪功を抹殺しようとしていることは、最も愚かな方法であり、それによって法輪功学習者は些かも傷つけられることはないのである。
唐柏橋氏から法輪功への祝辞
以上が、人権活動家・唐柏橋氏のコメントの概要である。
長年にわたって法輪功学習者に接してきた同氏は、不撓不屈の法輪功学習者を「中国の希望」と呼ぶ。
インタビューの最後に同氏は、5月13日の「世界法輪大法デー」に当たり、次のような祝辞を寄せた。
「法輪大法の真善忍は、道徳が崩壊したこの現代社会に希望をもたらしました。世界1億の法輪功学習者の皆さんは、反迫害の活動の中で和平と寛容の精神を具現するとともに、世界の未来に新たな発展の方向を示したのです。法輪大法の創始者・李洪志先生の60歳の誕生日をお祝いするとともに、ご健康を祈念し、法輪大法の普遍的伝播をお祈りいたします」
次回は本編の完結編として、日本や世界の各地において、現地の人々とともに手を取り合い、明るい未来に向けて努力する法輪功学習者の姿を紹介する。
(続く)
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