警察除け「門神」に 脱プロパガンダ年越し ウサギの中国新年に新たな光景

2011/02/03
更新: 2011/02/03

【大紀元日本2月3日】爆竹の火薬の匂いが漂うなかで、中国は今日、旧暦の新年を迎えた。爆竹や、門扉に飾る「春聯」と呼ばれる対句や「年画」、親族一堂でお正月料理「年夜飯」を夜通しで食べながら新年を迎える「守歳」の習わしなど、古くからの風習にはお祝いと厄除けの意味合いが織り混ざる。目に見えない怪獣への恐れ、それを追い払い縁起を担ぎ新年を迎える、そんな人々の思いが込められる。

そして2011年の中国では、人々の「怪獣」への憂患は依然として消えない。しかし伝統的な見えない怪獣より、現実版の実在のできごとのほうがもっと恐るべき存在のようである。いつわが身に降り掛かるかわからない悪性事件、権力が横行闊歩する道理の通らない世の中への危惧が人々の心の中で燻りながらも、少しずつ追い払おうとする決意へと様変わりしたようにも見える。「火薬」の匂いは人々の心にも染み渡ったようだ。

艾未未、厄除け門神を描く

中国の著名な建築芸術家・艾未未氏が今年の「年画」を自らのブログで発表した。愉快な表情をする2人の門神のほかに、年画に描かれた対句や「アイテム」が人々の目を引いた。

「斬妖除魔保太平 避警防特降国宝」と書かれた対句は「妖怪を斬り魔物を除け太平を保つ 警察を避けスパイを防ぎ国宝が降りる」という意味だ。ここで言う「警察」と「スパイ」は、中国で横行するネット検閲のための「ネット警察」と「ネットスパイ」のことを指し、「国宝」は絵の右上に描かれている鳥マークの「自由門」を意味する。

「自由門」は中国当局のネット封鎖を突破するコンピューターソフト。艾未未氏は自由門という名の国宝を手に入れ、統制されない情報に触れることによって、はじめて真の太平を手に入れられるという意味を作品に込めた、とネットユーザーは分析する。

このほかにも、この賑やかの年画に実に多くのメッセージが隠されている。左の門神の足下にいるのは、ネットで流行っていた架空の「草泥馬」(当局を罵倒する言葉と同音)。右の門神には「河蟹」(調和社会を意味する「和諧」と同音)が近づいてくる。スイカは艾氏の少年時代の体験から自らを表現するアイテムとして、また、世に忘れられがちな「草の根」に日を当て注目してもらいたい意味を重ねている、と以前に氏が語ったことがある。

見る人だれもが会心の笑みをこぼすこの作品は、掲載されてからたちまちネットユーザーの間で転載され拡散したが、艾未未氏が作品を発表した新浪網のブログは、対句に出た「警察」により通報されたためか、「妖」や「魔」が斬り除かれるのを恐れているためか、新年早々封鎖されている。

プロパガンダ「春晩」に「ノー」

大晦日の夜、家中の者が眠らずに夜を明かす「守歳」の習わしは、ここ30年近く、国営中央テレビの「春節聯歓晩会」(略称、春晩)に支配されてきた。最近話題になったホワイトハウスで演奏された反米愛国ソング「私の祖国」を代表とするプロパガンダ色の強い歌やコントがこの番組の常連。

全国民がこのプロパガンダ・ステージを見ながら年を越すと言っても過言ではない例年の年越し風景に今年、清らかな風がそよぎ込んできた。北京や上海、天津、重慶など9つの大手衛星テレビ局が一斉に、中央テレビに「ノー」を突きつけたのだ。独自に年越し番組を計画するこれらのテレビ局は、「春晩はすでに影響力が下がっている」と明言した。

それもそのはず。昨年の「春晩」への満足度調査では、満足した視聴者は15%に止まり、その一方で「政治色が強すぎる」を不満の理由とする回答が目立ったという。

現実社会にはびこる不条理や腐敗から遠く掛け離れたこの共産党謳歌の番組。隅々まで行き渡る虚偽なプロパガンダの要素に、人々は不満を抱き、心を遠ざけ、そしてとうとう「ノー」と背を向けたのだ。

ウサギ年の流行語は「兎死狐悲」か

旧暦のウサギ年は、エジプトなどに吹き荒れる反政府デモ・騒乱の嵐と隣り合わせで「平穏に」迎えたようだ。エジプトの首都カイロのタハリール(解放)広場を見て1989年の天安門広場を思い起こす中国人も少なくないはずだ。

そんな中国人が年の瀬に、来るウサギ年を縁起の良い言葉で飾ろうとしても、なかなかいいことばは思い浮かばないものだ。「兎子尾巴長不了(ウサギのシッポは長くならない)」という諺は「長く持たない」ということを意味しており、独裁国家の運命を暗示しているようにも見えてくる。「兎死狐悲(兎が死んで狐が悲しむ)」という四字熟語は、同類の不幸を嘆き悲しむことを比喩する。これもまたチュニジアやエジプトの政変の飛び火を恐れながら嘆く同類の独裁国家の指導者の心理を示しているようにも思える。

ウサギから連想されるこれらの言葉。縁起を担ぐどころか、新しく迎えるウサギ年では「禁句」になり、ネット封鎖に遭うかもしれない。そんな中でもう一つ、「兎死狗烹(兎が死ねば猟犬も処分する)」を思い出す。ここでも小さな独裁国家と大きな独裁国家に思いを馳せ、小さな独裁国家の運命は、そのうち大きな独裁国家にも押し寄せるということを予言しているのだろうか。

(張凛音)