【大紀元日本1月17日】 中国人権派弁護士・高智晟氏は2010年4月に北京で姿を見せて以来、ずっと消息がわからない。ここにきて、AP通信は1月10日の報道で、2010年4月の同氏への取材内容を伝え、同氏の証言として、中国当局に監禁された期間中に受けたリンチ・拷問の内容を報じた。
高智晟氏は当時AP通信に対し、自分が長期間にわたり行方不明になった場合、あるいは米国のような「安全な地」に渡った場合、はじめてその取材内容を公開してもいい、と約束を取り交わしていた。
2010年4月、高智晟氏はAP通信の記者と会ってから2週間後に、再び行方がわからなくなり、今日に至っている。親族や友人、支援者たちのだれもが同氏からの連絡を一切受けておらず、同氏の所在を知らないでいる。取材当時交わした高智晟氏との約束に沿って、AP通信は今回、その取材内容を全て公開した。その概略を次のとおり。
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2009年2月に監禁されてから14カ月間、高智晟氏は北京刑務所から山西省や新疆ウイグル自治区の刑務所に移送されていた。高氏が受けた拷問の悲惨さは、「言葉では形容できない」ほどである。
刑務官らが高氏の服を全部剥がして、順番に拳銃で同氏を殴り続けた。一番ひどいときは、この種の殴打は2昼夜続いた。その間、暴行を講じ続けて疲れきった警官は、ビニール袋で同氏の手足を縛って地面に放置し、体力が回復したら、再び同氏を殴打しはじめた。
高氏によると、警官はときおりベルトで同氏を縛った上で覆面させ、殺すと脅していた。2009年9月のある日、拷問に参加した一人の警官が同氏に、「自分が人間であることを忘れろ。お前は畜生に過ぎないのだ」と告げた。
また、北京の刑務所の警官は同氏に対し、監禁は彼への寛大な措置であると告げ、「我々はいつでもお前を消したいときに消すことができる」と話したという。
高氏によると、行方不明になっていた2009年の監禁期間中は、同じく行方不明になり監禁されていた2007年のときより、さらにひどい拷問を受けた。2007年のときには、秘密警官から受けた警棒での電気ショックや、つまようじで生殖器を刺されるなどのリンチの実体験を、「暗い夜、黒い覆面、暗黒勢力による拉致」と題する文章にまとめてインターネットで公開していた。
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AP通信が最新に公表したこれらの情報に、高智晟氏の妻で、昨年3月頃に2人の子供を連れて米国に脱出し難民として保護された耿和さんは深く心を痛めているようだ。「初めて聞いた話だ。夫は毎回このような虐待を受けているのに私に何も言わなかった。だから、(昨年)4月に交わした電話の中では、なおさら私に言うはずがない。しかし、AP通信の報道を読んで、そのときの写真が載っていたが、私と離れたときと比べて20歳ほど老けた。夫はどれほど悲惨なリンチと拷問を受けたのかがわかった」と耿和さんは話した。
2010年10月、高智晟氏の17歳の長女・耿格さんは公開状の中で、オバマ大統領に対し父の救出を懇願した。彼女は、父は言論自由の権利を堅持したために中国当局に強制逮捕されて拷問を受けていると訴え、オバマ大統領に対し、同年11月のG20サミットで、胡錦濤・総書記に父の所在を確認するよう懇願した。
高智晟弁護士はこれまでに、社会的に弱い立場にいる人々の無料弁護を引き受け、正義を追求したことで中国全土に名を知られていた。中国当局に非合法とされ弾圧されている法輪功について、2005年から3度にわたり最高指導部に公開嘆願書を提出し、弾圧の違法性と残虐性を訴え停止を求めた。それに対し中国当局は、同弁護士の法律事務所を強制閉鎖し、2006年には「国家政権転覆扇動罪」で、有期懲役3年、執行猶予5年の判決を下した。2007年には警察当局に強制連行されて行方不明になり、後に釈放された。2009年2月4日、高智晟氏は帰省先の陝西省の実家で警察に強制連行されて再び行方不明になり、2010年3月、北京で一時姿を見せてから4月にまた行方不明になった。
米国の民間団体「対華援助協会」は15万人の署名を集め、中国当局に対し高智晟氏の釈放を呼びかげている。